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第7話 案の定のレビュー
経営企画のブースの片隅で、篠原部長がPCの資料を注意深く眺めてから神妙な顔つきでつぶやいた。
「──まずは、ありがとう」
「ふぐっ」
その言葉に、佐野は危うく吹き出しそうに──というかほぼ完全に吹き出した。
同時に、伊坂がぎろりと佐野のことをにらみつけてくる。
が、その視線にはあえて気づかないふりをした。
これで、こいつの研修資料には二度も同じフラレ文句がかけられたことになる。
伊坂には申し訳ないが、だいぶ面白い。
篠原はPCから目を上げて穏やかに続けた。
「資料自体は大変よくできていると思う。非常に詳しく、かつ正確に十月電気のことが書いてあるし、文章もわかりやすい。読み物としての完成度は素晴らしいね」
「……ありがとうございます」
「だけどね……うーん、なんていうのかな」
ためらいがちに篠原が口を開く。篠原は経営企画の──いや、十月電気の出世頭でありながら、有数の人格者でもある。
伊坂が傷つかないように必死に言葉を選んでいるのが分かる。
対する伊坂は仏頂面のまま、辛抱強く篠原の言葉を待ち続けている。
それを見て、佐野はへえと思った。
さすがの伊坂も経営企画部の大黒柱・篠原にはリスペクトがあるらしい。
つんつんと伊坂の脇腹を肘でつついて、
「……おい、俺の時とはずいぶん態度が違うじゃんか」
と小声で抗議すると、伊坂はぷいと佐野から顔を背けた。
あからさまな「お前の話なんて聞きません」的な態度に、「こいつはガキか?」と心の中でツッコミを入れる。
篠原は真正面で挙動不審な動きをしているふたりを不思議そうな顔で一瞥してから、意を決したように「あのね」と続けた。
「とても力を入れてくれたのは伝わるんだけど、研修用の資料としては粒度が細かい印象を受ける。十月電気の説明が、微に入り細に入りすぎているというか……。研修の時間は七十分で、この分量だと一スライドにかけられる時間は二分くらいになってしまう。現実的にその状態だと全部を読み切ることは出来ないんじゃないかな?」
そう言ってから、篠原は佐野に目線を移した。
「ちなみに、佐野くんも、この資料を一緒に作ったの?」
暗に、この資料をお前もいいと思っていたのか──と聞かれている気がする。
むろん、答えはNOだ。篠原からの指摘事項は全て佐野が伊坂に伝えていたことだが、それらはすべて突っぱねられている。
この状況において、佐野からの答えはただひとつである。
口元に情けない笑みを作ってみせた。
「はい。俺も一緒に作らせていただきました。ベースは伊坂が作ってくれましたけど、細かいところを俺も付け足したりしてます。たぶん、ふたりで作っているうちに、膨らみすぎちゃったんだと思います」
そう言い切ると、伊坂が驚いた顔でこちらを振り向き、あわてたように口を開いた。
「篠原部長、違います。佐野は──」
「なんだよー、俺の貢献を認めないってのか?」
黙ってろ、という意味を込めて伊坂の肩をバシっと叩く。
「何を……」
「いいから」
もう一度伊坂の肩に手を乗せると、今度は目の前の篠原が息で笑う気配がした。
篠原は軽く首を横に振って「なるほどね」と言ってから話を戻す。
「二人で作ると内容が増えすぎるのはよくあることだ。資料の大筋は全然間違っていないから、あとは提示する情報に優先順位をつけてわかりやすく仕上げてほしい。軽量化してもらうようなイメージなんだけど──それさえ意識すれば、格段によくなるよ」
柔らかく微笑んでから、篠原が伊坂を見つめる。
「それと、これは伊坂くんへのコメントになるのだけど──いつも言っているように、人に何かを教える時に、情報を切り捨てるのは悪いことじゃない。君は真面目だから、全部言わないと不親切で不誠実だと思うんだろうが、実際はその逆だよ。闇雲に詳しく説明すると、かえって初習者は迷ってしまう。わかったね?」
「……はい」
硬い表情のまま伊坂がこくりと頷いた。
伊坂はどうやら篠原の言うことなら素直に聞くようだ。
二人の美しい師弟関係を眺めていると、ふいに篠原と目があった。
「まあ、佐野くんと組むのなら安心だ。うちの伊坂くんも、君の前ではのびのびやっているみたいだし」
「え? あ、やー、そうですか? あはは……」
──篠原さん。おたくのホープには、俺は嫌われていると思います。
そろりと左隣の男を見ると、その顔はいつもどおりの仏頂面で、嬉しくも何ともなさそうだ。
佐野は悲しい気持ちで「まあ、同期同士ですから……」と力なく答えた。
「同期ね……君たちの代は次の四月で六年目か。五年間色々あったと思うけど、二人ともよく頑張ってきてくれたね。研修も期待している」
「ありがとうございます」
礼を言って伊坂とその場を立ち去り、頭の中で「五年」と言う数字を転がした。
伊坂の肩をつついて、「なあ」と切り出す。
「伊坂ちゃん、俺らってもう五年も十月にいるんだなあ」
「そうだ」
「何人残ってるっけ?」
「……四十五人だ」
「おお、だいぶ減ったなあ……」
寂しい気持ちでぼやくようにいうと、伊坂もこくりと頷いた。
同期入社の社員は全部で六十七人。残っているのが四十五人と言うことは、三分の一ほどはすでに退職していることになる。
IT業界が出入りの激しい業界であることを考えると、それ自体は珍しいことではない。
むしろ、出入りが激しいこと自体は佐野たちにとってはありがたいことだった。
たまに同期で集まることがあっても、埋めがたい欠落をわざわざ意識しなくても済むからだ。
佐野は窓越しに冬の明るく高い空を見つめた。雲ひとつなく、空気はどこまでも澄んでいるようで、拗ねたような気持ちになる。
あの日は同じ二月でもこんなふうに明るくなく、陰鬱な曇天だったのだ。
あの日──四年前の二月に、同期社員の常川浩一は二十三歳の若さでこの世を去った。
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