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第9話 律儀なやつ
伊坂が着席すると同時に、昼休み終了の鐘が鳴った。
斎藤たちはそれをいいことに、蜘蛛の子を散らしたように席を立ち、業務に戻ってしまった。
他のテーブルからも続々と社員がいなくなり、食堂は一気にがらんとした。
「意外とみんな時間きっかりに昼休むよなー。混むのに」
言いながら、伊坂の皿を覗くとそこには真っ赤に染まった唐揚げがあった。
──こいつも麻辣唐揚げ定食だ。
それを見て、嬉しくなってニンマリと笑う。
このアンドロイドみたいな男は、この激辛料理にどんな反応を示すのだろうか。
怪訝そうな目つきで伊坂が顔を上げる。
「……なんだ」
「いや? 何にも?」
伊坂は佐野をひと睨みして、箸で唐揚げをつかんだ。
感心するほど美しい箸使いで、真っ赤な肉を口に運ぶ。
いいぞいいぞ、と思いながらワクワクとそれを見守る。唐辛子だけじゃなく山椒も効いたその唐揚げはべらぼうに辛いはず──。
唐揚げが口に飛び込んで、ひとかみ、ふたかみと咀嚼が進む。
だが、伊坂は顔色ひとつ変えることはない。
平然と一つめの唐揚げを飲み込んで、二つめに箸を伸ばした。
「ちょっと待った! 伊坂ちゃん、それさ、辛くないの?!」
「辛い」
「え? いや、じゃ、なんでそんなに落ち着いて……。俺、さっきむせたんだけど」
「むせるほどには辛くない」
淡々とそう言い切って、三つめの唐揚げに箸を伸ばした。
やっぱりこいつはアンドロイドなのかもしれない。そうでなければこんなに辛い食べ物を食べて平然としている理由がわからない。
手持ち無沙汰になって、先ほど皆川がしてくれたようにコップに水を注いでやった。
「ほれ、水」
「……」
まるで毒でも差し出されたように伊坂はコップをじっと見つめている。
「いらねえの?」
と急かすとようやくコップを受けとり、礼のつもりなのかなんなのか、ひとつ頷くような仕草をした。
──やっぱり伊坂ちゃんって、よくわかんない生き物。
頬杖をついてその姿を見守り、けれど見られていたら食べづらいかもと思って、尻ポケットからスマホを取り出そうとしたその時、伊坂がボソリと口を開いた。
「……篠原部長には真相を伝えておいた」
「へ?」
──真相?
首を傾げて伊坂の目を「えーと」と言いながら見つめる。
「ごめん、真相って、なんのこと……?」
「資料だ。あれは私が作った。篠原部長からのレビューは、全部佐野からも言われていたことばかりだった。……直さず出したのはこちらの独断だ」
予想外の言葉に、佐野は「うええ?」と呆れた声を出した。
「お前わざわざ、篠原部長にそれ言ったの?! せっかく、せっかく俺が誤魔化したのに……!」
「誤魔化さなくていい。濡れ衣をわざわざかぶることはない」
「待て待て待て。あんなの、濡れ衣というほどのことか?」
「濡れ衣は濡れ衣だ。あの状況において悪いのはこちらだけだ」
「そ……、そう?」
ぽかんと口を開けたまま、動けなくなる。悪いとか、悪くないとかそんな話でもないような気がするのに。
佐野だって、伊坂と意見が衝突してから、めんどくさくなってそのまま放っておいたのだ。悪いと言えば自分だって悪い。
伊坂は頑な表情のまま、ついに6個目の麻辣唐揚げを口に入れた。
それを見て、なんだか愛おしい生き物を見つけたような気持ちになって、無性に笑い出したくなった。斎藤や皆川、丸澤などの同期たちにこのことを教えてやりたくなる。
伊坂は冷たいわけじゃない。頑なで、なにを考えているのかわからないけど──。
呆れるほど律儀で真面目なだけなのかもしれない。
「──伊坂ちゃん、あの資料さ、いったん俺に直させてよ」
その言葉は自分でもびっくりするほど穏やかな口調になった。
ポツリと提案すると、伊坂がぐっと眉間にしわを寄せてこちらを見つめた。
あわてて、「いや、一回他人がやった方が案外早く済んだりするかもと思って。自分が書いた部分って自分で消すの萎えるじゃん」と続けると、意外にも伊坂はあっさりと頷いた。
「任せる。……この間は、悪かった」
その言葉に気が抜けて、キョトンとした顔をしてから佐野はアハハと笑った。
「やっぱり、伊坂ちゃんっていいやつだよな」
「……さっきから、何を根拠に」
やっぱり、さっきの会話は聞かれていたのか。
まあいいや、と佐野はコップにもう一杯水を注いでそれをぐいと飲み干した。
伊坂はもうすぐ食べ終わるだろうから、食堂を一緒に出ればいい。そう思って、なんとなく伊坂の端正な顔を眺め続けた。
頬杖をつきながら、「何を根拠に」という問いへの答えを舌の上で転がす。
──だって、お前は泣いていたじゃないか。
あれは四年前の二月の雪の日、常川の通夜に赴いた時だった。
焼香を終えて放心状態で会場を出たあと、背の高い男が傘立ての前に一人ただずんでいるのに気が付いた。
傘をしまう場所がないのだろうかと思ってぼんやりとその後ろ姿を見ていたが、男はいつまでも動く気配がない。
そっと近づいてみてみると、その男は見慣れた顔をしていた。
──伊坂だ。
「伊坂ちゃん」と声をかけようとして、はたと気が付いた。
伊坂は、傘たての前で壁と向き合うようにして、ただ一人涙を流していた。
常川と伊坂は、特別親しかったわけではない。研修のクラスは同じでも、ふたりが話しているところはあまり見たことはない。
それでも伊坂は涙を流すのだ。
それに気がつくと、ただ重苦しく惑うだけだった心が不思議な落ち着きを帯びた。
安堵に近いあの感覚が何だったのかはよくわからない。
けれどその時、佐野はようやく自分が悲しいのだとはっきり理解して、涙が目から零れ落ちた。
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