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第10話 見て欲しいかも?
資料を直すと大見得を切ったはいいものの、二月は人事課の繁忙期である。
新入社員の入社手続きやら、四月の異動者や昇格者のチェックに追われていたせいで、資料の修正に手をつけられたのはその一週間も後になってからになってしまった。
「ま、これでいいか?」
画面をスクロールして、スライドの終わりまでもう一度目を通す。着手するまでの時間はかかったものの、ベースはあの伊坂の作った研修資料である。
細かすぎるという欠点はあるものの、構成自体はしっかりとしたものだった。改訂版は意外にもすぐに出来た。
さっそく伊坂に完成品を見せに行こうと、経営企画部に向かう。
伊坂はきっといつもの仏頂面だろう。けれど、資料ができたといえば少しは嬉しそうな顔をするだろうか。
──いた。
経営企画部の奥から二番目の席に、伊坂がピンと背筋を伸ばし、黙々と仕事をしている姿が見える。
経営企画部は、人事課とはまるで空気が違う。会社中の精鋭を集めた部署というだけあって、ピリッとした空気が漂っているような気がする。
ピリついた空気に身を縮こまらせながら伊坂の席へと進み、肩をちょいちょいとつつく。伊坂はすぐに振り向いて「なんだ」と無表情に顔で応じた。
案の定のぶすくれた顔に佐野は内心で吹き出した。こうも毎度毎度意味もなく仏頂面をされると一周回って面白い。
「伊坂ちゃん、今って話しかけても大丈夫?」
「……資料か?」
「そ。出来上がったんだけど、このあと時間ある? 終業時間間際にごめんだけど。どうせ、ざんぎょ──」
「ない」
どうせ残業をするだろう、と続けようとした言葉は、伊坂の無情な言葉によってぶった斬られる。
「うえ?」
思わず間抜けな声を出した佐野は、経営企画の他の社員からジロリと視線を浴びせられ、慌てて口を塞いだ。
目立たないように、伊坂の椅子の横にしゃがみ、上目遣いにその冷たい横顔を見つめる。
「……ごめん。今日予定あった?」
「予定はない」
「じゃ、経企の仕事が忙しい?」
「忙しくない」
「えええ……?」
じゃあなんなんだ! と叫び出しそうになるのを堪えて、佐野はしゃがみ込んだままぐるぐると思考を巡らせた。
やっぱり、資料の直しを巻き取られたのが気に食わなかったのだろうか。
伊坂がそういうことを気にするタイプだと思ってはいなかったが、エンジニアとしては非常に能力が高い。そのぶんプライドが高くてもおかしくはないのだが──。
──それとも、やっぱり俺、嫌われてる?
突然黙り込んだ佐野を、伊坂がじっと見つめる。
「……」
「なんだよう~……」
思わず情けない声を出すと、伊坂が卓上カレンダーを佐野の前にずいと突き出した。
十月電気オリジナルデザインのカレンダーは、季節の花々があしらわれたデザインはダサいがサイズがちょうど良く、社内でも愛用者が多いシロモノだ。
そんなダサカレンダーの日にちをとんとんと伊坂が指差す。
「第二水曜日」
「は?」
伊坂は心底疑問だとでも言いたげな声を出す。
「発案者はお前だと聞いていたが。違うのか?」
「え? ……あーっ! もしかして今日、ノー残業デイ?!」
佐野の大声に、伊坂が深く頷いた。
十月電気では、人事課が中心となって導入したノー残業デイ──つまり全社的に残業を禁止する日が月に一度、第二水曜日に設けられているのだ。
その発案者は他でもない自分なのだが、資料作りに夢中になるあまり今日が第二水曜日だということを完全に忘れていた。
時刻は十七時半をすでに五分ほど過ぎている。周囲を見回してみると、ワーカホリックで有名な経営企画のメンバーたちですら一様に帰り支度を始めている。
佐野は「がーん……」と口にして、わかりやすくうなだれた。
別に見せるのは明日以降でも構わないはずなのに、なぜだか無性にがっかりした気持ちになった。
──どうにかして、今日見せられないだろうか。
ふと、佐野はいいことを思いついて、むくりと顔をあげた。
こういうのは、勢いが大切だ。
伊坂の袖口をぐいと引っ張り口を開く。
「伊坂ちゃん、俺んち来ない?」
「……は?」
「資料チェックしない? 俺んちなら時間無制限だし。ついでに飲もうよ」
スルスルと誘い文句が口から飛び出してくる。食堂で話して以来、伊坂には妙に心惹かれているのだ。
伊坂はいつものポーカフェイスはどこへやら、瞠目した顔のまま硬直している。
たっぷり1分くらいの間をおいて、伊坂がついに口を開く。
「……明日ではダメなのか」
にべもなく断られると思っていたぶん、意外な揺らぎの見えるその言葉に佐野は前のめりになる。
「ダメ。絶対」
伊坂はため息をひとつついてから荷物をまとめはじめた。
そして、戸惑う佐野を一瞥し「早く支度をしろ」と冷たく言い放った。
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