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第13話 らしくないよ、伊坂ちゃん

会議室にかちゃかちゃと佐野と西のタイピング音が響く。 竹内がこの部屋に来るまでの間、少しでも仕事を進めようとしているのだが、すでに少しどころかだいぶ仕事が進んだ。 いぶかしく思って、西の方を向き直る。 「西さん、もう一回竹内さんの電話鳴らします?」 遠慮がちに佐野が聞くと、西も腕時計に目をやった。 「あー、ちょうど半になったらかけるか。ったく、遅れるんなら連絡ぐらい入れてほしいよ」 西が苛立った様子で貧乏ゆすりをする。 西は佐野の尊敬する先輩の一人だ。真面目で几帳面かつ頭の回転も早く、どんな仕事でも素早くきっちりこなす。 が、そのぶん他人にも容赦はない。 佐野は曖昧に頷いてから、「ちょっと外見てきますよ」と言って廊下へ出た。 廊下はがらんとしていて、期待した人影はない。 「いないのかあ……」 こうまで連絡もないと、いよいよ不安になってくる。人事とのアポをすっぽかすほど参っているとしたら、相当心配な状態だ。 佐野は手足をぶらぶらさせながらエレベーターホールへ向かった。 すると、タイミングよくエレベーターの扉が開く。中から出てきた人物の姿を認めて、佐野は「あ!」と声を上げる。 「伊坂ちゃん! お疲れ!」 伊坂はチラリと視線を持ち上げわずかに目を見開いて「佐野か……」と呟いた。 いつも通り、一ミリも嬉しくなさそうな表情。 昨日の夜まで飲んでいたのが嘘のようなそっけない態度。慣れてきたのか、不思議なおかしみを感じる。 佐野は内心笑いながら伊坂に問うた。 「伊坂ちゃん、会議?」 伊坂は黙ったままこくりと頷いた。 「返事くらいしろよー。昨日は呑み明かした中じゃんか」 「明かしていない。夜中のうちに帰った」 「そうだけどさあ。 研修終わったらまたうち来てよ、な!」 そう言って肩に手を置こうとすると、すいと体をかわされた。 怪訝に思って「なんだよ」と言いかけた途端、もう一度エレベーターの扉がスッと開くのが見えた。 中から出てきたのは篠原部長ともう一人──背の低い筋肉質な男性社員。 佐野は、その顔を見た瞬間声を出しそうになった。 ──あいつは、清水正樹! 悪名高い、そして、ちょうどその被害者と面談をしようと思っている矢先にこんな偶然が──。 「佐野くん、お疲れ様」 瞠目しているところに篠原から声をかけられ、佐野はあわてて体を二つに折り曲げた。 「篠原さん、お疲れ様です!」 「──この子も経営企画の子? いまの経営企画ってこんなに若手多いわけ?」 顔を上げると、清水が不満げにこちらに視線を送っている。 その視線を遮るように、篠原が「彼はうちの部署の子じゃない。人事の佐野くんだよ」と穏やかに応える。 「ああそう、人事かあ。どうりで!」 小馬鹿にしたような言い回しにカチンときながらも、ペカペカした人事部スマイルを顔に貼り付けて頭をさげた。 「はい! 人事の佐野と申します。ええっと……、清水さん、ですよね? お初お目にかかります」 お前のことはマークしているぞ、と視線に念を込めながら清水の目を真っ直ぐに見据える。 だが、そんな意に清水は気づきもしないようで、呆れ返ったような口調で答えた。 「へえぇ、何、社員の顔と名前一致してんの? すげえなあ。人事部とかって、やっぱ余裕あんだね」 ──クソ野郎。 言葉とは裏腹なまるっきりこちらを見下した口調に、顔の筋肉が怒りでピクリと痙攣した。 「……俺、人の顔と名前覚えるのは得意なんですよ」 「へえー。記憶力いいなら現場来てよ。俺エンジニアだけどPMやってるからさあ。いやあ、びっくりしたよなあ。若手まみれのケイキなんて、聞いたことなかったからさあ。伊坂くんならまだわかるけど」 清水が意味深な視線を伊坂に送る。今のは間違いなく、伊坂への当てつけだ。若くして出世街道に乗った伊坂。それは実力じゃなく、家の力のおかげだろうと言いたいのだろう。 佐野は怒りを通り越して呆れ返った。 全方位に敵を作っていくこの余裕のなさ。圧倒的なまでの小物っぷりだ。 社会人になると、見たこともないような嫌なやつに巡り合うことになると、聞いたことはあるが──。 その話が本当だとしたら、今がまさにその瞬間である。 口元を歪めて、「伊坂はゆうしゅ──」と言いかけたその時──。 伊坂がぐいと佐野の腕を引っ張って、佐野と清水の間に割り込んだ。 ──伊坂ちゃん? 「清水さん」 「何?」 「お時間です。そろそろ」 その不穏な迫力に、清水がグッと喉を詰まらせるのがわかった。 「あ……ああ。時間ねー。このあともクライアントとのアポが詰まってるからな」 「……」 それには答えずに、伊坂は踵を返して会議室へと向かう。 天下無敵の無愛想ぶりに、胸が空くような気持ちになった。 その背中を見送っていると、ふいに伊坂がぴたりと足を止めた。 「……佐野」 「え、俺? 何?」 「研修の資料は助かった」 不思議なタイミングで投げかけられた感謝の言葉に、戸惑いながら応じる。 「ああ、資料……? ありがとう」 「研修の段階でしっかり教育ができると助かる。十月は、現場配属されてからの指導が雑という評判もあるから。……特に、エンジニアは」 最後のところで伊坂は清水のことをはっきりと見つめて言い切った。 佐野はおもわず息を呑む。まさか、伊坂が他人に喧嘩を売るようなことを言うなんて──。 清水が、信じがたいものを見るような目で伊坂のことを見る。 「なっ……!」 伊坂はしかし、黙ったまま清水のことを見下ろしたまま、眉一つ動かさない。 「……」 一触即発の空気の中、篠原が笑いを噛み殺したような表情で「まあまあ」と手を動かした。 「伊坂くんの言うとおりだね。僕と清水くんの若い時なんて特にひどかったものなあ」 清水が口をぱくぱくさせながら篠原と伊坂の顔を交互に見る。 「そっれは……そうですが」 「ですが?」 有無を言わさぬ口調で篠原がにっこりと清水のことを見つめる。清水は渋ヅラになって、 「……いえ」とボソリと呟いた。 そういえば、篠原は清水よりもいくつか年次が上のはずだ。篠原もエンジニア畑出身だから、上下関係がきっちり構築されていてもおかしくない。 一人残されたエレベータホールで、佐野はポツリとつぶやいた。 「……らしくないよ、伊坂ちゃん」 そうつぶやくと、一気に体温が上がる。 ──ダメだ。 抗いがたい恋の予感に、佐野の鼓動は高まるばかりでなすすべもない。 さっきの伊坂の発言は、明確に佐野の名誉回復を狙ってのものだった。 普段のクールな伊坂からすれば予想もつかないような行動で、幸福な意外性を感じずにはいられない。 もっとも、伊坂は佐野だから肩入れしたのではなく、あくまで伊坂なりの正義感に基づいて行動しただけなのだろうけど。 それでも、佐野は嬉しかったのだ。 人事部はいわゆる非採算部門で、どんなに努力をしたとしても、目に見える利益を出すことは難しい。 社内では、清水のように、人事や経理、総務などの部門を下に見る人間も確かに存在する。 理不尽な扱いに悔しい思いをすることはあっても、仕方のないことだと諦めてきた。日々クライアントを接するハードさに比べたら、社内向けの業務はいくばくか気が楽なのも事実だろう。 けれど、普段は目を背けていても、内心に怒りはたまっていき、だんだんと心が澱の中に沈んでいくような感覚があるのも事実だ。 それをまさか伊坂が庇ってくれるなんて思いもしなかった。 伊坂への好意という、数週間前まで考えられもしなかった感情が、まるで、何かのウイルスのように体じゅうに広がっていくのを感じ、佐野は頭を抱えたくなった。

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