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第15話 便利屋は俺だけど
会議室の扉を開くと、そこにはすでに伊坂がいた。
佐野はパッと表情を明るくして声を上げる。
「伊坂ちゃん、もういたの! 早いね」
こくりと伊坂が頷く。相変わらず、喋るということに関しては省エネな男だ。
だがこの対応にもすっかり慣れたもので、佐野は気にもとめず伊坂の真隣に座り、PCの電源を入れた。
隣に座られたことに抗議するように、伊坂が佐野のことをジロリと見る。からかうつもりで「なんだよ?」と言いかけて、伊坂としっかり目があってしまった。
瞬間、心臓が発作のように飛び跳ねた。
意味のわからない機序に、佐野はとある重大な事実をはたと思い出した。
──忘れてた。俺、こいつのこと好きだったんだ!
佐野の中で最新のファクトであるそれを、取り扱うことに慣れていなさすぎて、ついついいつものように距離を詰め過ぎていたことに気がつく。
慌てふためいていると伊坂が怪訝そうな顔つきで「……なんだ?」と問うてくる。
「あ、いやいや、何でもない。えーと、今日って伊坂ちゃんが資料見せてくれる番であってるよな? どっちかわかんなくなっちゃってさ」
「そうだ」
伊坂が自身のPCをずいと佐野の前に押し出してくる。礼を言って、画面を確認することにした。
資料の流れは、基本は佐野は作成したものから大枠は変わっていないように見えた。
けれど、ところどころに書き足されている内容や、追加されているスライドがある。それらも以前の辞書状態ではなく、ごく控えめになっている。
「……さすがなのはお前の方だろう。私は情報を付け足しただけだ」
「いやいや、伊坂ちゃんの資料読むと俺の資料って細かいことは全部しゃべって済ませようとしてたんだなって思うわ。後から読み返した時に訳わかんなくなるだろーし、こっちの方が全然いいよ、マジで」
「大したことはしてない」
「してるって! 何でそんなに頑固なんだよー」
そう言ってバシバシ伊坂の背中を叩くと、ため息にもよく似た息の出し方で伊坂がふっと笑った。
いつもの硬質な顔つきとは違うその穏やかで甘い笑みに心臓が飛び跳ねる。ときめかせるのはやめてくれといいたいが、そんなことを言っても伝わるはずもない。
ふいに、伊坂が佐野の方に向き直り、改まった表情で口を開く。
「今回は助かった。ありがとう」
「え……」
面と向かって礼を言われると何だか照れ臭くて、佐野は伊坂の方から手を外して首のあたりをポリポリと掻いた。
「いや、俺も最初は任せっぱなしだったし……」
「あれはこちらが悪い。佐野の家でも、助かった」
「あ、あれはなんか思いつきで言ったって言うか……。思い出されると恥ずい」
「思いつきなのか?」
「いや、普段考えてることではあるんだど……」
顔がなんとなく熱くなる。
──あの時は、伊坂を何とか助けてやりたくて、調子に乗って実演解説までしてのけたのだ。が、そのことが冷静に思い返すとやっぱり恥ずかしい。
「ならいいだろう」
「いいんだけどさ。あ、ていうかお礼といえば!」
佐野はわざとらしく人差し指を立てて見せた。
無理矢理にでも話題を切り替えなければ、こんなむず痒い空気に耐えられない。
「こないだ、ありがとな! 清水さんになんか皮肉言われて腹立ってたんだけど、伊坂ちゃんのおかげでスッキリした」
「ああ。あれは向こうが悪い」
「だよなー。でも俺じゃ、ヘラヘラしているだけだから、マジで助かった。っていうか、清水さんはケイキに何の要件だったの?」
伊坂がピクリと動きを止める。
怪訝に思ってその顔をみると、伊坂の表情にはわずかに迷いのようなものが生じているように見えた。
──何だ?
「あー、言えない系?」
軽く投げかけると伊坂は佐野の目をじっと見つめた。
嫌な予感がして、佐野は唾を飲み込む。
「な、なに?」
「……社内に便利屋がいると言うのを知っているか?」
瞬間、佐野の全身から血の気がひいた。バクバクと心臓の音が耳元で鳴り響く。
「え、なにそれ?」
こわばった舌をなんとか動かし、佐野は必死に声色を取り繕って、伊坂を真っ直ぐに見つめ返す。
「……」
伊坂は無言のまま、佐野を見据えている。伊坂の真意はその表情からは読み取れない。伊坂は自分を疑っているのだろうか。それとも、単に議題の一つとして便利屋の噂をしようとしているのだろうか。
──落ち着け。証拠を掴まれるようなヘマはしていないはずだ。
喉奥に何かが詰まったような感覚を堪えて、「なあ」と佐野は伊坂の肩にもう一度手を置いた。
「便利屋って何のこと? 掃除でもしてくれんの?」
「本当に知らないのか?」
「わかんねえよー。伊坂ちゃん、教えてくれんじゃないの?」
伊坂はグッと眉間に皺を寄せて、佐野の手から逃れるように身を逸らした。
──あ、逃げられた。
「この会社の中に、明らかに規則違反の働き方をしているやつがいる」
「規則違反? サボってるってことか?」
あくまでシラを切り通すために、佐野はあえて軽い受け答えに徹することにした。これが正解なのかどうかは全くわからないが。
「反対だ。便利屋と称して、社員の仕事を手伝っている奴がいる」
佐野は「へえ」と白々しくも感嘆したようにつぶやいた。
「ただの噂じゃなくて?」
「……清水から告発があった」
今度こそ、佐野の心臓は止まりそうになった。
口の中は熱砂を詰め込まれたようにカラカラにひからびている。
「プロジェクトメンバーのパフォーマンスが急に上がったと訝しく思っていたところで、便利屋の噂を聞いて、そうに違いないと確信したらしい」
「なんでそれがケイキに? 人事に言ってくれればいいのに」
佐野は半ば本気でそう言った。伊坂の言い分を信じるのなら、清水は証拠までは掴めていないのかもしれない。
人事に言ってくれれば、うまい風に話を持っていって、握り潰せたかもしれないのに。
「篠原さんを頼ってのことらしい」
「へー……」
「お前は何も知らないのか? 便利屋について」
佐野はへらりと軽い笑みを作る。
「残念ながら知らないよ。俺、あんまエンジニア界隈の噂は詳しくないんだ。伊坂ちゃんと違って、ずーっと裏方部門だしね」
そう言って肩をすくめると、伊坂が微妙にバツの悪そうな表情を作る。
嫌味と捉えられただろうか。だが、そんなことに気を配っている余裕はない。
──清水はいったいどこまで、便利屋の情報を掴んでいるのだろうか。
そう考えてから、佐野の胸には悪い予感がよぎった。
あのねちっこく、到底性格が良いとは思えない清水のことだ。万一、証拠でも掴んだとしたら、きっと竹内のことを追い詰めるはずだ。
そうなれば、人員補給の話どころではなくなってしまうに違いない──。
「悪い、俺、もうそろそろ出なきゃだわ。伊坂ちゃん、ありがとな」
今すぐにでも走って人事部に戻りたい衝動を抑えて、佐野はもう一度無理矢理顔の筋肉を動かして笑顔を作った。
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