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第19話 ケジメをつける…はずが

研修を終えた翌日は、ピカピカの青空だった。 いつもなら嬉しいはずの晴天も、今の気分にはまるで合っていない。 会社の目の前にあるでかい横断歩道の前でスマホを開き、会議室予約システムをもう一度確認した。 佐野の名前と並んで、【201会議室 十時〜】と表示されている。 覚悟はしているはずなのに、緊張で体がこわばる。 できることならこの場を逃げ出して、今すぐにでも両親のいる田舎の農村にでも引っ込みたい。 けれど、会社員としてのケジメはどうしてもつけなくてはならない。 会社のエレベーターに乗り込んで、迷った末に二階のボタンを押した。 課長と取り付けた面談の時間は十時からで、開始までにあと三十分はあるが、どうしても人事課に立ち寄る気はしない。 西や課長と何食わぬ顔で話してから、面談になったら急に自分の悪事を告白するなんて、ジェットコースター級のテンションの上下を乗りこなせる気はしない。 「あーあ」 空のエレベーターで大声を出してみる。 気分はあーあとしか言いようがない。 冷静になってみると、自分は本当に馬鹿なことをした。 人の代わりに仕事を請け負っていたなんてことが明るみに出たら、社内の誰もが呆れるだろう。理解も同情もほとんどされないに違いない。 佐野は201会議室の入室表示をオンにしながらぼんやり呟いた。 「伊坂ちゃん、何してんのかなあ」 伊坂の顔を思い浮かべると、胸がしくしくと痛む。 今はまだ、仕事のことで頭がいっぱいだからいいけれど、冷静になったら失恋の痛みに苦しみそうだ。 会議室のドアに手をかけると、ふっと視界がかげった。 不思議に思って視線を上げると、見慣れた仏頂面がそこにあった。 「い」 ──伊坂ちゃん。 驚きのあまり、声が出ない。 なぜ、伊坂はここにいるのだろう。 このフロアで会議でもあるのだろうか。それとも、たまたま通りがかっただけなのだろうか。 伊坂は佐野と目を合わせて、それから──。 「……」  ──いや、無言かい。 たっぷり十秒の間伊坂が口を開くのを待ったのに、一向に話そうとする気配がない。  意味もなく見つめあったままになっていることに気づくと、佐野は吹き出した。 「おいっ、何とか言えよ! なーんで、伊坂ちゃんはいっつも黙ってるんだ?」 そう問いかけると、伊坂が眉間に皺を寄せて不服げに口を開く。 「……何がおかしい」 「いやいや、おもしろいだろー。意味ありげに近づいてきて、ずっと黙ってんの。なに、伊坂ちゃんも会議?」 そう言って伊坂の肩に手を載せる。いったん緊張が解けてしまうと、気まずい状況だったのも忘れて、いつもの調子に戻ってしまう。 伊坂はというと、佐野の手を見て嫌な顔をして、でもそれを払い除けることはしなかった。 「会議じゃない」 「あ、そう? じゃあ何? 俺に会いにきたの?」 「そうだ」 「はいはい──。って、え?」 佐野は驚いて目を丸くする。自分の顔を指差して「お、俺に?」ともう一度聞くと、伊坂がこくりと頷いた。 「いや、なんで?」 伊坂は眉間に皺を寄せたまま、佐野の腕を引っ張って会議室に引き摺り込み、後ろ手に扉を閉めた。 「ちょっ……、伊坂ちゃん?」 目を白黒させたまま伊坂を見上げると、伊坂はため息をついた。 「藤田さんに言うつもりなんだろう。便利屋のことを」 「なっ……んで、それを」 図星を言い当てられ、動揺する佐野に種明かしをするように伊坂はスマートフォンの画面をずいと目の前に差し出してくる。 「会議室の予約を見た。……お前のことだから、藤田に直談判をするのだろうと思った。便利屋のことを打ち明けて、清水のプロジェクトに増員を頼むつもりだったんだろう」 「……伊坂ちゃん、エスパー?」 まるで自分の脳みそをそのまま見透かしたような言葉にあんぐりと口を開けた。 伊坂は佐野の驚きには取り合おうとせず、「藤田には言うな」と続けた。 これまた予想外の言葉に耳を疑う。 「言うなって……何でだよ。竹内さんを何とかしてやらなきゃ……」 「お前はどうなる?」 「そりゃ、処分されるだろうけど、そもそも悪いのは俺なんだから──」 「悪くない」 「いや、悪いって。他人のプロジェクトワークを勝手に請け負うなんてコンプラ違反にもほどがあるだろ」 「悪くない」 頑なな伊坂の言葉に苛立ち、佐野も刺々しい口調になる。 「だから、んな庇い方されても嬉しくないって──」 そう言った瞬間に、がちゃりと会議室の扉が開いた。 藤田がデカい腹を揺らしながら、独特の足音を立てながら入室してくる。 「あれ、ずいぶんはやいねえ。僕が一番乗りだと思ったんだけど。おはよう〜」 「お、おはようございます」 時計を盗み見ると、時刻は九時四十五分。 この時間に藤田が入室してくるのは予想外だった。 佐野は慌てて、伊坂の方を向く。 「伊坂ちゃん、俺、藤田さんと話があるから」 そう言うのに、伊坂は何食わぬ顔で会議室の席に腰掛けた。 ぎょっとして「うえ?」と変な声が出た。いつも以上にこの男が何を考えているのかがわからない。 「伊坂ちゃん、俺、まじで、真面目な話が、」 動揺しきりの佐野を、藤田が不思議そうに見つめてくる。 「伊坂くんも出席するんじゃないの? 僕、昨日そう聞いたんだけど」 「ええ?! マジでなに? ちょっと本当に怖いんだけど──」 「します」 「そうだよねえ。佐野くん、座りなさいな」 事態を全く飲み込めない。何かのドッキリ企画にでも巻き込まれているとしか思えない事態に、もはやパニックである。 狐につままれたような気分のまま、まるで平然とした様子の二人を前に席に着く。 「で、話ってなんだい?」 ニコニコと微笑みながら、藤田が佐野のことを見る。 伊坂はと言うと、意味深に参戦してきた割に相変わらず無言モードのままである。 佐野が話し出したら援護射撃でもしてくれるのだろうか。 佐野は背筋を伸ばして、ままよと口を開く。何が起きているのかはよくわからないが、こちらの目的は達成させてもらう。 「藤田さん、大変言いづらいんですが──」 ことの経緯かいつまんで話す。 佐野が竹内の業務を手伝ったこと。 それが清水にバレて、人員補充の話が立ち消えになってしまったこと。 竹内は今もいっぱいいっぱいの状況であること──。 藤田は意外にも驚かずに、黙って頷きながら佐野の話を聞いてくれている。 「──なので、竹内さんのところに人員を増やしてやってほしいんです。こんなややこしい事態になったのは……、俺のせいです」 最後まで言いたいことを言い切ると、膝の上においた手のひらを見つめたまま、佐野は動けなくなる。情けなさや申し訳なさでいっぱいで、藤田の顔を見ることができない。 少しの間があってから、藤田は「うーん」と何とも言えない声を出した。 「佐野くん、他にも手伝ったの?」 「他……というと?」 「他のプロジェクトだよ。お手伝いしたんだよね?」 「し……ました」 おずおずと目線を上げて佐野が答えると、藤田は「上手くいった?」と問いかけてくる。 戸惑いながら「まあまあ……ですかね?」と答えると、藤田は「大したもんだねえ」と感心したような声を出した。 藤田の意図を図りかねていると、ふいに藤田が伊坂の方に向き直る。 「──それが経営企画の案件だったってこと? 伊坂くん」 予想外の発言に、思わず「え?」と声が出る。 だが、伊坂は何食わぬ顔で「はい」と応じた。 藤田は合点がいったという調子で「なるほど」と頷いた。 「ど──」 どういうことだ、と聞こうとした瞬間、伊坂が佐野のことを視線で制し、首を横に振る。 黙っていろ、ということなのだろうか。 藤田はPCの画面をスクロールして何かを読んでいる様子だ。 「面白いよねえ。出稼ぎ制度っていうんだっけ?」 「はい。外資系のコンサルティングファームや、SIerでは既に導入されている制度です。所属ごとの人員の空き状況を平準化するために実施するものです」 「まあ、外資はうちよりいっそうプロジェクトベースだもんねええ」 外資の出稼ぎ制度──。 佐野も耳にしたことはある。 プロジェクトベースの業務は、クライアントの発注状況によって、案件の数が安定しづらい。 そのために、ある所属は案件が過剰にあり、別の所属は案件が足らず金額目標を達成できない──という状況に陥りがちだ。 そうした場合に、案件の少ない所属から人員を引っ張ってこれるようにするのが出稼ぎ制度──だったはずだ。 所属に囚われず、使える人員は活用するという、合理性を突き詰める外資系ITならではの制度だ。 だが、そんな制度が頭の硬い十月に導入されるのだろうか。にわかには信じがたい。 「そのテスト導入を佐野には手伝ってもらいました」 「なっ……」 驚いて伊坂の方を振り向く。伊坂は眉一つ動かしていない。 その堂々たる嘘つきっぷりに、思わずぽかんと口を開けた。 「ていうことなのかあ。佐野くんがいいたいことは。なるほどねえ。そのために呼び出したんでしょう?」 伊坂の嘘に乗っかっていいのかどうか図りかねたまま、佐野はしどろもどろに答える。 「いや……まあ、そうといえばそうですが──」 「そうです」 言い淀んでいると、横から伊坂がキッパリとした口調で割り込んでくる。 もはや訂正したほうがいいのかどうかもわからなくなってまごついていると、突然藤田が大声を出して伸びをする。 「はああ〜、よかった〜」 「よ、よかった……ですか?」 よかったことがあるのだろうか。仮に経営企画の案件だったとしても、藤田に無断で動いていたのは事実なのだから、怒られこそすれ、よかったなんてことはないはずなのだ。 「よかったよう〜。僕、てっきり佐野くんがやめちゃうのかと思ってここにきたんだからね。部下からの話がありますって怖いんだからさあ。佐野くんみたいな一生懸命な若い子がやめられたら、僕もうショックで立ち直れないよお」 確かに、人材の流失が続く十月電気で、「話がある」は恐怖のフレーズなのかもしれない。 心底安堵したという様子の藤田に、佐野はあわてて頭を下げた。 「俺、全然そんなつもりなくて……紛らわしいことしてすみませんでした」 藤田は佐野の謝罪などほとんど耳に入らないと言った様子で、「あ〜よかったあ」と繰り返しながら続けた。 「篠原からも怒られるところだったよお。あいつ妙に佐野くんのこと気に入って、今すぐにでも経営企画に引き抜こうとするのを僕が必死に止めたんだからさあ。伊坂くんとのタッグをずいぶん気に入ったみたいで」 「伊坂との、ですか?」 「そお。若者同士の切磋琢磨はすばらしい──とか言ってたよ。君たち、二人ともタイプが違うから相性がいいんだろうし」 「それはまあ、そうかもですが……」 藤田は満足そうに笑った。 「いいコンビだね」 「ありがとうございます」 そう言って頭を下げると、藤田が気持ちを切り替えるように「さて」と声を出した。 「伊坂くんには外に出てもらおうか。佐野くんには宿題の説明をしなくちゃいけないからね」 先ほどとは打って変わって意味深な表情を浮かべている藤田に、おそるおそる問いかける。 「宿題ってもしかして……」 「これだね」 そう言って藤田はプリントアウトした紙を一枚、佐野の前にずいと差し出した。 A4の紙切れには、堂々と「始末書」と記載がある。 ──やっぱり。 「書かなきゃ……ですよね?」 「もちろん」 非情も藤田はキッパリと頷いた。藤田は確かに好々爺然としているが、しめるところはしめるのだ。そうでなければこの十月電気では管理職にはなれない。 「罪状は、上司に未申告で別の部署の業務に着手したこと」 それって、と思って佐野はぱっと顔を上げた。藤田は経営企画の案件のことを指しているのだろうか。 ──それとも、便利屋のことを言っているのだろうか。 「藤田さん……」 「僕が添削してあげるから! はい、書いてみてねえ〜。伊坂くんはお疲れ様。ありがとうねえ」 藤田はそう言って顔の前でゆるゆると手を振って見せた。伊坂は佐野のことをちらりと見てから「失礼します」と立ち上がり、部屋を去った。 躊躇いながらペンを取り出して書き出そうとした佐野に、藤田がペットボトルの水を飲みながら「そうそう」と声をかける。 「始末書のコツって知っている?」 「コツですか?」 「そう。僕は過去に三回始末書を書いたことがあるんだけどねえ。当時の上司の秘伝のコツは、なるべく、大きい字で、ぼんやりふんわり、書くように、だったねえ。オーケー?」 そう言って藤田はにやりと笑う。 やっぱり藤田は何もかもお見通しなのかもしれない。 身体中に溜まった緊張や恐怖、罪悪感や羞恥が、しゅるしゅると外に出ていくような感じがする。 会社を辞めることになるだろうと思ってここにきた。失望され、軽蔑されるに違いないと思い込んでいた。 けれど──。 「……ありがとうございます」 かすれた声でいうと、目から水滴がぽとりとこぼれ落ちた。

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