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第20話 突然の告白
時計が二十一時を回ったのを確認して、佐野は自席を立ち上がった。
いつもの癖で周りに誰もいないことを確認して、非常階段へ向かう。
生ぬるい空気と湿気の充満した非常階段を降りながら、ぼんやりとここ数日の出来事を思い出した。
藤田に言われて始末書を書いてから一週間。藤田の計らいか、伊坂の口添えが功を奏したのか、佐野には処分という処分は下されず、本当に始末書だけで済んでしまった。
竹内はというと、藤田のゴリ押しで若く優秀なエンジニアを配下につけることに成功したらしい。
クビ覚悟の告白だったぶん、こんなにもあっさりとカタがついてしまうと拍子抜けしてしまう。
せめてもの詫びにと、言われもしないのに来期に向けて採用ページの新デザインを発注してみたり、説明会の場所を予約してみたりとせっせと働いたが、ついにやることがなくなってしまった。
非常階段の扉を開けると、伊坂が早くも郵便室の前にいた。
待たせてしまっただろうかとあわててそばへと駆け寄る。
「ごめん、伊坂ちゃん。呼び出したの俺なのに。待った?」
「そんなには」
伊坂を郵便室へ呼び出したのは、始末書を書き終えたその日のことだった。
だが、伊坂は伊坂で多忙なのか、佐野とは全く都合が合わず、結局会えるのは今日になってしまった。
「中、入ろうぜ」
郵便室の鍵を開けて促すと、伊坂がこくりと頷いて後をついてくる。
別に廊下で話すのでもいいが、なんとなく落ち着かない気がする。なにしろ、伊坂には聞かなければならないことがたくさんある。
その辺にあった適当な段ボールの埃をいい加減にはらい、腰掛けた。それを見た伊坂の眉間にシワがよる。
「伊坂ちゃんも適当に座りなよ」
「座らない」
「あ、そお? 意外とケッペキだな。って意外じゃないか」
もぞもぞと段ボールの上で座り直しながら、伊坂を見上げる。
「伊坂ちゃん、まずはこの間はありがとうな。伊坂ちゃんのおかげでどうにかクビにならずに済んだ」
伊坂の目を見てはっきりと礼を言う。ずっと伝えたかった言葉を口にできて、肩の荷が降りた気分だ。
佐野の言葉に、伊坂はこくりと頷いた。
「けど、あんな嘘ついて大丈夫だったのか? 俺が出稼ぎ制度ってやつの試験運用を任されてたなんて……。その新制度自体は本当にあるんだよな?」
出稼ぎの制度が十月電気に導入されること自体は、まだ全社的に公開されているわけではないので、どこにも情報は存在していない。佐野からすると、本当に実現するのかどうかすら確信が持てない。
「ああ。例の制度自体は一年以内には導入される予定だ。来月からは試運転として、部署横断の人員補充を実施する」
「来月から……意外と、すぐなんだな。結構前から計画していたのか?」
「大体半年前からだ。その頃から各社の制度を調べたりしてはいた」
「半年前……」
半年前と言うと昔のように聞こえるが、この十月電気で何か新しいことをしようとするにはかなりスピーディな部類だ。
通常の業務に加え、半年間で他社の制度を調査し、導入に向けて意見をまとめ上げ、上長の承認を得るなんて──とてもじゃないけどできそうにない。
「──佐野。もう一度聞く。便利屋はお前なのか?」
伊坂が佐野を真っ直ぐに見下す。
静かな声で佐野は答えた。
「そうだよ。俺がずっと、便利屋をやっていた。この場所で」
伊坂は痛いほど真っ直ぐに佐野を見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「……だとしたら、お前のおかげだ」
「え……?」
予想外の言葉に佐野は眉根を寄せた。
便利屋のおかげとはいったいどういうことなのだろうか。
「便利屋の噂を聞いたのが半年前だった。本当にたまたま、休憩室で耳にした。多分誰もいないと思っていたんだろうが、便利屋にずいぶん救われたと、女性社員が電話で誰かに話していた。どうしても手の回らない業務を片付けてくれた、まるで魔法のようだった──と」
「そんなことが……」
佐野は内心驚きを隠せなかった。半年前は、佐野が便利屋の活動を始めて間もない時期にあたる。伊坂が便利屋の情報を掴んでいたのは、ずいぶん初期の頃からだったのだ。
「最初は、腹が立った。エンジニアの業務は秘匿性が高いものもある。明確なコンプライアンス違反なうえに、十月電気の正常な自浄作用が働かなくなる恐れがある。浅慮だと」
「それは……ごめん」
それは以前にも伊坂と口論になったポイントだった。しょぼくれて謝ると、伊坂が「いや、違う」と答えた。
「だが、その話を聞いて、会社が公式的に便利屋に類する業務を導入すれば良いのではないかと思って、他社の事例を興味本位で調査したんだ。……結果、似たような制度はたくさんあったから」
「それで、その制度を導入しようと思ったってこと? マジで俺の便利屋ごっこがきっかけなの?」
「ああ」
「マジか……」
佐野の胸は熱くなった。衝動的に始めた活動が、まさかこんな形で実を結ぶとは思わなかった。
伊坂がふいに床にしゃがみ込み、佐野と目線を合わせる。伶俐な瞳に見つめられると心臓がどきりとした。
「……お前には悪いことをした。批判しておきながら、手柄を横取りするような形になった」
「んなことないって! どうせいつかは止めなきゃなんないこと、俺もわかってたんだ。こんなこと長く続けられないって思ってたし……。それに俺は、制度化するなんてこと、思いつきもしなかったんだし」
口元に苦い笑みを浮かべる。
十月電気は変わらない、変わる気がないと諦めていたのはこの自分だ。
何か帰るべきだと思っても、どうせ無理だと諦めて、伊坂のような努力を佐野はしなかった。自分一人で突っ走って、いつか限界がくることを知りながらも、会社と交渉しようと言う気を起こさなかった。
ある意味ではとても怠惰だったし、会社員としては失格だろう。
苦い気持ちを押し殺し、顔を上げて伊坂に笑いかける。
「でも、まあ、それのお詫びに庇ってくれたって感じか? だとしたら、納得いく! ありがとな」
経営企画の案件の手伝いをしてもらっていたと言うのは、なかなかリスキーな嘘ではある。到底嘘などつけそうにもない伊坂の発言だけに、表向きはそれで押し通せてしまっているのようなのだが。
「違う」
「え? 違うの? じゃあなんで?」
「──辞めるつもりだっただろう。十月電気を」
伊坂が真っ直ぐに佐野を見据える。その口ぶりも目線も、怒っているようだ。
佐野はぽかんと口を開けた。
「伊坂ちゃん、俺に会社辞めてほしくないの……?」
そう口にすると、伊坂は不愉快だとでもいいたげにぷいと顔を逸らした。
「辞めてほしくないわけではない」
「ええ……?」
「お前は会社の人間関係は会社の人間関係と割り切っているタイプだろう」
「いや……まあ、そうだけど」
「だからだ」
「えーん、マジで何言ってんの? 伊坂ちゃん。俺全然わかんねえよ」
こんなにもわかりにく言い回し、まるで伊坂らしくない。
伊坂の腕に巻きついて、「いつもみたいな感じで教えてくれよお」と泣きついた。
すると、伊坂が諦めたような眼差しになり、口を開いた。
「好きだ。……放せ」
「うえ?!」
驚いて喉の奥からつぶれたような声が出る。
「す、すすす、好きってどういうこと……?」
伊坂はやぶれかぶれの勢いなのか、淡々と続ける。
「これからも会いたい。会社を辞められたら会えなくなるのが嫌だ」
「あ、そういう……? 友達としてとかなら……これからも会えるんじゃ……」
伊坂は呆れ返ったようにため息をついた。
「好きだと言っただろう」
「へ?」
「友達としてじゃない」
「付き合い……たいってこと?」
伊坂は「ああ」と頷いた。
「そんなことは承諾しないだろう。だから同僚の方が都合が──」
「待て待て待て、伊坂ちゃんが俺と?!」
そんな、都合のいい話があっていいのだろうか。
全身の体温が上がり、汗が吹き出してくる。
「……嫌じゃないのか」
「嫌なわけ、あるかよ……」
伊坂の影が動き、しゃがんだまま体を寄せて佐野の顔を覗き込む。
「……顔が赤い」
「見んな」
うめくように言う。自分でもわかるほど、首から上が火がついたように熱い。
「佐野……」
伊坂は佐野の様子で何かを察したらしく、佐野の腕をそっと引き寄せた。
「……」
抱き寄せて、何かを言い出すのかと思ったら、伊坂は相変わらず無言のままだ。
佐野は伊坂の腕の中で笑い出したい気持ちになる。
伊坂はいつも、おかしな時に黙ってばかりいる。本当にマイペースなやつだ。
というか、結構変なやつなのかもしれない。
その端正で色のない顔を数秒見つめて、佐野は伊坂に好きだという代わりに、そっとキスをした。
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