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学習と隷属
地下室の冷たい空気が、青白い魔力によって微かに震えた。クロウは眼前に跪く男の下腹部へ、容赦なく冷徹な指先を突き立てる。
「動くな。特別な術式を与えてやる」
紫黒の魔法陣が、未だ放出を許されず熱く脈打つ肉の根元へと広がった。
複雑な術式が幾重にも重なり合い、肉組織の奥深くへと焼き付いていく。
「っ……?!あ、が……っ。熱い、何かが、内側に定着していく……。これは、一体……」
「お前の『放出』を禁じる術式だ。お前はどれほど昂ろうとも、俺に許されるまで一滴たりとも出すことは叶わない。一生、俺に与えられる快楽の渇きに悶え続けろ」
傲然と言い放つ少年将軍を、エリシオンは拒絶するどころか、潤んだ青い瞳を狂信的な輝きで満たして見つめ返した。
「……そうか。それは素晴らしいな、クロウ」
疑いもなく、至上の救済として頷くその素直さが、どうにも調子を狂わせる。本当にこいつを屈服させられているのだろうか、という奇妙な焦燥が胸を過ったが、それを振り払うように不快げに舌打ちをして踵を返した。
「……ついてこい」
◇
地下室を出て、屋敷の裏口から魔界の深い森へと足を踏み入れた。敗戦直後の荒涼とした大地は、異様な静寂に包まれている。
衣服も身につけぬ全裸のまま、斜め後ろをぴったりとついて歩く大きな従者に、ちらりと視線をやる。
一晩中蹂躙された身体は、歩を進めるたび小さく震えているように見える。
歩く動作すら快楽へ変わっているらしかった。
それでも姿勢だけは、英雄だった頃のように美しい。
羞恥心という概念がないのか、勃起したままの楔を隠そうともせず、周囲の景色を興味深そうに眺めている。
「あまりキョロキョロするな」
「すまない……。だが、初めて見るものばかりだ」
ほどなくして、岩肌に隠れた小さな洞窟へと辿り着いた。奥には広い空間があり、透き通った地下水が静かに揺らめいている。
「入れ。淫液に塗れたその身体を洗う」
言われるまま、迷わず水の中へ大きな身体を沈めた。ひんやりとした水面が火照った肌を包み込んだ瞬間、「はぁっ……」と、快楽とは違う短い吐息が漏れる。
「……それで? 次はどうすればいい?」
「……まさか、身体の洗い方も知らないのか?」
「ああ。私は戦うためだけに生み出された存在だ。このように、水に浸かったことはない」
数秒の沈黙。
ただの兵器として消費されるはずだった男の無知さに、僅かな憐憫のようなものが脳裏をよぎる。だが、すぐにそれを冷酷な支配欲で塗りつぶし、深いため息をついた。
「神だの奇跡だの言うが、やはり欠陥品だな。……見ていろ」
近くの薬草を摘み、手のひらで揉み潰して見せる。華やかな香りが洞窟内に広がった。
「こうして手で揉むと香りが立つ。これで汚れを落とすんだ。やってみろ」
「なるほど……。良い香りがする」
真剣な表情で手元を観察し、ぎこちない動作で淡い白金の頭髪を濡らし、逞しい肩を擦り始めた。戦場で世界を滅ぼしかけた怪物が、子供のように無垢な瞳で、必死に自分を真似ている。
そのあまりのギャップに、心のどこかが引っ掛かった。
ひと通り汚れの落ちた身体の水気を風の魔術で吹き飛ばしてやると、そこには腹立たしいほど見事な「神の兵器」が佇んでいた。
「……本当に、気に入らないな」
歪んだ独占欲を誤魔化すように指を鳴らし、直属を示す紋章が刻まれた黒鉄の首輪をその首へと嵌め込む。さらに召喚術式を重ね、屋敷の最下級の従者が纏う、漆黒の礼装をその巨躯に着せ付けた。
薄手の布地が、未だ熱を持つ胸元や下腹部に擦れた瞬間、長い睫毛がかすかに震える。よく見ると、張り詰めた突起がしっかりと布地を押し上げていた。
「どうせその首輪も、お前なら簡単に外せるのだろうが……これは俺の所有印だ。不用意に壊すなよ」
「……ん、わかった」
◇
執務室には、朝から書類の山が積み上げられていた。
魔王亡き後の政務、各地の被害報告。息をつく暇もない。羽ペンを走らせるクロウの背後には、黒い礼装に身を包んだ男が、微動だにせず静かに立っていた。
「クロウ、ひとつ質問をしていいか」
「……何だ。忙しいと言っているだろう」
「昼食とは、何だ。先ほど皆が『昼食だ』と言って、酷く嬉しそうに部屋を出て行った。あれは、どのような儀式なのだ?」
羽ペンがぴたりと止まった。静かにペンを置くと、深く椅子に背を預ける。
「お前……本当に、全てを知らないのだな」
「知らない。だから、お前に教えてほしい」
一点の曇りもない青い瞳。この男には、生命活動を楽しむという概念そのものが存在しなかったのだ。
かつて敵として対峙したときの恐るべき威圧感はどこへ行ったのかと、目の前の無垢な存在に奇妙な目眩を覚える。
「昼食は、生命を維持するための食事のひとつだ。一日に三度、小分けにして栄養を摂取する」
「私は光だけでまかなえる。必要ないが?」
「魔界では人間界より光が薄い。口から摂取できそうならやってみろ」
素直すぎる返答に、わずかに毒気を抜かれる。しかし、真面目な顔のまま、さらに問いは重ねられた。
「では、もうひとつ。この服は、何故着るのだ? 私は暑さも寒さも感じない。いつでもすぐに体を差し出せるように、裸で過ごしていた方が都合が良さそうだが……」
「……社会性だ。身分や、誰の所有物であるかを表すために、意思を持つ者は服を着る。お前がその黒い服を着ていることで、周囲はお前が俺の物だと理解できる」
「社会性……。なるほど……服が肌に触れるだけで、体が疼く。これは私にも、しかと自分の立場を理解させる素晴らしい仕組みだな」
「――っ、お前は本当に……!」
思わず机を叩くと、部屋の外の秘書官たちがびくりと肩を震わせた。
感情を滅多に表に出さない将軍が、これほどまでに翻弄され、怒りを露わにしている。それなのに、怒りの元凶は主人に知識を与えられた幸福感を噛み締め、ほんのりと頬を染めているのだ。
額を押さえた。戦場での怪物と、現在の従順な下僕。どちらが厄介なのか、もはや判断がつかなかった。
机の上に、分厚い本をいくつか積み上げていく。『魔界生活入門』、さらには子供向けの絵本や図鑑。
わざわざ召喚魔法で取り寄せた日常の常識本だ。
「字は読めるな?それを隅々まで頭に叩き込め。いちいち俺に質問をするな」
「ああ、読める。ありがとう、クロウ」
差し出された本を、壊れ物を扱うように両手で大切に受け取る。
背筋を真っ直ぐに伸ばして椅子に腰掛け、真剣そのものの横顔でページの文字を追い始めた。さらりとした髪が肩に流れ、ただ座っているだけで一幅の絵画のようだ。
「……読んでも分からなければ、教えてやる」
「うむ。私は、もっと多くのことを知りたい」
その何気ない純粋な言葉に、少しだけ居心地悪そうに、フイと視線を書類へと戻した。
不本意ながらも、その底なしの従順さに、自らの支配欲がじわじわと甘く満たされていく。征服欲とは違う、その奇妙な充足だけが、胸の奥に残った。
◇
薄暗い執務室の窓の外で、魔界の紫色の空が完全な漆黒へと沈んでいく。
最後の書類に決裁印を押し終えた頃には、夜もすっかり更けていた。羽ペンを投げ出すように机に置くと、凝り固まった肩を回して深く息を吐き出す。
背後に目をやると、男は与えられた本を、微動だにせず熱心に読み耽っていた。その生真面目すぎる姿を見つめ、思わず鼻で笑う。
「エリシオン、仕事は終わりだ。私は水浴びへ向かう」
「うむ。供に行こう、クロウ」
静かに本を閉じると、音もなく立ち上がり、当然のように後ろに続いた。
昼間訪れた洞窟。夜の闇に包まれた水面は、冷徹な鏡のように静まり返っている。
衣服を脱ぎ捨て、躊躇うことなくひんやりとした水の中へと身体を沈めた。少年のように華奢な体躯が、水面の下でゆらゆらと揺らめく。
エリシオンは水溜まりの淵に佇み、その光景をじっと見つめていた。
水に浸かったまま、不快そうに目を細めて釘を刺す。
「……おい。あまり見るな」
「すまない……。だが、どうしても目を奪われてしまうのだ」
視線の先。水面から透けて見えるクロウの肉体——その可憐な体躯にはおよそ似つかわしくない、規格外の禍々しいサイズをした『それ』。
それは、知略で魔界を統べる天才将軍が秘める、雄としての器だった。
ふと、先ほどまで読んでいた本の知識を思い返す。
「私は先ほど、本で学んだ。従者たるもの、主人には悦びを与えねばならないと」
「……ほう?」
与えられた衣服を濡らすことも厭わず、水溜まりの淵に両手と両膝を突いた。大柄な身体を小さく折り曲げ、四つん這いの姿勢をとる。
そして、水面にいる小さな主人を縋るように見上げ——端正な唇を大きく「あー♡」と無防備に開いた。さらに、生々しく濡れた赤い舌を、これでもかと長く突き出して見せる。
聖なる英雄だった男が、まるで犬のように舌を垂らして這いつくばっている。
そのあまりにも無様で従順な姿に、邪悪な真紅の瞳が妖しく輝く。クロウは静かに冷徹な笑みを浮かべた。
「いい面だな、エリシオン。本の知識を早速試そうというわけか。……よろしい」
水面から自らの腰を浮かせ、その規格外の凶器を、四つん這いで舌を出す英雄の目の前へと見せつけた。
「ならば、その無様な舌で、俺のこれを悦ばせてみせろ。お前の喉の奥までみっちり満たして、魔族の種の味をたっぷり教えてやる」
「……っ、はあぁ……っ♡」
命じられた瞬間、男の下腹部が切なくきゅっと跳ね上がった。主人の強大な存在を目の当たりにし、歓喜に瞳を蕩けさせながら、頭をさらに低く下げ、突き出した舌をクロウのモノへと這わせようと、ゆっくりと顔を近づけていく。
「うむ……っ、ん、ちゅ、あむ……っ」
躊躇いなく口内に迎え入れ、喉を鳴らして必死に吸い付いた。
クロウは、自身の凶器を懸命に咥え込む英雄の髪を掴み、腰を小さく揺らしながら冷たく見下ろす。
「んぐっ、ゴボッ……!んむ……?」
あまりの質量に、顎が外れそうになる。口腔の限界まで喉奥の肉壁が押し広げられ、特有の臭いがツンと刺す。
嘔吐反射を無理矢理抑え込んだ生理的な涙で潤んだ瞳には、しかし純粋な悦びが宿っていた。
「胸の突起が衣服の上からでも分かるほど主張しているぞ。両手で触れることを許可してやろう」
「っ……!」
四つん這いの姿勢を保ったまま、震える両手を自身の胸元へと伸ばした。
仕立ての良い黒の衣服の上から鷲掴む。ピンと立ち上がった部分を、指先で容赦なく押し潰し、引き千切れんばかりに引っ張る。
「んんーっ、むぅぅっ……!♡」
喉奥を完全に塞がれているため、鼻から抜ける甘い悲鳴が洞窟内に響き渡る。
己の手で胸を激しく蹂躙する快楽と、粘膜を直に貫かれる苦痛。それぞれが脳内で混ざり合い、思考は真っ白に融けていく。
衣服の摩擦と自身の指の愛撫によって、下腹部の禁呪を施された性器は一滴も出せないまま、ビクビクと痙攣していた。
喉奥が締まる。絶頂している。
その倒錯しきった無様な姿に、サディズムは最高潮に達する。
「そうだ、いい声だ。本当に、ああ、放って置けないな……お前は」
ふっと表情を和らげると、掴んでいた髪を、今度は慈しむように優しく、ゆっくりと撫で回した。サラサラとした感触を指先で楽しみながら、喉の奥をさらに深く、容赦なく蹂躙していく。
「ゴフッ、ぶっ、んはぁ……、く、ぅ……っん?」
ふいに腰の動きが止まる。
ふぅ、と熱い息を吐き出すクロウ。ドクドクと彼自身が強く脈打ち始めた。
口内の熱と、底なしの従属が、理性を心地よく焦がしていく。
「んっ……はぁ、……おい、よく見ていろ。これが、お前が必死に考えていた『生きる意味』の、答えだ……しかと受け止めろよ」
「……っ!?」
低く囁いた直後、男の口腔の最奥へ、熱い弾丸のような精蜜が勢いよく、何度も、何度も迸った。
「んぐ、ぅ……っ!? む、んぅぅーーっ!!♡♡」
あまりの熱量と質量に、青い瞳が大きく見開かれる。
読み込みきれないほどの濃厚な熱が喉を焼き、鼻から逆流し、強制的に胃へと流し込まれていく感覚。それは、戦うためだけに生み出された彼が、生まれて初めて知る『他者の生命を体内に受け入れる』という圧倒的な支配の儀式だった。
全てをその口内へと注ぎ込むと、息を荒げながら、恍惚に蕩ける額の汗を優しく拭ってやった。
「どうだ、エリシオン。これが『射精』だ。……お前には一生、自ら行うことは許されない、主人にのみ許された至高の快楽だ」
「ゲホッ、ぐっ、んはぁ、は……あっ♡」
口元から淫液をだらだらと垂らし、主人の足元へ幸福そうに額を擦りつける。
「クロウ……ああ、これが『射精』……。お前の『射精』で満たされることが、こんなにも、愛おしい……っ」
◇
水浴びを終え、風の魔術で髪まで乾かした二人は、洞窟を後にした。
屋敷の最上階にある、クロウの寝室。地下室とは対照的に、柔らかな絨毯が敷き詰められ、上質な木材で設えられた、機能的かつ豪華な部屋だった。
クロウはクローゼットから、薄手で肌触りの良い、紺色のシルクのローブを取り出した。手慣れた動作で身に纏うと、立ち尽くしているエリシオンへ、もう一着、同じ素材で仕立てられた、大柄な彼に合わせた純白のローブを放り投げる。
「……それは?」
エリシオンは受け取ったローブを不思議そうに掲げ、色素の薄い青い瞳を瞬かせた。従者の服とはまた違う、頼りなく、柔らかい布地。
「……これは、儀式に必要な礼装か?」
「ただの寝衣だ。……儀式は行わない、礼装でもない」
クロウは額を押さえた。こいつに何かを教えるたびに、自分の常識が試されている気がする。
「これから行う『睡眠』という行為を効率よく行うためには身体を締め付けず、適度に保温するこのローブが最適なのだ。……黙って着ろ」
「理解した。効率よく身体を休めるための……寝衣。やわらかく心地よい」
エリシオンは納得したように頷くと、その純白のシルクのローブを身に纏った。
あまりにも無垢で、しかしどこか倒錯した受け入れ方。クロウはそれ以上突っ込む気力を失い、部屋の中央に鎮座する、大きなベッドへと潜り込んだ。上質な羽毛の布団が、クロウの華奢な身体を包み込む。
エリシオンはローブを纏ったまま、ベッドの傍らで微動だにせず、ただクロウを見つめて立ち尽くしていた。
「……何をしている。さっさと来い」
クロウは寝具にに横になったまま真紅の瞳を向け、冷たく命じた。
「……来い? どこへ……」
「……俺の隣だ。……お前も、寝るんだよ」
彼は、クロウの動きを一つずつ思い返しながら、ゆっくりとベッドへと滑り込んだ。上質なシーツが、彼の逞しい身体を優しく包み込む。主人の匂いと、布団の温かさ。それは、戦うためだけに生み出された彼が、生まれて初めて知る、安らぎだった。
しかし、エリシオンはそれ以上どうしていいか分からず、布団の中で目を見開いたまま、隣のクロウをじっと見つめていた。
「……クロウ。次はどうすればいい?」
「……静かにしろ。……目を閉じろ」
クロウは不快そうに目を細め、隣の大きな身体を睨みつけた。
「目を閉じて、呼吸を整えろ。……意識を外ではなく、内側へと向けるんだ。……そうすれば、自然と意識が遠のき、身体が休まる。……それが『眠る』という行為だ」
「……眠る。……意識を内側へ、向ける……」
エリシオンは、教えられた通り、色素の薄い青い瞳をゆっくりと閉じた。
意識を内側へと向けてみる。だが、どれほど時間が過ぎても、意識は一向に遠のく気配を見せなかった。
エリシオンは、光の概念そのものとして生み出された存在だ。彼の本質は、闇を否定し輝き続けることにある。そのため、自らの意識を「眠り」という無防備な闇の中へ投じるという行為が、どうしても理解できず、身体が拒絶してしまう。
(……眠れない。意識を、闇へ……?)
布団の中で、色素の薄い青い瞳を静かに開く。
隣では、紺色のシルクのローブを纏った主人が、規則正しい、微かな寝息を立てていた。邪悪な真紅の瞳は閉じられ、冷徹な軍師の面影は消え失せている。その、少年のように無防備で、幼さの残る横顔を、エリシオンはただじっと見つめていた。
エリシオンは、布団から、逞しい手をそっと伸ばした。主人の頬に、躊躇いがちに触れる。
「……っ」
指先から、クロウの体温が伝わってきた。
穏やかで、生命の営みを感じさせる。とても優しい温かさ。
その温もりに触れた瞬間、胸の奥に安堵の波が広がった。
小さな身体を、自らの逞しい腕でそっと抱き寄せる。
主人の匂いと、規則正しい鼓動。
腕の中には、クロウの温もりがある。
それだけで充分だと思えた。
エリシオンは、再び、ゆっくりと目を閉じる。
そして、腕の中の主人と同じリズムで、呼吸を繰り返す。
(……クロウの、鼓動……。温かい……)
絶対的な光の英雄は、生まれて初めて、自らの意思を、闇の中へ投じることを、受け入れた。
気がつけばエリシオンは、主人の温もりに包まれたまま、深く、安らかな眠りへと、落ちていった。
◇
「おい……」
鼓膜を震わせた低く不機嫌な声に、エリシオンは静かに目を覚ました。
布団の中で視線を落とすと、紺色のシルクに包まれた主人の小さな身体が、自らの逞しい両腕の中にすっぽりと収まっている。それも、微塵の隙間もないほどガッチリとホールドされており、天才軍師たるクロウは完全に身動きが取れずにいた。
「いつまでそうしているつもりだ馬鹿者。俺をぬいぐるみか何かと勘違いしているのか」
睨みつけてくる真紅の瞳は、怒りと、そして思い通りに動けない屈辱で微かに潤んでいる。大柄な男に圧し折られんばかりに抱きしめられている現状が、彼のプライドを酷く傷つけているようだった。
しかし、エリシオンはその不機嫌な拒絶を浴びても、ただ幸福そうに目を細めるだけだった。
腕の中から伝わってくる確かな熱と、胸に響く規則正しい鼓動。
「すまない、クロウ……。だが、お前のおかげで、私は初めて『眠る』ことができたのだ。感謝している」
絶対的な光である自分が、恐れることなく意識を闇に投じることができた奇跡。魂の奥底から湧き上がる深い感謝と愛おしさを抑えきれず、エリシオンは腕の中の主人をさらに愛おしげに引き寄せた。
そして、頭上で堂々と伸びる高位魔族の証――その漆黒の二本の角へ、そっと、慈しむように唇を寄せた。
「っ、お前……どこに触れている……!?」
魔族にとって敏感な部位である角に、一切の躊躇なく、かつ純粋な敬愛を込めて口付けられ、クロウの身体がビクリと跳ね上がる。
壊して辱めるはずの家畜から、あまりにも無垢で全盲の情愛を注がれ、少年将軍は言葉を失う。その頬はわずかに熱を帯びていった。
怒りと羞恥、そしてその奥底から湧き上がる名状しがたい動揺。ガッチリとホールドされた腕の中で、必死に身体を捩り、抵抗を試みる。
「離せ……! 命じられなければ、何一つ自分ではできないくせに、こういう時だけは……この、愚図が……っ!!」
「すまない、クロウ。……しかし、私はお前に感謝しているのだ」
腕の中で暴れる小さな主人を、まるで心地よい子守唄であるかのように受け流す。むしろ、腕の中の温もりを離すまいと、さらに深く、逞しい両腕でクロウを抱きしめた。
「私は、光であり続けなくてもよいのだと、思えた」
エリシオンの、低く、穏やかな声が、クロウの耳元で心地よく響く。
「ふん……神の兵器が、何を、戯言を……っ」
クロウは、そう吐き捨てながらも、抵抗する力を失いつつあった。エリシオンの腕の中から伝わってくる、確かな熱と、鼓動。
(馬鹿な、この俺が……?)
クロウの胸の奥で、確固たる信念が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる。
自らの意思で完璧に飼い慣らされていく最強の英雄を前に、クロウのサディズムは、予想外の形で満たされ、そして、それ以上の何かが、彼の中に芽生え始めていた。
それは、天才軍師たる彼にも、まだ、名前のつけられない、歪で、温かい感情。
クロウは、不意に、エリシオンの、白金の髪を、掴んだ。
「……おい、エリシオン。……顔を上げろ」
「うむ……? クロウ……?」
言われた通り、ゆっくりと頭を上げる。色素の薄い青い瞳が、真紅の瞳を、じっと見つめる。
「いいか?お前は俺の所有物だ。……つまり、俺の許可なく、俺に触れることは許さない。……理解したか」
「……理解している。私は、お前の所有物。……お前の望む通りに、私は在る」
頷き、迷いなく答える。柔らかい微笑み。
腕の中の小さな身体を、さらに強く抱き寄せた。
「……っ、だから、離せと言っているだろう……!」
発言と行動がチグハグのエリシオン。その分厚い胸板を両手で強く押し、抵抗を試みる。
クロウが解放されたのは、それからもう少し時間が過ぎてからだった。
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