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1.LOCK/診断(1)

『うさぎのポーズで せーのっ ぴょーん!』  テレビの中は、子どものための世界。  イオリはベージュのマグカップを洗い、水切りカゴに伏せる。  手元を照らす、窓を通った朝の光。シンクに落ちる網目の影の中に、マグカップの影が重なる。排水口に流れていく泡。最後一つが、なかなか消えない。  ポケットの中で、スマートフォンが短く震える。出掛ける時刻に合わせたアラーム。  画面には「瀬戸先生の診察とバイト」と浮かんだ。  それだけで、足が軽くなった気がした。  小窓のロックをもう一度確かめ、テレビのリモコンを手に取る。 『それじゃあみんな~ きょうもげんきに、い』  リモコンの赤いランプが光る。  ぷん――と微かな音が聞こえた気がした。  カーテンを軽く捲ると、暗い灰色のシャッターが、大きな窓の向こう一面を覆っている。  キッチンだけが明るい。  テレビの音が消え、ヒヨドリの地鳴きが、玄関にまで届いていた。  壁に手をつき、底の薄いスニーカーに足を滑り込ませる。指先が、下駄箱の上のハンカチに掠め、パタン、と写真立てが倒れた。一瞬だけ心臓が縮む。 「……ごめん」  写真立てを優しく起こし、すぐにハンカチを元のように被せた。  つま先でタイルを二回蹴る。結び目はまだ硬かった。 「よし。……いってきます」  冬の手前、空気の乾いた土曜日の朝、イオリはいつものように家を出た。頬に、日射しの弱い温もりが染みる。  細く柔らかい髪が、風に揺れた。口に髪ゴムをくわえ、項に近いところでざっくりと一束に纏めながら歩いていると、ゴミ捨て場の掃除をしていた婦人が手を止める。向かいの家の住人だ。  あらおはよう、と声を掛けられた。 「おはようございます。寒くなってきましたね」  アンティークゴールドのカラーに丸いフレームのメガネを指先で直しながら、イオリは少しだけ首を傾げ、婦人へ微笑んだ。いかにも人当たりの良さそうな、ふにゃりとした笑み。  大抵の人は、これで安心する。  婦人から、おかずのお裾分けを提案された。夕方取りに行きます、と会釈をして別れる。  ワイヤレスイヤホンを片方だけ差し込み、ポケットからスマートフォンを取り出して、音楽を流した。手を離すと、再びポケットの中にストンと重み。  フラットな薄いスニーカーが右、左と、規則正しく前に出る。  ブラシが地面を掃くシャッシャッと乾いた音が、イオリの背中から遠ざかって、やがて角を曲がる頃には聞こえなくなった。  頬を意識するのを、やめた。

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