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1.LOCK/診断(2)
銀色の電車が走る。建物が右から左へ次々と流れていく。ダイヤは乱れない。
「電車とホームの間が、開いております。お降りのお客様は、足元にご注意ください」
誰にでも優しい声。
ガコン、と重たい機械音に続いて、ドアが左右に開いた。目の前に黒い線。十センチとすこしの隙間。なのに、底が見えない。
一瞬、重心が曖昧になる。
前の人の背が動く。イオリも同じように足を出した。
電車を降り、改札を抜けて人の流れを遮らぬように距離を取って、イオリは駅出口の片隅に立ち止まった。
スマートフォンに未読のメッセージの知らせが二件分、浮かんでいる。イオリの白い親指が、液晶の上を滑った。
一件は大学の同期から届いた、飲み会の誘い。
『今度の飲み来るよな? お前が来てくれると』
スワイプする。
残ったメッセージが、上へ上がった。
『十時に。準備は出来ているね』
――喉が、ひくりと鳴りかけた。
月に一度の「診察」。
先生に、会える。
イオリは舌の奥で音を抑え込み、スマートフォンを胸に押し付け、喉を反らし上を向いた。
胸に、甘い痛みが広がる。
排気ガスに晒されて所々煤けた天井。汚れた蜘蛛の巣が、微かに揺れていた。
主は、いない。
「は――……」
頬に手を当てた。熱を逃がして、また歩き出した。
小規模な商店街を抜けた駅の裏に、ブラウンの高層マンションが並ぶ。そのうちの一棟のエントランスへ向かった。
パネルで部屋番号を呼び出して、中へ。胸が浮つき、少しだけ早足になる。エレベーターの前でイオリがスマートフォンに視線を落とすと、九時五十四分と表示されていた。カバンの中へ端末を仕舞えば、耳鳴りがするほど、ロビー内は静かだった。
ぴん ぽーん。
到着を知らせる、鉄琴のような音。ドアが左右に開く。無音だったロビーに、硬く、規則正しい足音が響いた。
「|小倉《おぐら》さん」
自分の名字を呼ばれて、イオリの背筋が少し伸びた。イヤホンを外し、迎えに来た男へ会釈を返す。アイスグレーのスクラブを着た男の、無機質な眼鏡が一瞬だけ白く光った。
「おはようございます、|相馬《そうま》さん」
――イオリが、無理に笑わなくていい相手。
相馬もイオリに笑わない。
「時間どおりですね。では、行きましょう」
「はい、おねがいします」
二人でエレベーターへ乗り込んだ。
相馬がドアのすぐ横に立ち、13を押す。別の操作パネルにも、オレンジの光が灯る。
それを見届けると、エレベーターは滑らかに動きだした。微かなモーター音と、床に押し付けられるような感覚が耳を惑わす。
横のパネルの縁に、イオリは手を伸ばした。
歪みのない直線を指先でなぞる。
感触は、自分の身体に通したステンレスと、同じ。
「…――既に、お客様が来ています」
目的階に到着する前に相馬が口を開いたので、イオリの視線は、階数表示のパネルから相馬の後頭部へと揺れた。
相馬が移動中に話し掛けてくることは、殆ど無い。彼の声に気を取られ、返事のタイミングを逃す。
「……小倉さん、貴方の仕事の関係者です」
イオリの代わりに、相馬がまた口を開いた。
「…あ、バイト、ですか」
「はい。先生のご紹介ですね」
「じゃあ、診察は別の日に変更……ですか?」
ドアの反射越しに、相馬の視線がイオリを見た。
「いつもどおり。ついたら直ぐに始めます」
「よかった。よろしくお願いします」
動き出したときと同じように、滑らかに|匣《はこ》が制止する。もう、相馬は前を向いていた。
『十三階 です』
扉が開く。
ロビーとは違う、観葉植物のにおいがどこからかした。
最奥の非常扉から、外の光が細く差す。
『ドアが閉まります』
相馬の二歩後ろをイオリが歩く。男の肩は、必要最低限しか揺れない。
いつの間にか、イオリと足音が一つになった。
間もなく相馬の肩越しに、腰ほどの高さの黒いゲートが見えた。その奥に、白い入り口ドアと1311号室のプレート。相馬は足を止め、ゲートに鍵を差し込む。
ガチャン、と|発条《ばね》の音。
ゲートが開くと、相馬が一歩横に身を退いた。
汚れのない、白衣のようなドア。
イオリは相馬を追い越して、ドアノブに視線を落とす。
触れ、
握り締めた。
「失礼しま――……」
ドアが、内側から開いた。
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