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1.LOCK/診断(6)
「……え、あ、僕に……ですか」
ぱちぱちと瞼が瞬く。
息を吐いて、言葉を咀嚼する。
「ああ、勿論。伊織君」
黒い箱。
母のアクセサリー箱に、似ている。
中から取り出されたのは、銀色の輪と、錠。指輪よりもずっと大きく、ブレスレットよりさらに重い。
ちょうど、「首」の太さぐらい。
「ッ――……」
イオリではない。
壁際の男が、息を殺し損ねた。
頬の辺りに火を翳されるような熱を感じた。
瀬戸が壁際の動揺に苦笑した。そのまま銀の輪を手に、イオリの前で膝を突く。
「綺麗だね」
――綺麗。
特別な言葉に、喉の奥が詰まる。
目を伏せた瀬戸の顔の方が、綺麗なのに。
「せん、せい」
胸が痛くて、鼓動が早い。
「そんな顔をすることは無い、伊織君」
舌に、甘い痺れが薄く広がる。
瀬戸の手でス……と、輪が開かれた。
光が、水晶のように美しかった。
おくりもの。
それを持つ、清潔な手。
白衣の袖から覗く、ネイビーのスーツ。
やたら口が渇いて、唾を飲み込む。
「いい、ん……ですか?」
瀬戸の瞳に、イオリの姿が映り込む。視線が、頭の中から言葉を消した。
気付けば、
首を差し出していた。
それ以外の姿勢を、知らなかった。
また壁際から、床を擦る足音がほんの一度だけ聞こえた。
冷たい銀が、喉に触れた。
ぞわりと肌が粟立つ。
金属越しに瀬戸の温度を感じる。
呼吸の音さえ聞こえた。
ゆっくりと閉じる輪。自分の輪郭線が、そこで閉じる。
硬いはずなのに、ひどく滑らかだ。
「伊織君」
溢れた吐息が、喉に絡んだ。
瀬戸はイオリの手を取ると、首元へ誘導した。
指先に触れるのは、錠前の弧。
名残を断つように、瀬戸の手が離れた。
ゆっくり、強く押し込むと、
硬い小さな音がした。
息を吸うのが、楽になった。
「――……
ありがとう、ござい……ます」
……やっと、言葉が作れた。
「――わ……若」
低い声。
全員の視線が、黒いスーツの男へ刺さる。真壁が、声の主へゆっくりと振り返った。
「……何だムサシ」
ムサシの手が緩く開き、再びキツく握り締められるのがイオリからも見えた。
「…………便所、す」
俯いたまま、一拍、唇を噛み、息を吐いた。
「便所なら仕方ねえ。先に車戻ってろ」
真壁が鼻で笑い、顎で指示する。
「……うす」
ムサシは眉間に皺を寄せ、肩で風を切りながら部屋を出た。
診察室のドアが、強く閉まった。
「悪いな、瀬戸」
「いや、気にするな。……伊織君、苦しくはないかな」
瀬戸は目を細め、変わらない声と共に笑んだ。
首筋に、手の気配が近付く。
「せ――……」
「先生」
相馬の声。
瀬戸の手が首に触れる寸前で止まり、彼はそのまま立ち上がった。
呼べなかった。
呼ばれてしまった。
「鍵はどうしますか」
イオリは、贈り物についた、錠に触れた。
「ああ、箱ごと真壁に渡してくれ」
「わかりました」
息が、胸に引っ掛かった。
黒い箱を持った相馬。
彼とイオリの目が合った。しかし、相馬は唇を真っ直ぐに結んだまま、背を向ける。
「どうぞ」
「おう」
真壁へ箱を渡すと、相馬は奥の部屋へ向かう。扉が滑り、音も無く閉まった。
「大丈夫かい」
「え……」
胸の中心に、突き刺さる。
不安は、氷みたいだ。
冷たい。
「…か、ぎ……は」
「ああ、真壁が持つよ。大丈夫、その首輪は――」
「先生じゃ、ないんですか」
「……ああ。私にはその資格がないからね」
勝手に首が横に揺れた。
「そんな。……売られる、ん……ですか、僕は」
被害妄想が口を突いた。走ってもいないのに心臓が跳ねる。しかし瀬戸は、イオリの目を見つめて、真剣に首を横に振った。
「そんなことはしないよ」
「売られても、良いです」
「……悪い子だ」
瀬戸はテーブルの向こうへと戻り、腰を下ろす。ティーカップへと手を伸ばし、よどみない所作で紅茶を飲んだ。ソーサーを持つ左手に、首輪と同じ色の指輪。
小さな光が、痛い。
薄い隈をたたえた目が、イオリを見る。
「私は、君の所有者ではないだろう」
「…………はい」
目元に熱を感じる。
涙が零れそうで、せめて笑う。
喉に、見えない空気が詰まる。
それでも、笑って――
「僕に、首輪を……ありがとうございます、先生」
視線を、逸らさなかった。
「いいんだ、伊織君。礼なんて」
瀬戸の手元で、ソーサーとカップが小さく音を立てる。赤茶色の液体が、ゆらりと揺れた。
「アルバイトの事だが、相当煙草臭い事務所だ。彼らを見て分かるだろうが……すまないね」
「あ、いえ! 僕は吸わないですけど、他の人が吸うのは気にしないので」
視線を真壁へ向けると、態とらしく紫煙を吐き出した。
この屋の空気を汚しているのに、空間を作り替えるような圧。
「副流煙に君を曝すのも、私としては気が進まないんだがね。私の知る限り……君が一番、真壁が望む仕事に適していると思ったんだ」
「……仕事」
「このあと、真壁達が事務所まで連れて行ってくれる。初出勤だ」
寒いのに、手が温かい。意味も無く指先を擦り合わせる。
「……俺だ。もうすぐ下りる」
真壁は壁際へ戻り、誰かと小声で通話していた。瀬戸は引き出しから薬のシートを取り出す。
「さて、分量は変えないよ。いつもどおり。また一ヶ月後に」
相馬が薬袋を二枚、テーブルへ置く。そこには「小倉伊織」と既に記されていた。
「一ヶ月後……。先生、ポッキーの日が誕生日、でしたよね」
「ああ、覚えていてくれたのか」
「……はい、今年は何か出来たら」
「いいんだよ、患者はそんなことを考えなくて。気持ちだけで十分だ」
イオリが見ている前で、瀬戸が薬の数を数える。過剰も、不足も無く、いつもと同じ数。
「ありがとうございます」
二つの袋が、閉じられた。
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