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2.KNIVES/常磐組(5)

 ムサシは数分で戻ってきた。 「おかえり」  両手に袋を持ったムサシの代わりに、イオリがドアを開いた。 「半分持つよ」 「いい」  ムサシは一度だけ首を横に振った。外は涼しいのに、額には汗が滲んでいる。 「走ってきたの?」 「いつも」  短い返事のあと、荒い呼吸が一度だけ混じった。 「二郎、まだ便所掃除終わんねえのか」  大森の声が奥へ呼びかける。  ムサシはそれぞれの机に、黒い仕出し弁当を並べていく。一人一つ。大森だけ二つ。最後にイオリの分は、応接スペースのローテーブルに。 「さっきの」  上から、突然ムサシの声が降った。 「えっ……はい」  イオリの声に男達が顔を上げる。するとムサシは、一段階声量を落とした。 「……さっきのお願いって、何だ」  瞬きを数度。その間も、ムサシは上から見つめていた。 「あ……一度、家に。ちゃんとここに戻ってくるので、一度帰りたいな、って」 「わかった」 「あ……ありが――」 「何時」 「え?」 「戻る時間」 「……一時間ぐらいで。あ、でも移動時間…」 「――なら、六時半。駅前」  ぬるい緑茶のペットボトルが、胸に押し付けられた。 「俺が迎えに行く」  ムサシが手を離す。  落としかけたペットボトルを受け取り、イオリはぎこちなく頷いた。 「腹減ったー」  奥から掃除を終えた二郎が現れ、立ったまま弁当の蓋を開けた。大森が顔を顰め、煙草をもみ消した。 「座って食え二郎、焼豚にするぞ」 「うっす、すんません」  次々に輪ゴムが捩れ、割り箸が割られる音が響く。イオリも座って、彼らに倣った。  冷めた白米の、ほのかに甘い香り。  蓋を開けた弁当には俵型の白米が並び、焼売と筍、塩鮭にインゲンのゴマ和え、卵焼きが隙間なく収まっている。おかず同士の間に、緑色のバランが几帳面に挟まれていた。  特にごま塩を振られた白米が、みッちりと窮屈そうだった。  焼売のとなりに、見覚えのある小さな醤油差しが入っていた。地元で有名な店のマスコットだ。  弁当箱を持ち上げると、ずしりと重い。  ――あれ、多いな、と思う。  ソファに座ったまま顔を上げると、パーテーションに遮られ男達の姿は見えなかった。  やがて食べ終わったのか、ゴミ箱に何かを投げ入れる音。二郎の盛大なゲップ。  まだイオリの手元には、弁当が半分以上残っている。味の濃いおかずが、ゆっくりでも箸を進ませる。 「マッサン、後で書類一式出しとけ」  食事中は無言だった真壁の声が事務所に響いた。 「ああ、わかった」 「二郎……いや、ムサシ」 「うす」 「アイツのメンターな」  イオリは、背中で会話を聞いていた。俵を一つ、口に運ぶ。 「俺が?」 「お前以外にムサシはいねえだろ」 「……うす」  ぬるい緑茶で、流し込む。  カバンからスマートフォンを取り出して、「メンター」で検索した。  ――日本語で、「指導者、助言者」と訳される。業務よりも、新人個人の成長やメンタルをサポートする。  と、書かれていた。  鷹のような目と、手の火傷痕を思い出す。  成長、と音も無く呟いた。  変化を美しく言い換えただけだ。  そう、思ってしまう。  梅干しの種が、歯に当たった。 「足りたか、坊主」  酒焼けした声。アロハシャツの裾が目に入る。大森がパーテーションの向こうから来た。 「あー、まだ飯食ってたか、すまんな。まあ、ゆっくり食え」 「ありがとうございます。美味しいです」 「で、だ。飯食いながらでいい、聞け。坊主のバイトは立場上、俺の補助ってことになる」 「……」  口を動かしながら、頷く。  大森が向かいにどっかりと腰を下ろした。 「書類は後でな。一時まで俺は寝る」  ずし、とソファが軋む。大森はそのまま横になり両脚を投げ出した。  太い足。太い腕。だが、白髪のわりに弛んでいない。この人が、直属の上司になるのだろう。……形の上では。  イオリは黙って、弁当を食べ進めた。  米の俵が一つ、最後に残る。  腹は重い。箸が止まった。  こんなに食べたのは、久しぶりだった。 「はぁ……」 「真壁さんに、許可取った」  影と共に、頭上から低い声が降った。  顔を上げる。ぬるいお茶を一旦口に留める。 「……――僕が、家に帰る話……ですか?」  ムサシは黙って頷いて、顎で何か示した。 「もし腹の具合悪いなら残せよ」  テーブルの上、食べきれない弁当箱。イオリは眉尾を下げて苦笑いを漏らした。 「いや、お腹いっぱいになっちゃって」 「マジか」  その言い方と、驚いた顔。  本当に不思議そうだった。  気付いたら、自然に笑っていた。 「なるよ。……大盛りでしょ」 「大盛り」  ポケットに入れた手を抜いて、ムサシはイオリに手のひらをさしだした。 「食っていい?」 「食べかけだよ」 「いい。気にしねえ」  ムサシは手のひらを上に向けたまま、待っていた。いや、流石にそこに乗せるのは嫌だった。  使っていた箸を差し出す。ムサシは一度首を傾げて、受け取った。  残っていた俵の米は、一口で食べられた。 「ありがとう」 「ゴミ、捨てとけよ」 「うん」 「じゃあ」  ほんの少し、昼下がりの一時間を思い出した。  机を寄せた感触。  いつもの顔。  コロッケパンのにおい。  ムサシという同級生がいた。  ――でも、違う。  髪の色も、体格も。  空になった弁当箱の蓋を閉じて、全部ゴミ箱に捨てた。

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