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2.KNIVES/常磐組(6)

 一時を過ぎると、大森がのそりと起き上がった。  イオリも立ち上がる。それを見て大森は眉を上げた。 「真面目だなぁ坊主。おい、二郎起きろ」 「ふがっ」 「お前バイト以下じゃねえか……」 「や、俺便所掃除で、昼休み入るの遅く――」 「極道が言い訳すんな!」 「すんませんっした!」  大森に怒鳴られ、二郎が即座に立ち上がり頭を下げた。  イオリの喉が、一瞬で冷える。 「よし、仕事始めろ」 「うす」  固まっているイオリに気付かず、何事もなかったかのように、二人とも座った。 「で、坊主。いや、小倉か」  大森は下の引き出しからファイルを取り出し、中から数枚の書類を引き抜いた。そして、机に置かれた眼鏡を掛け、ペンを手に書類に幾つか書き込みをする。  最後に、大きな四角い判を押した。 「小倉、お前今日ハンコ持ってるか」  怒鳴り声の残響から漸く意識が身体に戻る。イオリは首を横に振った。 「いえ、無いです」 「そうか」 「ごめんなさい……普段使わなくて」  机の上に置かれた大森の大きな左手。金色の指輪。  その小指が、短い。  視線を逸らすのが、ほんの一拍遅れた。  目の前に、数枚の書類が差し出される。 「読め。わかんねえところは聞け。で、読んだらココとココとココにサインしろ」 「はい」  一枚目の紙を手に取る。  コピーを繰り返して、少し字が掠れている。書類には、雇用契約に関する事が書かれていた。イオリの名前や時給は、大森の手書き。そこだけがくっきりしている。  他に、誓約書、通知書。  バイトの経験はあったが、こんなにちゃんとした書類を渡されるのは初めてだった。 「オレ、そんな書類貰ってねえなぁ。なぁムサシ?」 「俺達には必要ないんじゃねっすか、ジロサン」  ムサシ達の言葉に、指先が強張った。  細かい文字を、もう一度最初から読む。  心臓がうるさい。集中できない。  さっきの怒鳴り声。次は自分だと、どこかで思っている。  でも、しっかり読まないと危険だ。  万が一、先生を巻き込んじゃ駄目だ。 「お前ら馬鹿だからな。書類、渡しても読まねえだろ」  小さく笑いながら、真壁が立ち上がった。  イオリの肩に軽く手を置き、そのままドアへ向かった。  ――お前は違うよな、と言われた気がした。 「二郎、車出せ。マッサン、夜には戻る」 「わかった」 「車回しゃす」  いってらっしゃい、とイオリが顔を上げたのは、とっくに二人が出て行ってからだった。  大森が笑った。 「書いたか?」 「はい」  署名の済んだ書類を渡すと、大森は眼鏡をかけ直し、目を通した。 「おー……字ィ小せえな。じゃあ今書いた書類、コピー取っとけ。それで原本は俺に寄越せ」 「大森サン、コイツ今日は上がらせて良いっすか」  斜向かいの席から、ムサシが立ち上がった。 「あ? あぁ……そういやお前、なんか話してたな」 「うす」 「若はなんて?」 「許可貰いました」 「じゃ、好きにしろ」 「ありがとうございます」  ムサシが頭を下げる。  一拍遅れて、イオリも彼に倣った。 「……ありがとうございます」 『ドアが閉まります。お立ちの方は、手摺り、吊り革にお掴まり下さい』  昼時を過ぎたバスの車内は、空いていた。  初めて乗る路線だったが、スマートフォンを出すより先に、ムサシが「あっちだ」と顎でしゃくった。バス停の看板にはイオリの最寄り駅も書かれている。  これなら、乗り換えもいらない。  ムサシは腕時計を乗り口で翳し、奥へ進む。イオリは定期入れを翳し、追い掛けた。 「スマートウォッチだったんだ」 「ん」 「便利そう」 「ああ。もらいモンだけど」  奥の二人がけ座席に進むと、ムサシは振り返り先にイオリを座らせた。カバンを抱え直すのを待って、隣に腰を下ろす。 「へー……真壁さん?」  ムサシは、前の座席の手摺りを掴んでいた。 「や、大森サン」  納得と疑問が半々浮かぶ。  首元のスカーフを直した。事務所で、大森がくれたものだった。 「ちょっと意外」 「……なにが」 「スマートウォッチとか、使わなさそうだから」 「ああ……そっちか」  ムサシは手摺りから手を離し、一見するとアナログ式に見える腕時計を撫でた。笑ってはいないが、車内のように怒っている空気もない。  もしかしたら、車内では、腹が減っていたのかもしれない。 「大森サン、すげえ色々くれる」 「うん」 「コレは、使い方分かんねえって、くれたヤツ」  ムサシの視線が、イオリの襟元に落ちた。 「……それは若の…真壁サンの」 「えっ」 「大森サン、クリーニングに出してた」 「い……いいのかな、それ」  その時、バスがきついカーブに差し掛かった。車体が揺れ、イオリの体は窓に押し付けられる。  しかし、それ以上の重さは、のし掛からなかった。  ムサシの左手が、再び手摺りを力強く掴んでいた。  カーブを抜けて、重さは感じなくなる。細い道を抜け、見覚えのある通りに出た。

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