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4.BOXES/隣人(1)

 ムサシはあっさり背を向け、駅に向かった。  昔から、別れ際は素っ気ないヤツだった。  橙色に染まった街の中、黒い後ろ姿が人並みから浮いていた。  改札口へ吸い込まれていく。背後では、次のバスが来て、通りすぎた。  一人きりになって、イオリはカバンからイヤホンを取り出した。片耳にだけ差し込む。  ポケットのスマートフォンをなぞる。  記憶より低く、ざらついた声が頭の中に甦った。  ――変わんねえな。  鼻の奥が、つんと痛む。  ――触っていいか。  少年が恋人に向けた声が、すぐ側で聞こえた気がした。  歌のない音楽が流れだし、男の声を上書きする。ようやく、イオリの足は家へ向かって動き出した。  俯きながら入った公園は、甘いキンモクセイの香りがした。  オレンジの生け垣の間を突っ切って、住宅街へ。  煙草のにおいが、傍らから消えていた。  緩やかな坂の上。似たような一軒家が、収まりよく並んでいる。朝の温もりはどこかに行ってしまって、代わりに家々の窓からオレンジ色を帯びた光が漏れていた。 「カァ」  イオリの家の庭先に、カラスが一羽。ピョン、ピョンとフェンスの上を跳ねる。  イヤホンをしまい、足を止めた。 「……何もないでしょ」 「……」  カラスは首を傾げ、庭先のフェンスから動かなかった。  はぁ、と溜め息が零れ落ちた。胸の奥の重さが、少しだけ抜け落ちた気がする。  玄関へ向かおうとして、けれど、方向を変える。  車二台分の距離。道路を挟んで、向かいの一軒家へ向かった。  距離が近付くにつれふわりと漂う、魚の脂が焦げるにおい。  まだインターホンを押していないのに、ワンッ、と元気な犬の声が響いた。 「こんばんはー、向かいの小倉です」  インターホンを押す頃には、いつもの笑顔。 『あら~、ちょっとまってね』  ドアが開くと犬の鳴き声が一層響き渡り、今朝ごみ捨て場の掃除をしていた婦人が、紙袋を手に姿を見せた。 「コロン、待て、『待て』よ。ごめんねぇ伊織君わざわざ」  婦人が階段を下り、門を開ける。犬の姿は見えない。玄関で待っているのだろう。  こちらこそありがとうございます、と頭を下げた。 「作りすぎちゃったのよ~」  婦人が紙袋を差し出すとき、一瞬だけ鼻をひくつかせた。  受け取った紙袋は、予想よりも重い。中を覗き込んだ。  青い蓋の裏に、カレーが透けて見えた。タッパーは二つも入っている。 「わ。良いんですか?」 「うち冷凍庫いっぱいで入り切らなくって。サバカレー」 「さばかれー」 「最近うちの人、コレステロールが高いって、先生に怒られたらしくってね」 「あっ、魚の鯖ですか」 「そう、肉より魚食べろって。お肉じゃなくってごめんなさいね」  男の子ならお肉の方が良いわよねぇ、と婦人が腕組みしながら頬に触れる。 「カレーって何でも入れていいんですね。いただきます」 「温めなおして食べてね」 「タッパー、洗って返しますね」 「あら、良いのよそのままで」  ワンッ! ワンワンッ!  玄関で待たされている犬が、再び飼い主達を呼んだ。 「こら、コロン、静かに! 待てよ、待て」 「寒いですし、コロンちゃんも待ってますから、早く戻ってあげて下さい。本当にありがとうございます」 「こちらこそありがとうね。またコロンとも遊んであげて」 「はい、よろしくおねがいします」  会釈し、道路の反対側へ。  カバンから鍵を取り出し、一つ目、二つ目と鍵を開けた。

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