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4.BOXES/隣人(2)
「ただいまー」
即、鍵を閉める。
扉は見ない。身体が鍵の位置を憶えていた。
靴を脱ぐと、フローリングがつま先から体温を奪っていった。
下駄箱の上の写真立ては、ハンカチが被せたまま。その前に鍵を置いて、立ち止まった。
まだ、その覆いを外す気になれない。
視線を逸らし、靴を脱いでリビングのドアを開けた。部屋の中は、外とさほど変わらない温度。肌寒いが、暖房をつけるほどでは、ない。
キッチンの小窓から射し込む光が、辛うじて夕陽の残滓を見せている。
カバンを置いて、紙袋からタッパーを取り出した。
開けてみる。カレールーに溶け込んだ香辛料の匂いが、冷たいまま鼻に触れる。魚のにおいは、思ったほどしなかった。
でも、腹は減っていない。
「……どうしよっかな」
ふと、ムサシの顔が思い浮かんだ――高校生の。
あんな顔をして、辛いものは苦手だった。
「持ってったら……食べるかな」
シンク上の扉を開き、ジップ付きの袋にカレーを移す。袋の表に日付と、「サバカレー」と書いて、冷凍庫へ入れた。
冷凍庫の扉を閉めて、そのまま背を預けてスマートフォンを取り出す。
『帰りました』
と、瀬戸へ送り、シンク横へ置いた。
空になったタッパーを洗う。油のぬめり。皮膜のように、容器にも指にも纏わり付く。スポンジに洗剤を垂らし念入りに泡立てて、もったりとした泡をぬめりに塗りつけた。
スマートフォンが、短く震えた。
泡だらけの手を、流水に晒す。水は、家の空気よりも冷たかった。
手を拭き、スマートフォンに手を伸ばす。けれど、メッセージを見る前に手を離した。
首元に触れる。
滑らかなスカーフを外そうとしたら、何かが引っ掛かった。
コトッと小さな音を立てて、足元に錠のついた首輪が、落ちていた。
「あ、れ」
首に触れる。
無い。
あっけなく外れた。
しゃがんで、銀の輪を拾い上げる。
少しの重さなのに、首が取れてしまったような、喪失感がある。
もう一度、首輪を嵌めた。
押し込むと、カチッと小さな音がした。
これでいい。
スマートフォンを手に取った。
先生。
……先生。
『食事を取って、よく休むように』
たったこれだけであることに胸が温かくなる。
たったそれだけであることに胸が痛む。
事務所に戻る前に、何か食べよう。
冷蔵庫の扉を開く。白い庫内は隙間が目立つ。割引のシールが貼られた、豆腐のパックを手に取った。皿に移して、電子レンジで軽く温める。
その間に、カレーが入っていたタッパーを拭いた。
「ママ」
「なにー?」
「お菓子、少なくない?」
「これはね、『お移り』っていうの」
少しだけ、気負わないようなお菓子を、お裾分けが入っていた空き容器に入れて、返すのだ。
戸棚を開ける。覗き込むが、菓子の類いはない。
テーブルの上を見る。封の開いた蛙型のハードグミぐらいしか、置いてなかった。
「うーん……」
わざわざ食べないお菓子を買いに行くのも、微妙だ。
考えていると、電子レンジがイオリを呼んだ。温まった豆腐を、スプーンで食べる。ふと、今日見かけたポスターを思い出した。新発売のグミ。どうせ駅に行くのだ。ついでに買おう。
朝洗ったマグカップを戸棚にしまい、今使った食器を洗う。
水滴が指先からシンクへ落ちて、ト、と軽い音を立てた。
「……ママ……」
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