27 / 33

4.BOXES/隣人(5)

 小さな影が、車の前に飛び出した。 「っ――!」  ブレーキを一気に踏む。ガクンッと揺れる車体。  猫らしき尻尾が、門を潜り逃げていった。 「…あぶね……」  ムサシは咥えていた煙草を、灰皿で揉み消した。  左右に一軒家が並ぶ、静かな生活道路。イオリの家が、すぐそこに。  ブレーキから足を離すと、車は再び動き始めた。  時折バックミラーを見る。住人らしき男が、ジョギングをしている。他の車は来ない。アクセルに足を載せるが、踏み込まない。クリープだけで車は進む。電気モーターがコォー……と静かに鳴いた。  ムサシは、一軒の住宅の前で車を止めた。電源も切る。ドリンクホルダーには空のプロテインシェイカーと、半分に減ったミネラルウォーターのペットボトル。  作りは似たような家ばかりだが、玄関先や車、表札に僅かに住人の色がある。  その色が、極端に薄い家。  空き家ではない。しかし、車も、植木もない。掃除は行き届いている。雨戸は閉め切られ、二階も暗い。  表札には、小倉、と刻まれていた。  新しい煙草を取り出す。口に咥え、火をつける。煙を吐きながら、ハンドルに凭れる。  フロントガラス越しに、家の様子を伺った。  高校時代、この家は明るかった。あれは、温かかった。  指の間の煙草が、もう短い。小さな灰皿に、吸い殻が生い茂っている。  イオリの家と反対側から、ワンッと犬の鳴き声がした。 「……」  居ないのだろうか。  短くなった煙草を、灰皿に捻じ込んだ。  車のドアを開ける。  街中とは違う、冷たく、清潔な空気が肺に流れ込む。  外から見上げた一軒家は、ムサシの記憶よりも小さく見えた。 「すき焼き……」  その時、ぱ、と一室明かりが点いた。シャワーの水音が微かに聞こえる。  は、と安堵の息が漏れた。  再び車に乗り込み、視界の端にイオリの家を入れる。浴室の明かりが消えるまで、ムサシは煙草を吸い続けた。  スマートフォンが何度も震える。  画面を禄に確認もせず、ムサシは電話に出た。 「はい」 『ムサシ、お前飯食ったか』  真壁だった。 「いや」 『今どこだ』  ――一瞬、躊躇う。 「……小倉伊織の、家に」 『なんだ、張ってんのか』 「はい」 『迎えに行くとか言ってたのは』 「この後、駅に」 『ふうん。拾ったらギャラリーに行け』 「? 事務所じゃないんすか」 『ギャラリーだ』 「鍵は…」 『俺が開けとく』 「うす」  ぷつ、と糸が切れたような音。完全に通話が終わった事を確認し、ムサシはスマートフォンを伏せた。  もう一本だけ、煙草に火をつけた。

ともだちにシェアしよう!