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5.URGE/侵食(3)
再びエレベーターに乗って、二階へ。事務室の鉄扉を開けた。
「カメラ、映ったか」
背を向けたまま、赤いスーツ。
イオリは答えられない。
真壁が肩越しに、視線だけ向けた。
「……伊織」
「えっと……コード整理してます。あと、三脚が曲がっちゃってて」
「はっ。いつもの事だ」
「予備とかは……」
「ムサシが適当にやるだろ」
それも、いつものことなんだろうか。
「……そうだ。一応、見に来てくれませんか」
「あ? 地下か?」
「報連相っていうか……その」
「見に来いってのは、相談じゃねえぞ」
「ごめんなさい。前のバイトは、毎回チェックが……」
ドアの前で俯く。視界の端で、真壁が椅子ごとくるくると回った。
「極道の若頭を顎で使うとか、大物だな」
そう言いながらも、立ち上がる。
ドアを開け真壁を先に通すと、彼は階段へと向かった。
イオリを待たずに、カン、カン、カンと足音が響く。
赤い背中は、ムサシほど大きくない。なのに、威圧感はもっと大きくて、形が見えない。
「真壁さん」
「んー?」
「あのホール、僕の前はどんな人に使ったんですか」
三段ほど、真壁は無言で階段を下りる。
イオリも追いかける。
「二十半ばの、女。無職。まあ大して顔は良くねえけど、胸がデカかった」
「……」
「それとも、そうなった理由、『物語』が聞きてえのか」
「物語、って……」
「リア王、マクベスは?」
「シェイクスピア……」
「読んだことは」
「いえ」
「レ・ミゼラブルは」
「ミュージカルなら見ました」
イオリの足音は、スニーカーのゴム底に吸収される。前を行く真壁の足音が、打楽器のソロみたいに響いた。
「悲劇ってのは、人をよく見せる」
ト、ト、ト、ト。
真壁は、両手をポケットに入れたまま、振り返らない。
「値段が上がるって事ですか」
「|手前《てめぇ》が無関係ならな」
踊り場で立ち止まった。
「人間てのは、肉だよ」
指の長い手。
「クソの詰まった肉袋だ」
胸のポケットから煙草を取り出し、ジッポーで火をつける。オレンジ色の火に照らされる顔が、モデルのようだ。
「それに電気が通ってる」
「そんだけだ」
赤く光る穂先から、白い煙が上る。
「……にく…」
――白い部屋。
――白い布。
――冷たい××。
急に、膝から下が消えて
崩れ落ちた。
「いっ」
膝や脛を、段差に打ち付ける。
足は、そこにあった。
「どうした」
「……あ、え」
遅れてやってくる、痛み。背中と手のひらが、じわりと湿る。
鼓動がうるさい。
耳の前をぬるい汗が伝う。
気持ち悪い。
「……ムサシ呼ぶか」
「だ、い…じょうぶです」
「ムサシ、上がってこい。伊織が落ちた」
「真壁さ、ん……」
真壁はスマートフォンを持ちながら、空いている手をイオリの前に突き付けた。
ガンッガンッガンッガンッ!
スマートフォンをしまうより早く、ムサシの足音が反響する。
「イオリは⁉」
「ここだ」
「怪我は」
黒い影が、肩で息をする。
目がやたらギラついて、イオリを探した。
「平気だよ。一段、踏み外しただけ」
イオリの姿を見たムサシが、息を吐いた。差し出した手のひらは、所々黒く汚れていた。
「立てるか」
「……一人で立てるよ」
「手ぇ貸せ」
強引に肩を組まれ、身体を支えられて立ち上がる。足が浮きかけ、ムサシは背を丸めた。
真壁が壁に凭れ、煙を吐き出す。
「戻んぞ。そいつの足診るわ」
「っす」
「え……真壁さんが?」
「レントゲン撮りてえなら別だが」
「そんな、大袈裟な怪我…してないです」
「給料から天引きな」
「えぇ……」
降りてきた階段を戻る。二階の休憩室へ、肩を支えられ畳の上に座らされた。
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