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5.URGE/侵食(4)

「痛……」 「やっぱ、怪我」 「……足ぶつけたのと、擦りむいただけだよ」  ムサシが、イオリの額へと手を伸ばした。 「頭は打たなかったな」  白い救急箱を提げ、真壁が最後に来る。  真壁の声に、ムサシは手を引っ込める。膝を開いてしゃがんだまま顔を逸らして、動かない。 「見てたんすか」 「ああ」  救急箱の蓋を開け、真壁はイオリのジャージの裾をたくし上げた。  脛に、赤く擦れた痕。皮が薄く剥けている所はあるが、出血もない。 「足以外に痛みは」 「……手、ぐらい」 「吐き気や、痺れは」  真壁が足首に触れる。足を動かされるが、痛みは無い。 「大丈夫……」 「有ンのか、無ェのか」 「無い、です……」 「若、氷いりますか」 「平気だろ。次、手」  言われるままに差し出す。手も、少し赤くなっているぐらいだ。  手首も同じように動かされる。どの角度にも曲がる。痛みは無い。  救急箱は、結局使わなかった。 「それ、片付けます」  立ち上がろうとすると、真壁が顎を上げた。 「何で落ちた?」 「……落ちてない、です。真壁さんの話が難しくて、ぼーっとしちゃっただけで」 「若、何の話したンすか」 「別に。人間はクソ袋って話」  お前にも話したことあるだろ、と真壁がムサシへ顔を向けた。 「ああ……」 「あの」  二人の視線が、イオリに向いた。  一瞬、肌が粟立つ。二人から視線を逸らした。 「真壁さんにとって、瀬戸先生もその……糞の詰まった肉袋、なんですか?」 「そうだな」  早い。  俯き、首の輪を指先でなぞる。脳裏に浮かぶのは、瀬戸の笑顔ばかりだ。  頬が微かにひくついて、喉がかわく。唾を飲み込んで、視線を上げた。 「――……」 「だが、面白え」 「……え」 「ただの肉袋がな」  煙草を指に挟み、真壁は目を細め笑った。 「一番面白え」 「気に入られてんじゃん」  ムサシが、救急箱を手に立ち上がる。 「あ、それ僕が……」 「場所知らねえだろ」  休憩室の扉が揺れた。  立ち上がり掛けた半端な姿勢のまま、真壁の顔を見上げた。  正面から、視線がかち合った。  これが、気に入った人間へ向ける、目、なのか。 「お前は『何』だ? 伊織」 「え……」 「……ああ、別に言わなくて良い。俺には関係ねえ」  休憩室の灰皿に、真壁は煙草を押し付けた。 「吐き気や痺れ、足以外に痛みがあったらすぐに言え」  イオリの返事を待たずに、真壁は休憩室を出た。  事務室のドアが閉まる音と入れ替わるように、ムサシが戻る。 「適当に寝てろって」 「……うん」 「片付けたら、戻ってくる」 「帰れって、言わないんだ」  ムサシは座布団を並べ、ポンポンと叩いた。  四つん這いになり、そのまま横になる。ぶつけた所がじんじんと痛む。  でも、生きている証拠のようだった。 「病院、連れていけるからな」 「ありがと……迷惑かけて」 「謝んな」  ムサシが、背広を脱いだ。 「……――わかった」  ポケットから、スマホを取り出す。白い有線イヤホンを、片耳にだけ差し込んだ。波の音を再生する。  目を瞑ると、何かが身体に掛けられた。  煙草のにおいと、微かな人のにおい。 「下、終わらせてくる」  パチ、と小さな音がして、閉じた瞼越しの世界が、暗くなる。  硬い靴音が、遠ざかった。  波の音が曖昧になっていく。

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