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5.URGE/侵食(9)
イオリが三分の二程食べ進めた頃に、二郎が汚いゲップをした。
「いただきましたっ!」
二郎が、空になった丼を置いた。
厨房の端にいたムサシも、殆ど同時に食べ終えて「いただきました」と唱え、奥に引っ込んだ。流水の音と、食器が軽くぶつかる音がする。
大森は店の仕込みを続けながら、時々掻き込むように食べていた。
このペースだと、イオリが食べ終わるのが一番最後になりそうだ。
となりの真壁を見る。ゆっくりと湯呑みを傾けながら、食べ進めていた。
「ところでよぉ」
反対側から、二郎がズイッと寄ってきた。
「うちの嫁さんさ~」
「えっ、は、はい」
「お前にゃわっかんねえかも知ンねえけどよぉ、メッチャいい女なんだよ」
「は…はい……」
二郎の嫁自慢を聞きながら、イオリは蕪のぬか漬けを囓る。
「今、腹にガキが出来てよぉ」
「それは……おめでとうございます」
「だからよぉ~」
「はい……」
チラ、と逆の席を見る。
朝のはしゃぎようが嘘みたいに、真壁は視線も上げずに食事を続けていた。
水飛沫が、ワイシャツを濡らす。
黒い焼き物の皿を洗いながら、ムサシは視界の端で店の様子を追う。
二郎の大きな声。イオリの困ったような相槌。
真壁の声が聞こえない。
まだ食べ終わっていない。
そこへ、大森が鍋を持って、流しへやってきた。
「……――りサン」
ムサシは濡れた手で鍋を受け取る。目の前だけに届く、小さな声だった。
大森が動きを止めた。
「どうした」
ムサシも、手を止めた。
水はざぁざぁと流したまま。
「煙草、吸いませんか」
大森が鉢巻きをほどき、水を止めた。
「そうだな」
二郎の声を背に、大森が裏口のドアを開けた。
「煙草吸ってくら」
「いってらっしゃい! ――それでな、そん時嫁がよぉ」
「あ、はい あ、へぇー……」
「――おう」
まとまりのない返答に、大森が鼻で笑った。ドアの間にストッパーを噛ませて、店の中へ風を入れる。
室外機がごうごうと回り続ける、灰色の裏路地。ぬるい空気が纏わり付く。
朝も夜も、ここは一日中暗い。
ムサシが、自分の煙草をパッケージごと大森へ差し出した。
「どうぞ」
「ああ」
二人とも、指先はまだ水滴が残っていた。
ムサシがポケットからライターを取り出し、火を灯す。大森の顔の前へ小さな灯を翳した。
一呼吸置いて、白い煙が立ち上る。
「足りたか、朝飯」
「っす」
「お前も吸え」
小さく頷いた。
ムサシも煙草を引き抜くが、口に運ばない。
閉じた唇の僅かな隙間から、溜め息が溢れた。
「小倉……のことか」
「……そっす」
大森が指先で眉間を揉んだ。
「ひょっとしてお前ら、知り合いか」
「……はい」
ムサシはトン、トン、とパッケージを軽く煙草で数度叩き、また中へ戻した。
「おんじん、です」
大森の前で絞り出す四文字が、重い。
「……大森サンとは、別の」
煙草を指先に挟んだ大森が、深い溜め息をついた。
周囲に煙草の煙が広がる。
「若に、その話は」
煙草の灰が、足元へ落ちる。
「通してねえのか」
「……まだ」
「馬鹿野郎」
怒鳴らない。
「……すんません」
「気付かねぇ訳がねえぞ。さっさと話せ」
「アイツ、何に使われるんですか」
「お前、聞いてねえか」
「はい」
大森が、ボリボリと頭を掻いた。
「小倉には手ェ出すなって言われてたろ」
再び煙草を咥え、穂先を赤く光らせる。
「アイツはな、貢ぎモンだ」
「誰に」
食い気味で視線を上げたムサシに、大森は一呼吸、煙を吐き出した。
「|吾分隈善一郎《あぶくまぜんいちろう》。
養子がよ、親孝行してえんだと」
「……ッ」
「ムサシ」
大森の嗄れた声が、一段低くなる。
「お前の事は、わかってるつもりだ」
煙草のパッケージがクシャッと軽い音を立て、手の中で潰れた。
「手前は極道だ」
「……っす」
「戻るぞ。鍋洗え」
煙草が、大森の足元に落ちた。
踏み消された吸い殻を、奥歯を噛みしめながら見下ろす。
最後の煙が、ドアの風に揺れ、消えた。
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