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第1章 静かな穢れ2

 王宮の謁見室は、12歳になったばかりのアシュレイにはやけに広く、冷たく感じられた。  誕生日の祝宴は、庭での発現の直後に終わらされた。白薔薇の花びらが散らばったまま、笑い声は消え、祝福の音楽は途中で断ち切られた。城全体の空気が、あの一瞬で張りつめたものに変わってしまった。  玉座の前に立つアシュレイの足は、まだ少し震えていた。胸の黒い紋様はレオンハルトの加護で抑え込まれていたが、皮膚の下に残る熱と疼きは消えていない。  王は長い沈黙の後、ようやく口を開いた。 「アシュレイ」  父の声は優しかった。しかしその優しさは、どこか遠く、薄い膜を隔てたようにアシュレイの耳に落ちた。 「お前は、この国のために生まれた」  幼い頃から何度も聞いた言葉だった。今日、その重い意味がようやく明かされる。 「我が国は、古き神との契約により存続している。国に降りかかるすべての厄災、穢れ、怨嗟……それらを王家の血が一身に引き受けることで、国民は平穏を得る」  王はゆっくりと語った。 「本来、こうした穢れの契約は第一王子の務めとなるはずだった。しかし第一王子には王位を継がせ、第二王子には隣国との政治的な婚姻で国を支えさせる……そのため、残されたのはお前だけだ」  アシュレイの指先が、わずかに冷たくなった。 「お前が、選ばれた」  王の声は重く、謁見室に響いた。 「第三王子という位置。継承権は遠いが、王家の血筋は確かに引いている。切り捨てるには惜しく、守るには重すぎる……まさに、器として相応しい」  王はそこで一度言葉を切り、玉座の肘掛けを指で軽く叩いた。まるで自分自身に言い聞かせるような仕草だった。 「お前は、国が存続するための礎だ。アシュレイ」  アシュレイは静かに理解した。自分が過不足なく丁寧に育てられてきた理由を。壊れにくい器として、長く保つための教育だったのだと。  喉の奥がひどく乾いた。それでも少年は、掠れた声で言った。 「……私は、贄なのですね」  王は否定しなかった。ただ、わずかに目を伏せた。 「国を守る礎だ。お前がいなければ、この国はとっくに滅びていた」  どんなに言葉を飾っても、本質は変わらない。  アシュレイはゆっくりと膝を折り、頭を垂れた。 「承知いたしました」  声が震えていないことに、王はわずかに安堵の息を漏らした。父としての情と、王としての義務。その狭間で、微かな葛藤が一瞬だけ顔を覗かせたが、アシュレイはもうそれを見なかった。 「神殿の祈祷棟へ移れ。あそこが……お前の新しい居所となる」  実質的な幽閉の宣告だった。王子としてではなく、器として生きるための檻。  アシュレイは立ち上がり、背を向けた。振り返らず、父の顔を見なかった。ただ一度だけ、窓の外に浮かぶ月を眺めた。 (レオンは……知っているのだろうか)  胸の奥が小さく痛んだ。しかしその痛みも、すぐに飲み込む。自分はもう、役目を自ら受け入れたのだから。  ――同じ夜、神殿の奥深く。燭台の炎が揺れる冷たい石室で、レオンハルト・ヴァイス・グランディアは大神官の前に跪いていた。白金の髪が炎の光に照らされ、少年の肩がわずかに強張っている。 「王子の発現は確認された。予定通りだ」  大神官の声は淡々としていた。 「俺の加護で、殿下の発作は鎮まりました」  レオンハルトが報告すると、大神官は静かに頷いただけだった。 「……それでよい」  短い返答に、レオンハルトは顔を上げた。 「よい、とは……どういう意味ですか? 俺は、殿下の穢れを祓うために生まれたのでは?」  大神官は冷たい目で少年を見下ろした。 「お前の加護は浄化ではない。王子が壊れぬよう、調整するための力だ」  その言葉が、レオンハルトの胸に突き刺さった。 「穢れを完全に祓えば、神との契約は成立しない。国は守られぬ。王子は器として機能し続けなければならない」 「器……」  レオンハルトの喉が乾いた。庭で見た、涙を浮かべながらも笑ったアシュレイの顔が脳裏に浮かぶ。焼けるような痛みを堪え、手を強く握り返してくれた小さな温もり。 「では、殿下は……一生、あの痛みを?」 「そうだ。お前は側にいて、器として長く使えるよう維持する。それがお前の役割だ」  大神官の声は機械的だった。 「けして、器に情を移すな。あれは人ではない。国の礎だ」  拳が、膝の上で小さく震えた。「維持するため」――その言葉が、少年の胸の奥で何かをひび割れさせた。 「俺は……殿下を守るために」 「違う。維持するためだ」  大神官はきっぱりと言い切った。それは命令ではなく、冷たい戒めだった。レオンハルトは唇を噛み、頭を垂れた。 「……承知、いたしました」  口ではそう答えたが、心は到底納得していなかった。  庭で感じた、あの笑顔は偽りではなかった。孤独の中で自分だけに向けてくれた温もりは、本物だった。  同じ頃、祈祷棟の最上階へ続く廊下を、アシュレイは月明かりに照らされながら歩いていた。  背後にはもう、華やかな王宮の灯りはなかった。二人は同じ夜に、自分の運命を知った。 アシュレイは「器」として。レオンハルトは「調整装置」として。  それでも、あの白薔薇の庭で交わした笑顔と手のぬくもりだけは、胸の奥に鮮やかに残っていた。  静かな決意が、それぞれの心に灯った夜だった。

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