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第13章 残響と導火線
その頃、訓練場でレオンハルトは剣を振っていた。一太刀ごとに、寸分の狂いもない。軌道は正確で呼吸も一定——全ては完璧だった。
銀の刃が空気を切り、石床に影を落す。
周囲の見習い騎士たちが息を潜めて見守る中、彼の動きはまるで機械のように正確だった。 無駄な感情を削がれたことで、判断はとても澄み切っている。そこに迷いもない。
目標を定め、斬り、収める。繰り返し。それなのに――。
「……くっ」
不意に、体の動きが止まった。腕の力が抜け落ちて膝が落ち、石床に鈍い音が響いた。剣が手から滑り落ち、金属音が訓練場に広がる。
理由がまったく分からない。ただ、胸が痛いくらいに締め付けられる。まるで、誰かに強く握り潰されたような感覚。
レオンハルトは眉ひとつ動かさず目を閉じ、王子の穢れを探る。感じることのできる穢れの波形は安定していて、異常もない。黒い潮流は穏やかに沈み、いつものように制御されている。
それでも、この痛みは全然消えなかった。
「……なぜだ?」
胸の痛みを感じているのに、声は平坦なまま。しかし、呼吸がわずかに乱れる。そのせいで、剣を握る手が震えた。
力を込めて抑え込むが、どうしても震えは止まらない。むしろ、内側から広がっていく。胸の奥で、何かが軋む音がする。
その瞬間——断片が浮かんだ。夜の回廊、触れた熱を感じさせる体温。掠れた声が頭の中に響く。
《俺は、あなたを求めている》
思考が一瞬、空白になる。
あり得ない。記録にない。自分は否定したはずだ。
「申し訳ございません。記録にありません」と、平坦に答えたはず。それなのに、身体が覚えている。唇の感触、腕に収まった細い体の温もり、甘い吐息——すべてが、削がれたはずの心の隙間から漏れ出してくる。
「これは……不具合、か?」
呟きはどこまでも無機質なのに、胸の奥が焼けように痛んだ。そこに感情はない。むしろ、綺麗に削がれている。それでもなぜか痛む。痛みだけが、残響のように残っている。
地下水盤が、レオンの微細な揺れを拾う。
「聖騎士側、ノイズ発生。原因は不明」
抑圧された振幅が、行き場を失って内側で軋む。
神官たちが記録を取り始めるが、数値は基準値内に収まっていた。ただ、微かなノイズだけが、無視できない存在として残っていた。
レオンハルトは、ゆっくりと立ち上がった。その姿勢は崩れない。視線も定まっている。不思議と足元だけが、わずかに不確かだった。
原因のわからない痛みを伴ったままの感情が、ずっと残っていた。
剣を拾い上げ、再び構えを取る。しかし、刃の切っ先が、以前のように真っ直ぐに収まらない。
***
夕刻。塔の上で、アシュレイは神殿を見下ろしていた。
内なる穢れは静かだった。その静けさは抑制ではない——制御された圧に変化する。黒が、ゆっくりと広がった。それは無差別ではない。選ばれた方向へ、わずかに傾く。神殿の石壁に向かって、見えない黒い糸が伸びていく。
「王子の穢れ、指向性あり!」
水盤を観測していた神官の声が緊張を帯びた瞬間、老神官の表情が歪んだ。これは偶発ではない、明確な意思をそこから感じ取った。
「……意図的な拡散か。しかも、選別されている」
老神官の声が低く落ちる。これまで経験したことのない事態に、地下の空気が凍りついた。
***
同時刻、レオンハルトが再び膝を折った。不意に呼吸が乱れたことで、胸を押さえる。理由が分からない。神殿に管理された感情は、存在しないはずなのに。
失った何かだけが、確かにある。それが時間とともに、痛みは増幅していった。訓練場を後にし、自室に戻っても、痛みは消えない。
夜の回廊の記憶が、断片的に蘇る。名前を呼ばれた瞬間の温もり、「離したくない」と告げた自分の声——それらは記録にないはずなのに、身体が忘れない。
***
アシュレイは目を閉じる。遠くにいるはずの気配を確かに感じて、穢れが微かに反応する。
——レオンの心と共鳴する。彼の中にある感情が削がれても、繋がりは完全に断ち切れていないことを感じた。残響のように、微かな熱が残っている。
「レオン、待っていろ」
低く、静かに呟いた。
「私がこの手で、必ずお前を取り戻す」
その言葉と同時に、穢れの質が変わる。守るための力ではない——奪い返すための力へ変換する。黒い刃が、再び手の中で形を成す。静かな決意が、刃に宿る。
神殿は、ようやく気づき始めた。聖騎士の感情を消せば安定する——その前提が誤りだったことに。
神殿が聖騎士の感情を奪ったことで、王子は怒りを選んだ。聖騎士は空洞のまま、崩壊へ向かっている。
これは成功ではない。静かに火が走る導火線。見えない戦いは、すでに始まっていた。
王都の空が、さらに暗く沈んでいく中、二人の間に残った微かな繋がりだけが、静かに脈打っていた。
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