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第7話 夕暮れの裏路地
午後の診察を終え、辺りは夕暮れ色に染まる。
アマンダとニコルは戸締りをして帰宅し、俺も近所の飲食店に夕飯を食べに行こうと外に出た。
奈落に行っていた冒険者たちはすでに帰ってきているだろう。
夜の奈落は強いモンスターが出ると言われ危険が多くなるから、夜営をするような冒険者はごく一部だ。
サーシャはあれ以来姿を見せていないが、どうしているだろう。
来ないのであれば無事、ということだろうか。
そう思いつつ俺は、町中へと向かおうとしたときだった。
背後から口を押えられたかと思うと身体を抱きしめられそして、そのまま路地へと引きずり込まれてしまう。
声も出せず、暴れることもできない俺は甘い匂いその男からすることに気が付いた。
誰だ……この甘い、バニラのような匂いは。知っている。だけど知らない匂い。
「カミル」
興奮した様な低い男の声が耳元で響く。
この声は、ノエル。
「なあ、カミル。俺は何年お前に恋焦がれていると思う?」
そんなの知るわけがないし、知りたいとも思わない。
ノエルは、遠い目をして言った。
「最初に会ったのはいつだっただろう。お前が父親の跡をつぐと父に挨拶に来ただろ? 五年前だったかな。十九歳で医術師の学校を卒業したという天才だと、父は言っていたっけ。お前を見たとき、俺は驚いたよ」
そう言って、ノエルはうっとりとした顔になる。
その顔に心底ぞっとした。
「あぁ、これが俺の運命なんだと。美しいプラティナブロンドの髪、妖艶な薄い紫色の瞳。どこか物憂げな顔をした美しいお前をみて俺は一目ぼれしたのに……」
そして彼は、俺の身体を反転させ、壁に背中を押しつけてそして、怒りと悲しみに染まる瞳で俺を見つめる。
俺の口を押えたまま。
「なんでお前はベータなんだ?」
腹の底から響く、低い声に背中がゾクゾクとしてくる。
そんなこと言われてもどうしようもないだろう。
それを決めるのは俺ではないのに。
言いたくでも何も語れずm俺はノエルのひとりごとを聞かされる羽目になった。
「俺は絶望したよ。お前がベータだなんて。そして俺は、父に言われるままオメガと結婚したわけだ。確かにオメガは魅力的だし、発情したあの子を見て俺は我を忘れて抱き潰した。でも」
ノエルの手が、俺が着ているシャツの隙間に入ってきて直に素肌へと触れた。
気持ち悪い。早く逃げたいのに全然身体が動かない。
怖い。どうしようもない恐怖が俺の心を支配している。
そしてなんて力だ。壁に押さえつけられた俺の身体はピクリ、とも動かない。
ノエルは俺の肌を撫でながらうっとりとした顔で言葉を続けた。
「頭の中にはいつもお前がいるんだよ、カミル。いったいお前はどんな声で啼くんだろう。君の裸体はどんなに素晴らしいだろうって。どれだけ我慢してきたか。あらぬ噂? 俺の名誉? そんなものより俺は、お前を手に入れることの方がずっと重要なんだよ、カミル」
そしてノエルは俺の乳首を指先で弾いた。
気持ち悪い。全身に鳥肌が立つ。
そんなことされても気持ちよさなんてみじんもない。なのにノエルは、恍惚とした表情で俺の肌を撫でまわした。
この男は俺に欲情しているのか? こんな外で? 理解に苦しむ。
誰か気が付かないかと通りの方へと視線を向ける。けれど、誰もくる気配がなかった。
ここは町外れ。
もともと人通りは多くないし、辺りは工場などが多いためこの時間は帰宅してしまっているだろう。
民家もあるにはあるが、夕暮れ時でもあるし皆、家路を急ぎ路地を覗く者などいるはずなかった。
このまま俺は、ここでこの男に凌辱されるのか?
考えただけで全身が総毛立つ。
押さえつけられている間にも日が暮れていき、辺りはどんどん暗くなっている。
なんとか逃げ出さないと。
口さえ塞がれていなければ魔法を発動させられるのに。
きっと、言葉を発しなければ魔法を使えないことを、ノエルは知っているのだろう。
だから俺の口を塞いだか。
まさかこのまま俺は、この男に好き放題されるのか?
嫌だ、そんなの許せるわけがない。
俺はベータだ。その前に男だ。男に抱かれるのなんて、耐えられるわけがない。
俺の口を押えるノエルの手をつかみ無理やり外そうとするが、ノエルはびくともしない。なんて力なんだ、アルファの力の強さに俺はさらに恐怖を感じた。
でも、ここで負けてたまるか。
「もっと早く言うことを聞いていたらよかったのに。お前は本当に強情で、俺をことさらに煽るんだもの」
嬉しそうな笑みを浮かべながら、ノエルは俺の口から手を外す。
いくら貴族が相手でも、聞けない願いがあるのは当たり前だろう。
「はぁっ……」
俺は大きく息を吸い、息切れさせつつ言った。
「煽ってなんて……そんなこと、するわけ……ないでしょう」
出た声は恐怖のためか震えている。
ノエルは目を細めて言った。
「あはは、その苦しげな顔も色っぽいなぁ、カミル」
色っぽい?
いったい何を言ってるんだこいつは。
俺はさげずむ目でノエルを見る。同じ言語を喋っているのに、全然話が通じない。
ノエルはうっとりとした表情で話を続けた。
「ずっとお前に触りたかったんだ。お前に出会った日からずっと、美しく気高い、誰も近づけないお前に恋焦がれてきたんだ」
そしてノエルは大きくため息をつき失望の顔になる。
「なのに運命は残酷だよ、カミル。俺はお前を娶ることができないんだから」
アルファはオメガと番にならないといけない。
そう思うと可哀そうな話なのかもしれない。運命が決まってしまっているのだから。
ノエルは顔を上げ、ぱっと笑顔になり言った。
「でも俺はもうその責務を果たした。あの子はいま妊娠中だ。もうしばらくすれば子供が生まれる。アルファとオメガの間に生まれるのは必ずアルファだ。だからもう、あの子だけを見ている必要もない。なのに好きな相手を愛人にして何が悪い?」
なんなんだこの男は。訳が分からなさ過ぎて恐怖に打ち震える。
これがアルファなのか?
人の道理など通じない。俺には理解できないし、治療方法などあるのだろうか。
これはアルファが抱える闇なのか?
アルファは知力も高いというし、ただ唯一、オメガだけを愛し続けると聞いたのに。話が違うじゃないか。
アルファもオメガも、現状わかっていることが少ない。これは追跡調査して論文にまとめたいところだが、そんな余裕、俺にはない。
喋れるようになったとはいえ、この距離で炎や雷の魔法を使ったら俺にも被害が及ぶだろう。
しかも相手は貴族。傷つけたら俺の方が咎を受け、それが弱みになってノエルにつけこまれかねない。
この状況を脱する魔法、他に何かある?
駄目だ、頭の中が真っ白だ。声を出せれば魔法が使えるのに、この状況から逃げられる魔法が何も出てこない。息を吸うとノエルから香るあの匂いが俺の身体中に蔓延し、力を、思考を奪い去ろうとしていく。
何だこれは。いったい俺に何が起きている?
混乱していると、ノエルはひとり語りを続ける。
「あの日、お前と出会った日に俺は直感したんだ。知っているか? アルファには運命の相手っていうのがいるんだよ。魂で繋がっている存在が。俺にとってお前がそうだと感じたんだ。嬉しかったよ。魂が共鳴するあの感覚……忘れられない」
幸せそうな顔でノエルが告げる。
「なのに……なのになんでお前はベータなんだ?」
その声にどんどん怒りが込められていき、俺は目を見開いてノエルを見つめた。
ノエルの表情は怒っている、というよりもいら立ちを感じているように見える。
そんな不条理な怒りをぶつけられるいわれ、俺にはないのに。
「あ、アルファとオメガのあれこれに、俺を巻き込まないでください。俺はベータだ。オメガの身代わりになんて……」
なれるわけがない。
なのになぜ、ノエルの匂いを嗅いで今、俺は頭がもうろうとしてきているんだ?
この、甘く香る濃厚な匂いはさっきよりもずっと強く、俺の身体に匂いがまるで重い鎖のように纏わりついてくる。
耐え切れず、俺は思わずノエルにもたれかかった。
「あぁ、抵抗するの諦めた? 最初からそうしたらよかったのに」
そう笑いながら言うノエルの声に何も言えず、俺は荒い息を繰り返した。
何だ、これは。俺の身体、どうかしたのか?
俺の医学知識の中にこの匂いの正体にあたるものは見つからない。
嫌だ、このままこの男の思い通りにことが運ぶなんて。そんなの許せるわけがない。
重い身体を何とか動かそうとしたとき、聞き覚えのある声が聞こえた。
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