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第16話 匂い
風呂を出て着替えをし、俺たちは一度部屋に戻る。
するとクロハが尻尾を振って近づいてきて言った。
「はらへった!」
「あぁ、そうだな。メシ、喰いに行くか」
言いながらサーシャはクロハを抱き上げる。
モンスターは奈落から出られないはずなのに、クロハは平気な顔で歩き回っている。
それに喋る。興味深いしいろいろと調べてみたい気持ちはあるが、今はその時ではないだろう。
サーシャ達と共に一階のレストランで食事をとった後、歯を磨き俺は部屋でベッドに転がった。
腹が満たされ、風呂にも入り一気に疲労感が身体に広がる。
こんなにも旅は疲れるものなのか。
「カミルさん、お疲れですよね。一日休みますか?」
なにやらがさごそやっているサーシャの言葉の意味を理解するのに、時間がかかってしまう。
「急ぐ旅ではないですし、明日一日休んでも……」
「いや……いいえ、大丈夫です」
被せ気味にサーシャの申し出を断る。
「王都で調べたいことがありますし、それにできるだけノエルがいる町から離れたいので」
「そう、ですか。わかりました。でも無理はなさらないでくださいね」
心配げな、サーシャの声がする。
ノエルが町の外にでて追いかけてくることはないとは思うが、アルファの執着心がどれほどのものなのか俺にはわからない。
だからなるべく早く、町から離れたかった。
「明日、馬車の幌を買います。そうすれば雨が降っても大丈夫ですし。あまり早くは移動できませんが、今日よりは距離を稼げるかと思います」
馬はそもそも荷物を運ぶため、としか考えていなかったが……結局そうなるのか。
自分が情けなく感じるが仕方ないだろう。
金は有限だし、あまり無駄遣いはしたくないが。
「なのでできるだけ、カミルさんは馬車に乗っていてください。なにも無理して歩くことはないですからね」
最初からそうすべきだったのだろうな。
情けない気持ちになりながら俺は、
「わかりました」
と返事をし、大きく欠伸をした。
いつの間にか眠ってしまったらしい。
目が覚めると、室内は真っ暗になっていた。
布団も掛けずに寝ていたはずだが、いつのまにか布団がかけられている。
サーシャが眠っているはずの方を見るが、暗くてよくわからない。
わずかに寝息が聞こえるから、きっと彼は眠っているのだろうな。
クロハもいっしょだろうか。
そのとき、僅かに匂いがすることに気がついた。
なんだろう、この匂い。
まるで花のような、甘い匂い――
ぐわり、と視界が歪んだような気がして、俺は目を閉じた。
おかしい。
この匂い、ノエルに似ている。
なんなんだこれは。
強い匂いではないが、心臓が高鳴っていくような感じがする。
気のせいだろうか。いや……気のせいなんかじゃない。
けれどなんだかわけがわからず、俺はぎゅっと目を閉じて布団を頭まで被った。
なんとか眠れたと思う。
朝、目が覚めるとなんだか身体が怠く重い感じがした。
カーテンが開き、朝日が窓から差し込んでいる。
「あぁ、おはようございます」
窓際に立つサーシャがこちらを向き、微笑む。
「おはよう、ございます」
ゆっくりと起き上がりつつ言い、俺はサーシャを見つめた。
昨夜した匂い、今はしない。
何だったんだろうか、あの匂いは。
「サーシャ、さん」
「はい、なんですか?」
「香水かなにか、つけていますか?」
あの匂いを確認しようとサーシャに尋ねると、彼は首を傾げて言った。
「香水……? いいえ、そういうのはしていないです。俺は戦士だし、そんなのしてもね」
と笑う。
まあそうだろうな。
香水なんて貴族かと仕事の女性たちしかしないだろう。
じゃああの匂いは何だったんだろうか。
わからないのは嫌だが、今の俺には知るすべはない。
「サーシャいい匂い! カミルも、匂いする!」
と、サーシャの使っていたベッドの上でクロハが飛び跳ねながら言う。
なんだか胸がざわつく言葉だった。
匂い、というとノエルから漂った匂いを思い出すからだ。
「そんなにいい匂いがするのか、俺たち」
クロハの言葉に疑問を抱く俺とは対照的に、サーシャはなんだか嬉しそうだ。
「うん、する! 匂い、いい匂い!」
クロハは獣だから鼻がいいのだろうか。
「クロハ、その匂い、他の人からもするのか?」
そう俺が尋ねると、クロハは首を振った。
「しない!」
しない?
なおさら訳が分からない。
「すごいなー、クロハ。匂いの違いとかわかるんだ」
俺からしたら的外れな言葉だが、サーシャにほめられたクロハは嬉しそうに尻尾を激しく振った。
俺は幌がついた荷台に乗り、サーシャは御者の席に座る。
クロハは馬の上に乗り、嬉しそうに尻尾を振っていた。
馬は一頭だし荷物をひいているためさほど速度は出なかった。
それでも歩くよりずっと楽だ。
「この速度なら王都には夕方すぎには着くかなと思います。途中、休憩挟みますので」
という、サーシャの言葉が聞こえる。
サーシャは馬の扱いにも慣れているらしい。
馬も特に怯えることもなくどんどん進んでいく。
御者席の向こう、まばらに歩く人たちの姿に、荷物を運ぶ馬車の姿が見える。
町での日々が嘘のように穏やかな時間が流れている。
これならもっと早く、町を出ていればよかったかも知れない。
ノエルが暴走する前に。
俺は医術師なのだから、どこに行っても仕事に困ることはなかっただろう。
ノエルは恐ろしいが、生活が変わるのも怖かったんだろうな。
サーシャがいなければ俺は、ずっとあの町にいてノエルに囲い込まれていたのかもしれない。
俺は、御者席に座るサーシャの背中を見つめる。
華奢な俺よりもずっと、大きな背中。
戦場を潜り抜け生き抜いてきたその背に、ずっと戦争の記憶を背負い続けている。
もう四年も経っているのだから、死者を忘れるには充分な時間ではないのだろうか。
サーシャがその重荷を下ろせる日は、来るのだろうか?
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