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第35話 リュートとアベル

 身体は怠いし重いが動けないわけじゃない、位には回復した俺は、その夜、ひとりで風呂に入りに行く。  サーシャはすでに宿へと帰ってしまった。  どうやら日が暮れる前に帰るように言われているらしい。  リュートの姿はどこにもなかった。  もちろんアベルの姿も。  風呂場に行くにはアベルが使う部屋がある廊下へと出なくてはいけない。  廊下に出ると、匂いがした。  干した布団のような匂い、といえばそうとも感じる。  俺には違う匂いにも思えるが。  俺は奥にあるアベルの部屋の扉の方を見る。  そこまで強い匂いじゃないのに、扉を隔てているのにこんな匂いがするのか。  サーシャはあまり好きな匂いじゃない、と言っていたがアルファにもオメガの匂いの好き嫌いがあるんだろうか。  俺がノエルの匂いに嫌悪感を抱くように。  風呂に入り廊下へ出ると、アベルの部屋から出てきたリュートと鉢合わせた。  彼は、頭に手をやると妙に色っぽい笑みを浮かべて俺を見た。 「やあ、カミル。ひとりで動けるようになったんだね」  言いながらこちらに近づいてくるリュート。彼から強い匂いがした。  これはアベルの匂いだ。  思わずハッとして、俺はリュートの顔を見る。  すぐに彼が何をしていたのか気が付く。  アベルを、抱いていたんだろう。  発情期をやり過ごすにはそれが一番だから。 「あぁ、その顔、僕が何していたのかお見通しって顔してる」  いたずらっ子のように彼は笑い、腕を組む。  これは触れていいのだろうか。いや、触れられるわけがない。 「すみません。俺は部屋に戻ります」  言いながら俺は頭を下げる。  サーシャに渡したという薬のことを聞きたいが、今はそんな場合じゃないだろう。  ふたりはそういう関係なのか。  エルフにはアルファやオメガが存在しない、と言っていた。  じゃあなんなんだ?  いや、そんなの俺が詮索することじゃないな。  恋人には見えなかった。ただの師匠と弟子のようだったし。 「薬で抑えられるんだけどねぇ、一日目と二日目だけは薬が効かないんだ。それに普段よりも発情期がくるのが早くて。もしかしたらサーシャの存在のせいかも」  立ち去ろうとする俺の背中に、リュートがそう話しかけてくる。  あぁ、やはり薬があるのか。 「オメガはアルファの影響をうけてしまうんだねぇ。逆はどうなのかと思ったけど、サーシャは変わった様子ないし。念のため、アルファの抑制剤を渡したけど」 「そんなものがあるんですか?」  思わず声を上げて俺はリュートを振り返る。  彼は相変わらず、笑みを浮かべてそこにいた。  背筋が寒くなるような目を、こちらに向けている。 「あぁ。オメガバースの薬はまだ実験段階だそうで、副作用とか調べるのにあの子は協力しているんだよ」  以前出会ったオメガの子も、薬がどうのと言っていたが……副作用を調べる、ということは治験段階という事か。だから調べても話が出てこなかったのか。 「それで僕は二日だけ、あの子の相手をしているんだよ。発情期ってそうとう辛いみたいだからね」  言いながら彼は俺のそばまでやってくる。  そうだろうな。  沸き上る欲望を抑えきれず、本能のままに求めてしまうから。 「君もそうなの? 発情期は欲しくてたまらなくなるの?」  興味津々、といった表情をして、リュートが僕に顔を近づけてくる。  また答えにくいことを言う。 「……一般的にはそう言いますね」  そう答えると、リュートは首を横に振った。 「君のことを聞いているんだよ。ねえ、発情したオメガを前にしても何も思わないの? 影響は受けないものなのかな」  悪趣味だ。  そう思い俺はリュートから視線をそらした。  それは俺も気になるところだが…… 「……前に、発情したオメガを目の前にした事がありますが、何も起きませんでした」  嫌悪感を抱きながらそう答えると、感心した様な声が聞こえた。 「そうかぁ。そうなんだ。じゃあ君が影響を受けて発情する心配はなさそうだね」  そこが心配だっただけなのか? 他の意図があるわけじゃないのか?  俺は顔を上げてリュートを見る。  彼は笑ってる。  愉快そうに。  何を考えてるのか掴めないのは不安すぎるが、そういう人なのだろう。  この人とは合わない。  それだけは確信できた。 「少し心配だったんだ。オメガ同士が同じ屋根の下っていう状況、初めてだったし。どちらかが発情したらどうなるのかなって」  とても心配している風には見えない口ぶりで言い、彼は俺から離れて腕を組む。  もし俺が影響を受けて発情したらどうするつもりだったんだ?  ……考えるだけで反吐が出る。 「俺は戻ります」  嫌悪感でいっぱいになりながらそう声をかけ、俺はリュートに背を向ける。  早く彼の前を去りたかった。これ以上いても不快感が増すだけだから。  その時だった。 「……リュート、さまぁ……」  扉が開く音と、強い匂い。  甘く耳に絡みつく声が、リュートを呼んでいる。 「あぁ、起きたんだ。待っていなさい、アベル」  そう、優しく答えたリュートの声のあと、足音が続く。  俺はそちらを見ないようにして、そそくさと部屋へと続く扉を開いた。

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