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〈第1部〉01.同じクラス
暖かな春の日差しにつられるように、思わず欠伸が出た。
スマホのメッセージ画面に目を落としながら、蓮は高校の階段をのんびりと上がる。
慣れない廊下を歩いていると、友人が蓮に声をかけてきた。
「蓮、何組になった?」
「2年2組」
「進級できたんだねぇ」
「失礼すぎ」
からかってくる友人の声を受け流しながら、蓮は教室の扉を開ける。
その教室の真ん中辺り。友人と談笑している男――牧叶多の姿を見て、蓮は思い切り眉を寄せた。
「…………マジかぁ」
――苦手な優等生と、同じクラスになってしまったようだ。
蓮が溜息をついた瞬間、席にいる叶多とばっちり目が合ってしまった。
それにつられるように叶多の友人もこちらに目をやり、挨拶のように軽く手を挙げる。
「小野田 じゃん。お前も同じクラス?」
「あー、まぁ」
呼び止められてしまい、無視することもできずに蓮は仕方なく叶多のいる席へと歩み寄る。
そばで立ち止まった蓮を見上げ、叶多は僅かに目を瞬かせた。
「あれ、この前の人」
「え」
どきりとした。
叶多の方も、蓮の事をしっかり覚えているようだ。
当然といえば当然である。何の気も無しに空き教室の扉を開けば、見知らぬ男女が取り込み中。挙げ句の果てには、翌日にその男がわざわざ口止めに来たのだから。
叶多の呟きを聞いた友人が、意外そうな顔をする。
「蓮と牧ちゃんって友達だったの?」
「いや……」
「ちょっとした顔見知り」
肯定も否定もできずに言いあぐねる蓮を遮るように、叶多がそう言った。
それで納得したのか、友人は「ふーん」と相槌をうつと他のクラスメイトに呼ばれてその場を離れていってしまった。
取り残された蓮と叶多の間に、何とも言えない沈黙が下りる。
先に口を開いたのは叶多の方だった。
「そんな嫌そうな顔しないでよ」
「別にしてねぇよ」
低くぶっきらぼうな蓮の物言いに動じることなく、叶多は小さく笑う。
やや気まずそうに目を逸らしながら、蓮は声を潜めた。
「……本当に、誰にも言ってないんだな」
あの日から数日間、絶好のネタとして周囲から面白おかしく言及されることを蓮は密かに危惧していた。
が、当の彼女以外にあの件について触れてくる者は誰ひとりとしていなかった。
それよりも、一度寝ただけでまるで恋人のように接してくる彼女にひどく辟易したことを蓮は思い出す。
「気にしてたんだ?」
口元に笑みを浮かべて、叶多が小首を傾げた。
ほんの僅かに見えたからかいの色に、思わず蓮はむっとした表情をする。
それを見て叶多は更に笑みを深くした。
「あそこ、たまに先生が使うから気を付けて」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が蓮の口から溢れ出た。
叶多の方からあの件に触れてきたかと思えば、それは注意や文句でもなく忠告。
「お前、何とも思わないんだ?」
「まぁ……」
蓮の問いかけを受けても尚、叶多は顔色を変えることなくそう呟いた。
蓮が再び口を開くよりも先に、予鈴のチャイムが鳴る。
こちらをじっと見つめてくる叶多の視線に居た堪れなさを感じた蓮は、逃れるように彼に背を向けた。
(優しいんじゃなくて、ただ無関心なだけだろ)
――何が優等生だ。
そう内心で悪態をつくと同時に、不意にあの日扉を開けたまま固まっていた叶多の無表情な顔が脳裏を過ぎった。
それを振り払うように頭を振って、蓮は自分の席へと向かった。
――
それから数日。蓮が叶多とまともに会話をしたのは、あの日限りだった。
用も無ければ叶多も自ら近寄って来ない。それは蓮も同様で、一定の距離を保つ『ただのクラスメイト』にお互い徹していた。
だが蓮の目には、叶多がクラスメイトからよく声をかけられている場面が度々映っていた。
「牧ちゃーん」
「はーい」
「牧ちゃん宿題見せて」
「この前も見せた気がするけど」
『牧ちゃん』という愛称で呼ばれ、親しげに話しかけられている。その中には頼み事も多く、しかし叶多はいつも柔らかい表情と穏やかな声音でそれに答えていた。
彼のその人柄は誰からも好まれていて、教師からもある程度の評判があるようだった。
「牧、これ頼む」
「わかりました」
教師に雑用を頼まれても、叶多は表情一つ変えない。
そんな場面を目撃する度に、蓮は僅かな苛立ちを感じていた。
(なんかむかつく)
そんな一方的な感情を蓮が抱き始めた、ある日のホームルーム。
教壇に立った担任教師が委員決めについて説明するのを、教室の一番後ろかつ角の席にいる蓮は我関せずといった様子でぼんやりと聞き流していた。
やがて教師がクラス委員の立候補を募りだした。だが誰も手を挙げる者はおらず、教室内に静寂が満ちてしまう。
推薦式にしようかと話が変わり始めた頃、クラスの誰かがおもむろに声をあげた。
「牧ちゃん、クラス委員やらない?」
「え?」
クラスの注目が一気に叶多に集まる。
急に自分の名前を出されて驚いた顔をしていた叶多だったが、少しだけ考える素振りを見せた後やがて困ったようにはにかんだ。
「うーん……いいけど」
叶多がそう答えた瞬間、クラスの空気が安堵に近いものに変わる。
周囲が口々に「牧ちゃんなら大丈夫」「さすが」と囃し立てるのを、蓮は一人苛立たしげに聞いていた。
(良いように使われてるだけだろ)
そしてそれを容易に受け入れる叶多自身にも、腹が立つ。
――どんなに表面上は綺麗に取り繕っていようとも、本心はきっと全く違う所にある。
それを微塵も見せようとせず、彼は笑顔で隠しているような気がしてならなかった。
(嘘くせぇ)
しかし叶多に非があるわけではないのも、蓮は理解している。
舌打ちしたくなる衝動をぐっと堪える代わりに、蓮は窓の方へふいっと顔を向けた。
やがてチャイムが鳴り、ホームルームが終わる。
放課後になった途端に教室は喧騒に包まれた。
それと同時に、叶多は早速友人に声をかけられていた。
「牧ちゃん、さっきのさ」
角に位置する席にいるせいで、その様子が嫌でも蓮の目に入る。
何かを誤魔化すように蓮がスマホを手に取ると、廊下に接する教室の窓が開かれ友人である女の子がひょこっと顔を出した。
「蓮、今日遊べる?」
「……いーよ」
「なんか機嫌悪くない?」
「別に」
彼女に誘われるがまま、蓮は鞄を手に立ち上がる。
教室を後にするほんの一瞬、蓮は叶多の方へと無意識に視線を向けた。
いつもの優等生スマイルで、彼は友人と話している。
特に何かを期待したわけでもなく、蓮は再び目を逸らして廊下へと出た。
叶多がその背中をちらりと一瞥していたのを、蓮は知らない。
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