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03.違和感

 ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り、放課後を迎えた教室は途端に騒がしくなる。  帰宅の準備をしながら、叶多は人知れずそっと溜息をついた。 (疲れた……)  1時間にも及ばない体力テストですっかり疲労困憊してしまい、叶多は自分の体力の無さに我ながら辟易する。  しかし不意に目に入った自分の腕時計の時刻を見て、叶多は思考を霧散させて立ち上がった。 「牧ー」  そこに友人が声をかけてくる。 「今日さ、暇?」 「あー……ごめん、今日はちょっと早く帰らないといけなくて」  叶多は少しだけ言い淀むと、申し訳なさそうに眉を下げた。 「あ、もしかして弟? 今日は親いない日なんだな」 「そうなんだよね」 「あれ、でもお前お兄さんいなかったか?」 「夜勤。だから家に誰もいなくて」 「なるほど」  納得したように友人は軽く頷く。  かと思えば、彼は叶多に顔を寄せると内緒話をするように囁いた。 「……ていうかさ。牧、さっきアイツに絡まれてたよな」 「アイツ?」 「アイツだよアイツ。小野田蓮」  友人がちらりと盗み見するのにつられて、叶多も視線をやる。  教室の一番後ろ、扉に近い席。脚を組んでスマホを扱っている蓮に、こちらに気付く様子はない。  背が高く、明るい髪色のせいで彼は非常に目立つ存在だった。授業に姿を見せない事も多く、その近寄り難い見た目や雰囲気から不良だのヤンキーだの周囲が噂しているのを、叶多はよく耳にしていた。  つい数時間前の体力テスト。クラス替えの日以来、話すことのなかった蓮に叶多はふらついた所を咄嗟に支えられた。その場面をちょうど友人に見られてしまっていたようだ。 「普通に話してただけだよ」  視線を戻した叶多が何気なくそう言うと、友人は眉根を寄せて心配するような表情を滲ませる。 「本当か? 何か言われたりとかは」  ——言ったし、言われた。  疲労で屍のようになっていた所を気遣ってくれた蓮に対して、叶多は無意識で言葉を返してしまった。  いつもの優等生じゃない、口が悪くて愛想のない自分。それに蓮は気分を害した様子も無く、それどころか愉快そうに笑って『牧ちゃんって、意外と口悪い?』と意味深に言い寄ってきたのを思い出す。  苦々しい顔になりそうになるのをぐっと堪えて、叶多は笑みを浮かべる。 「……気にしすぎじゃない?」 「だってアイツ、あんまり良い話聞かないだろ。顔が良いから女と遊びまくってるらしいって」  友人の言葉に、叶多は去年の空き教室の事を思い出した。  ——あれは事故だった。それ以上でもそれ以下でもなく、叶多のとっては本当に些細な出来事。しかし翌日わざわざ口止めに来たのを見て、意外と気にするタイプなんだなと叶多は蓮に対するイメージを改めた。  叶多は首を傾げた。 「さぁ……俺は知らないかな」  友人は笑みを浮かべ、叶多の肩をぽんと軽く叩く。 「まぁ、なんかあったら言えよ」  そう言って友人は離れていった。  叶多は再び腕時計で時刻を確認すると、教室を出ようと鞄を肩に掛け身体を扉の方へ向ける。  その時、蓮と真正面から視線がぶつかった。  いつからこちらを見ていたのだろうか。つい先程まで彼の話をしていた後ろめたさからか、叶多はさっと目を逸らしてしまう。  一瞬だけ迷って、叶多は蓮の席に近い扉とは違う扉から出ることにした。 「牧ちゃん」  教室から出た所を呼び止められる。  足を止めて叶多が振り返ると、廊下に面する教室の窓を開けて蓮が身を乗り出していた。 「じゃーね」  笑って、蓮がひらりと手を振る。  今まで用が無ければ互いに挨拶はおろか、話しかけることすらしてこなかった。それなのに、何故急に。  ——返さなければ。間が空くと不自然になる、でもなんて返せば? 「…………」  鞄のショルダーベルトを握りしめ、ぐるぐると叶多は逡巡する。  やがてその様子を蓮がにやにやしながら見ていることに気付いた叶多は、開きかけた口を閉ざすとくるりと背を向けてその場を後にした。  遠ざかっていくその背中を、蓮は目を細めて見つめていた。 ——  帰宅した叶多は、取り込んだ洗濯物をリビングで畳みながら深く溜息をついた。  なんてことのないように挨拶してきた蓮を思い出して、自然と眉が寄る。 (挨拶、返せば良かったのか)  ——動揺のあまり、無視したみたいになってしまった。他のクラスメイトと同じように「またね」って返せば良かったのに。気分を害してはいないだろうか。そもそも急に話しかけてきて、一体どういう了見なのだろうか。  顰めっ面で物思いに耽る叶多の向かいから、同じように洗濯物を畳んでいた弟が無邪気に顔を覗き込んできた。 「兄ちゃん、怖い顔してるよ」 「……悪ぃ。何もねぇ」  思考をふるい落とすように、叶多はゆるく頭を振った。 ——  翌日。  始業間際に登校してきた蓮は、何故か自分の席を通り過ぎて叶多のいる席までやってきた。 「牧ちゃん、おはよ」 「…………おはよう」  笑みを浮かべて、叶多は挨拶を返す。  押し隠した動揺は僅かに空いた間や引き攣った口角に表れてしまったが、それでも蓮は満足そうに笑って離れていった。  その光景を見ていたクラスメイトたちが、にわかにざわつきだす。  今まで接点の無かった二人の距離が突然近くなっているのだから、当然である。 (……意味わかんねぇ)  そしてそれに一番困惑しているのは、当事者である叶多自身だった。  

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