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05.本音
体育祭が終わって、数日後。あの熱気もすっかり日常の空気に霧散した、放課後の教室。
叶多の前の席に座った蓮は、叶多の机に広げたノートを勝手知ったる顔で覗き込んでいた。
「牧ちゃん、この問題教えて」
「…………」
同じノートに目を落としながら、叶多は苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべていた。
それに気付きながら、蓮は密かに口角を上げる。
教室の前を通りかかったクラスメイトが、そんな2人を見てわざとらしい声を上げた。
「蓮、また牧ちゃんと一緒にいるじゃん」
「まぁな」
何故か得意気に返事する蓮とは対照的に、叶多は黙って笑みを引き攣らせる。
体育祭の日を皮切りに、蓮は叶多に声をかけることが圧倒的に増えていた。
何気ない挨拶から始まり、休み時間になると蓮は何かしらの理由をつけて叶多の元へ行く。
クラスメイトの前で自らの口から友人だと言った手前、邪険に出来ない叶多が渋々それを受け入れているのを知りながら。
再びノートに顔を戻して、蓮は声を潜める。
「でも牧ちゃん、オレのこと苦手だろ」
「……別に」
「避けてるもんな」
「避けてない」
「嘘」
押し問答の末、蓮がそうはっきり言い切ると叶多は拗ねたように口を僅かに尖らせた。
その表情につい破顔しかけるのを、蓮はぐっと堪える。
人当たりも良く、周りから『牧ちゃん』という愛称で呼ばれるほど慕われている叶多。穏やかな笑みを絶やさない完璧な優等生である彼が、自分の前だけは年相応の表情を見せてくれる。
本人からすると不本意であろうが、その特別感に蓮は毎度胸の奥をくすぐられて堪らなかった。
「蓮いる〜?」
その時、気の抜けた声と共に教室の扉が勢いよく開かれた。
つられて目を向けると、蓮の友人である遼太郎がずかずかと教室に入ってきたところだった。
遼太郎は蓮と向かい合って座っている叶多を目に留めると、わざとらしく片眉を上げてみせた。
「まーた牧ちゃんに絡んでんの? 好きだねぇ」
「うるせーな」
蓮の抗議の声を華麗に無視して、遼太郎は隣の席に寄りかかる。
そして知らない人間の乱入に面食らう叶多を見て、遼太郎は眉尻を下げながら首を傾げた。
「牧ちゃんさぁ、蓮に遊ばれてない? 大丈夫?」
「……遊ぶ?」
呟いた叶多が、僅かに目を瞬かせる。
蓮が焦りの色を浮かべたのを知ってか知らずか、遼太郎はやけに明るい声音で続けた。
「蓮、そういう所あるからさぁ」
「余計なこと言うなよ」
硬い声でぴしゃりと遮り、蓮は遼太郎を睨みつける。
それを気にすることなく、遼太郎はひらりと片手を振った。
「はいはい怖い怖い」
「じゃあ後でね〜」と言い残し、遼太郎は教室を後にする。
その背に恨みがましい視線を向けながら、蓮は溜息をついた。
「何しに来たんだアイツ」
——不意に、沈黙が降りる。
ちらりと蓮が正面を伺い見ると、叶多は手元のノートに目を落としたまま俯いていた。
蓮の背中に嫌な汗が流れる。何か言おうと蓮が口を開いた瞬間、
「……俺って、遊ばれてる?」
叶多が掠れた声でそうこぼした。
固まって言葉を失う蓮を尻目に、叶多は続ける。
「去年の冬、俺が空き教室の見たからか」
「待って、違う」
「違うなら何」
そこで初めて、叶多と真正面から視線がぶつかる。
蓮は必死に頭を働かせた。
——叶多の反応が見たくて絡んでいたのは本当。でもそこに悪意がないのも確かで。
しかし秀才の叶多を納得させられるような言葉を、今の蓮には持ち合わせていなかった。
「えっと……」
目を泳がせながら言い淀む蓮に、叶多の視線が突き刺さる。
——意外とつり目なんだよな。オレといるときは大体顰めっ面で、でも全然怖くなくてなんか警戒してる小動物みたいで
「………………可愛い、から?」
半開きの蓮の口から、無意識にそんな言葉が飛び出た。
「あ?」
それと同時に、叶多の低い声が静かな教室に響く。
ぶわりと体温が上がるような感覚がした。
(は? オレ今なんて言った?)
思いがけぬ言葉に蓮はひとりでに混乱する。
その時おもむろに叶多が立ち上がり、その音で蓮ははっと我に返った。
叶多は自分の鞄を肩にかけながら、冷ややかな目で蓮を見下ろす。
「……結局からかってるってことだろ」
「違うってぇ……!」
蓮の必死な弁明に耳を貸すことなく、叶多はそのまま教室を出て行ってしまった。
ひとり取り残された蓮は、力なく机に突っ伏す。
「可愛いってなんだよ……」
——
「……牧ちゃん、おはよ」
翌日。登校した蓮は、自分の鞄を持ったまま恐る恐る叶多の元へ近付いた。
「……はよ」
叶多は蓮をちらりと横目で見ただけで、ぶっきらぼうに挨拶を返す。
いつもならクラスメイトの目を気にして、にこやかな笑顔を浮かべるのに。
刺々しい叶多の雰囲気が肌に刺さる。喉元で引っかかる言葉を飲み込んで、蓮はその場を後にした。
「牧ちゃん、あのさ」
休み時間になり、蓮は叶多に声をかけた。次の授業は移動教室。教科書やノートを抱えて、生徒たちが次々と減っていく。
叶多も移動教室の準備をしながら、無表情のまま一瞥し蓮に「何?」と言外で促す。
「……昨日の話なんだけど、」
「別に気にしてない」
蓮が言い終える前にそう短く言い捨て、叶多が立ち上がった。
そのまま去ろうとする彼を、蓮は咄嗟に手首を掴んで引き止めた。
「いや気にしてるじゃん」
「気にしてないって」
蓮の手に力が入る。
「じゃあなんでこっち向いてくんないの」
「うるせぇな」
不機嫌そうに顔を歪めた叶多が、蓮の手を勢いよく振り払った。
掴まれていた手首を摩りながら、叶多は蓮を睨むように鋭い視線を投げる。
「満足したか? 俺のこの反応が見たかったんだろ?」
「違——」
「俺なんかどうせつまんねぇからさ。だからもう終わり」
投げやりに、そう捲し立てられた。眉根を寄せ僅かに唇を噛む叶多の表情を見た瞬間、蓮の動きが止まる。
叶多は背を向けて足早に教室を出て行く。追うことも出来ぬまま、蓮はその場に立ち尽くしていた。
(……どうしよう)
——傷つけた。
その事実が深く蓮に突き刺さり、思わず拳を強く握る。
脳裏に叶多の言葉が反響した。
(どうせつまんないって何だ。牧ちゃんつまんなくないだろ)
誰かに言われたんだろうか。どうして。誰に。
思考が散らかり、まとまらない。蓮は舌打ちをひとつして、そして深い溜息をついた。
今考えるべきはそれじゃない。叶多はもう自分を拒絶している。自分の言葉は聞き入れてくれないかもしれない。
自分のことを、信用してもらいたい。
「このままじゃ、嫌だ」
掠れた蓮のその声は、予鈴を告げるチャイムに掻き消えた。
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