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第2話
赤茶色のレンガ造りの兵舎を出ると、東の空は白み始めていた。天頂近くでは星が瞬き、西の空はまだ暗い。
大陸の中でも北に位置するこのノースフェルト基地は北の山脈から吹き降ろす風が冷たく、四月に入ったというのに朝晩はまだかなり冷えこむ。リュカは外套の首元を合わせ直し、大きく白い息を吐きだしてから歩き出した。
昨夜の嵐で折れた木の枝が散乱する小道を進むと、木造の小さな建物に辿り着く。竜舎だ。
木の扉を押し上げて中に入る。一列に並んだ囲いの中には幼い竜たちが八体ほど、干し草が敷かれた地面の上で丸まって寝息を立てていた。くうくうと呼吸の音が聞こえてきて、その可愛らしさにリュカは頬を弛めた。
竜人は人の姿にも竜の姿にもなれる不思議な生き物だ。
両手に乗せられるほどの大きさの卵で産まれ、しばらくは竜の姿で生きる。おおよそ二年が経つ頃には人の姿に変化できるようになり、それからは成長のスピードが人間と同じ速さとなり、八年ほどで大人の竜人となる。
この竜舎はまだ竜の姿しかとれない幼い竜人のための施設だ。人の姿を安定して取れるようになったら竜舎は卒業で、男の竜人は予備課程を経て騎竜へ、女の竜人は軍関係の人間の家庭の養子になり、年頃になると番として引き合わされ子供を作るのだ。
柵越しに幼竜たちを眺めながら温度と湿度を確認していると、竜舎の扉が開いた。入ってきた男が「お」と目を丸くする。
「相変わらずリュカは早えなあ」
「ブラン、おはようございます」
バケツを片手に入ってきたのは、この竜舎の管理を任されている一等保竜官のブランだ。正確な年は知らないがおそらく四十半ばくらい、着崩した作業服でいつも巻きたばこを耳に引っ掛けている。
ブランは「はよ」と軽く手を上げると、眠そうに欠伸をしてきょろきょろと竜舎の中を見回した。
「あれ? なんだよ、ミハイルは寝坊かあ?」
「おそらくは」
リュカが苦笑いで頷くと、ブランは思いっきり眉を寄せた。
「アイツ一番の新入りのくせにどういう了見してんだ? 俺とかリュカよりも早く来て準備しとくもんだろうがよ」
ぶつぶつとブランが言い始めたとき、竜舎の扉が勢いよく開いた。
「すみません! 寝坊しました!」
慌ただしく入ってきたのはミハイルだ。
くるくるとしたくせ毛の茶色の髪に、白い頬にはそばかすが散っている。リュカよりも三歳年下で基礎課程を卒業したばかりの十六歳のミハイルは、竜舎の配属になってからも三日に一度のペースで寝坊するという困った癖があった。
「おらあ、ミハイル! 一番下っ端の分際で何寝坊しとんじゃ! 今月に入って一体何回目だ!」
「うわああっ、すみませんっ」
怒り心頭のブランは拳骨を振り上げたが、ミハイルは身軽にひょいひょいと逃げて回り、リュカの後ろに回り込んだ。ブランが眉を吊り上げたままため息をつき、掲げていた拳を仕方なさそうに下げる。
「明日遅刻したら鉄拳だからな」
「大丈夫っす! もう絶対寝坊しませんので!」
「って言ってお前は先週二回寝坊したよな?」
「ほんとにほんとです!」
ミハイルが自信満々に胸を張ると、ブランは大きなため息をついた。
「はあ……ほんっとにしょうがねえやつだなぁ……。おいミハイル、さっさと仕事始めろよ。まったく……お前が騒ぐから、かわい子ちゃんたちが起きちゃったじゃねえか……」
ぶつぶつと文句と言いながら、ブランは幼竜たちの囲いを覗き込んだ。起き出したらしい幼竜たちは首を伸ばして眠気眼でこちらを見ている。幼竜たちの可愛らしい姿にブランが相好を崩した。どうやら怒りは収まったらしい。
ミハイルがほっと息をつき、リュカに笑いかけてくる。
「おはようございます、リュカさん。ブランさんはリュカさんには優しいから、リュカさんの後ろに隠れておけば大丈夫だと思ったんですよね。大正解~」
「おはよう、ミハイル。起きられないようなら俺が明日から部屋まで起こしに行こうか?」
「ええっ? 大丈夫っすよ! 少尉様にそんなことさせたら俺の首が飛んじゃいますって!」
慌てたようにミハイルは首をぶんぶんと振る。
「そんなわけないだろうに」
「いやいや! そんなことありますって!」
ミハイルはそう言うが、リュカは名ばかりの張りぼての少尉だ。なんの権威もありはしないし、むしろ次に何かを失敗したら首が飛ぶのは自分の方だ。だが配属されてまだ数か月のミハイルにはその辺の事情がわからないようだ。
リュカは苦笑いで話を流し、「仕事にかかろう」とミハイルの肩を叩いた。ミハイルは竜舎の掃除、リュカは幼竜たちの朝食の準備だ。
幼竜たちは成長具合も食べ物の好みも違い、各々の食事の量や野菜や肉の分量なども細かく変える必要がある。毎日彼らの体調に合わせて、一日の食事量を計算するのはリュカたち保竜官の仕事なのだ。
リュカが保竜官の見習いになったのは二年前のことだ。
竜騎士を辞めて廃人同然になったリュカをこの仕事に誘ってくれたのはブランで、初めは流されるように手伝いを始めたリュカだったが、今になってみれば竜騎士よりも適性があるかもしれないと感じることもある。先月にはようやく二等保竜官の試験にも合格し、簡単な治療行為も出来るようになったところだった。
野菜や果物の計測を終え、首を長くして待つ幼竜たちに順番に朝食を与えていく。
「リュカ、体温の計測も一緒にやっていくぞ」
「はい、わかりました」
竜人たちは竜の姿のときは言葉を話すことが出来ないが、幼いときでも顔つきや仕草で十分にコミュニケーションは取ることが出来る。
リュカが「おはよう。調子はどうだい?」と話しかけると、彼らはくりっとした丸い目を細め、リュカの差し出した手のひらにすりすりと嬉しそうに顔を擦り付けてきてくる。どうやらご機嫌は上々らしい。
ブランと一緒にすべての幼竜たちの体調確認を終わらせてようやく一息つく。
ふいに遠くからドオン、と地響きが聞こえてきたのはそのときだった。
「なんだ?」
リュカの隣でブランがはっと顔を上げる。竜舎の掃き掃除をしていたミハイルも、怯えたようにこちらに走ってきた。
「も、も、も、もしかして奇襲攻撃っすか?」
「いや……それにしては攻撃が短い」
青ざめたミハイルの言葉に、リュカは首を振った。
音がしたのは一回きりだ。耳を澄ませてみても、それ以上の音は聞こえない。
「そうだよな。基地に直接奇襲攻撃を仕掛けてきたにしてはお行儀がいいもんってもんだ」
「ええ。それに距離があるようですし」
基地の外で何か起きたのかもしれない。
「おい、一応いつでも退避できるように荷物まとめておけ!」
「わかりました!」
ブランの指示に、リュカとミハイルは慌てて頷いた。
リュカは不安そうに見上げてくる幼竜たちに「大丈夫だよ」と声を掛けて落ち着かせてから、医療用品を持ち出し用の袋に詰め始める。しばらく無言で作業を進めていると、一人の兵士が慌てた様子で竜舎に入ってきた。
「ブラン、大変だ! 基地の外に竜人が墜落したらしい!」
「はあ? どういうことだ?」
ブランは眉を寄せた。
兵士は興奮しながらも身振り手振りを交えて説明する。
「見張りが言うには、見たことのない赤い鱗の竜だって言うんだよ! 体つきも大きくて、ノルディアの竜人とは違う種類じゃないかって騒ぎになってる!」
兵士の話によると、どこからか飛んできた竜が墜落したのは基地の北側にある森の中らしい。夜警番の兵士と朝番の兵士がちょうど交代する時間帯で、衝撃音に駆けつけてみると、木々がなぎ倒され、その中央に見慣れない血まみれの赤い鱗の竜がいたと言う。
「赤い鱗の竜……?」
その言葉に、ブランもリュカも眉をひそめた。
ノルディアにいる竜人は薄い茶色の鱗に覆われている。赤い鱗の竜なんて聞いたことがない。
「とにかく! その竜人に殺気立ってて近づけないんだよ。竜騎士にペアリングをやってもらったんだが、興奮しすぎているせいか全然効果がねえんだ。早く来てくれ!」
「わかった、すぐ準備をする」
ブランは頷くと、すばやく竜人用の麻酔用銃の用意に取り掛かった。リュカも竜舎の奥に保管してある捕縛網を取り出す。そうしてブランとリュカとミハイルは、兵士に急かされるようにして竜舎を飛び出した。
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