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第3話

 まだ薄暗い夜明け直後だというのに、森の入り口には人垣ができるほどの兵士が集まっていた。 「こっちだ!」  案内役の兵士が人垣をかき分けて、ブランとリュカとミハイルはその後に続く。 「うわ、これは酷えな……」  森の中は昨日までの嵐で、枝や葉が散乱していた。  さらに奥に進む。背の高い針葉樹が何本もなぎ倒されている隣に、三メートルほど体長の大きさの竜が血まみれになって横たわっていた。 「本当に……赤い……竜だ……」  リュカは驚きに目を見開いた。  全身を覆うのは、一枚一枚が手のひらの大きさほどの赤銅色の固い鱗。胴から伸びた四本の脚には鋭く長い爪が付いている。そして長い首の背面には立派な鬣が、その背中からは体長の二倍はありそうな大きな翼が生えていた。  墜落したときに出来た傷なのか、ところどころ鱗が剥がれて血に濡れ、泥と砂にまみれているのが痛々しかった。  ぐったりと目を閉じていた赤い竜は、ふいに瞳を開いた。  鱗と同じ色の宝石のような二つの瞳がリュカたちを捉える。  竜は牙をむいて警告音を上げた。キイイイ――という甲高い威嚇の叫びをあげながら立ち上がろうとしたが、傷が痛むのか動けないようだ。 「もしかしてこいつは赤竜(せきりゅう)か……?」  黙って竜を見ていたブランがぽつりと呟いた。 「赤竜っすか?」 「ああ。俺も噂話を聞いただけだが……。この大陸の南の方に生息してる竜人だ。ノルディアの竜人と違って、人間とはあまり関わらずに山奥の集落で暮らしているって聞いたことがあるが、なんでこんなとこに……?」 「え、南? ってことはレグラントの方からっすか?」  ミハイルが驚いたように声を上げ、それを聞いた近くの兵士が反応した。 「レグラント……? レグラントって言ったか?」  『レグラント』という敵国の名前に、周囲の兵士たちが騒めき始める。  レグラントはノルディアの南に位置する大国で、この数十年間に渡って戦い続けている敵国でもある。だから『レグラントの方からこの赤い竜が来たらしい』と聞いた兵士たちが殺気立ったのも無理のないことだった。 「まさかこの竜人、レグラントが差し向けたスパイじゃないだろうな!」 「まさか奇襲攻撃をしかけにきたのか⁉」 「ちょ、ちょっと待てよ!」  いきり立つ兵士たちをブランは宥めた。 「昨日の嵐に巻き込まれて迷い込んできただけかもしれねえ。いくら南の方にいる竜人だからって、スパイだと決まったわけじゃねえだろ」 「そんなのわかんないだろうが! やられてからじゃ遅いんだぞ!」 「そうだ! 弱ってるうちにさっさと殺しちまえ!」  場が一気に殺気立っていく。 「――落ち着いてください!」  咄嗟にリュカは声を張りあげていた。  兵士たちが驚いたようにリュカの方を見る。 「ライネル少尉……?」 「本当だ、リュカ・ライネル少尉だ」  と視線が一斉にこちらに向いて、思わずリュカは怯んだ。  目立つのは得意ではない。だが弱り切っている竜人に殺意の感情を向けられるのを、どうしても見過ごすことが出来なかった。 「あ、赤い竜というだけで……この国にいる竜人と違うだけで、敵だと決めつけるのは早計ではないでしょうか」   少尉であり立場上は上官であるリュカの言葉に兵士たちは一瞬黙り込んだが、すぐに薄笑いを浮かべて取りなしてきた。 「ライネル少尉、お言葉ですがね、敵かもしれないやつを生かしておく余裕はこの基地にはないですよ」  隣の他の兵士もわざとらしく眉を下げながら言う。 「そうですよ。それにこいつは竜人だ。その気になったら俺たちなんて炎のひと吐きで黒焦げですよ。それともライネル少尉はこの竜人を生かすためなら、俺たちが殺されてもいいって言うんですか?」 「……そうは言っていません」 「だったら何が言いたいんでしょう? 少尉でしたら前線のことをよくご存じかと思ったのですがね」  一兵士のその言葉に、失笑が広がった。  たった一年で騎竜士を辞め、後方に戻ってきたリュカの経歴を当て擦っているのだ。  悔しさにぐっと拳を握ってリュカが口を開きかけたとき、まるで見えない力で押し分けられるようにして人垣が自然に割れた。 「何を騒いでいるのだ」  低く朗々とした男の声が響き、一人の壮年の男が姿を現した。 「ラっ、ライネル参謀次長」  兵士たちが慌てたように一斉に敬礼をする。  記章とたくさんの勲章のついた灰色の軍服を身につけ、金髪を後ろに撫でつけた男エドモン・ライネルは、独立軍ナンバースリーの地位である参謀次長でリュカの父親だ。  エドモンは深みのある琥珀色の眼を細めて周囲をぐるりと睥睨した。リュカの上に意識止まったのは一瞬のことで、すぐに興味を失ったように視線が逸れる。そしてその視線は赤竜へとじっと注がれた。 「ほう、これは赤竜か。珍しいものだ」  エドモンは赤竜を見ると、感心したように言った。 「参謀次長……あまり近づかれない方がよろしいかと……」  隣についている司令部の士官が引き留めようとしたが、エドモンは無視をして赤竜へと歩を進めていく。  赤竜は近づいてくるエドモンを警戒し、低く唸り牙を剥いて威嚇した。自由にならない翼を動かし、近づくのを必死に阻止しようとしている。  しばらくエドモンは冷ややかな目で赤竜を観察していたが、隣の若い士官へと視線を向けた。 「この竜人は使えそうだ。生かしたまま捕獲して拘束しろ。手段は問わん」 「はっ!」  若い士官は慌てたように敬礼を返す。  エドモンは軽く頷くと、踵を返して早足で去っていった。エドモンの姿が完全に消えると、その場にいた人間はほっと緊張を解く。  隣にいるブランも息を吐くと、気づかわし気にリュカの小声で話しかけてきた。 「こんなところまで参謀次長が出張ってくるなんてびびったわ……。てかお前大丈夫か?」 「……ええ、大丈夫です。すみません」  おそらく自分の顔色が良くないのだろう、とぼんやりリュカは思った。久しぶりに父親に会い、緊張で身体が強張っていた。  父親の姿を見ると極度に緊張するようになったのは、一体いつからだっただろうか。母親は物心つく前に亡くなり、温かい家族のやり取りというものをリュカは知らない。ただ父親のようにならねばいけないという決意のもと、父親の背中を必死で追ってきた。  だがリュカが竜騎士を辞めたとき、エドモンは出来の悪い息子に心底落胆したのだろう。それ以来声を掛けられることも減り、居たたまれなくなったリュカはライネル家を出て基地の兵舎に入ったのだ。  それは自分のせいであるし、仕方がないことだとも理解している。だが感情は別だった。 「おい、そこの保竜官!」  エドモンと一緒にやって来た若い士官が、ブランたちに向かって声を張り上げた。 「参謀次長がこの竜人を生け捕りにしろと仰せだ! どんな手段でもいいから捕獲しろ!」  そこまで厳しい命令口調で言ってから、隣にリュカがいることにはっと気が付いたようだった。偉そうにこちらを見下す士官の男の表情が、すぐにおもねる様なものに変わる。 「これはこれは……ライネル少尉ではないですか。申し訳ありません、こちらにいらっしゃっているとは思いませんで」  リュカに対する他人の態度は二通りだ。大袈裟に奉りあげるような体裁を取って距離を置かれるか、それとも侮蔑や嘲笑を隠さずに接してくるか。  目の前の士官の男は前者であるが、そこに加えてほんの少しだけ粘つくような視線が混じっている。男にしては繊細な顔立ちを持つリュカは、ある種の男の興味を引いてしまうらしい。  リュカは知らぬ顔で士官の男の視線を受け流しながら尋ねた。 「いえ……それよりもこの竜人をどうやって落ち着かせましょうか」  赤竜はリュカたちが話をしている間もずっと、緊張に身体を強張らせながら警戒しているようだった。 「ライネル少尉にお任せしますが」 「……わかりました」  リュカは頷き、ブランの方を見た。 「ブラン、どうしましょうか」 「うーん、どうすっかなあ……。人の姿に戻って貰えれば楽なんだが……これだけ興奮してりゃ戻んのは無理か。怪我を診たいが、近寄れそうもねえし……」  ブランは腕組みをしながら、困ったように眉をしかめた。隣のミハイルが恐る恐る口を開く。 「あ、あのー……今さらなんすけど、コイツ炎吐いたりしません? めっちゃ怖いんすけど……」 「いや、これだけ体力消耗してりゃ、火ぃ吐くようなことはねえとは思うけど……。はあ、やっぱ麻酔銃しかねえだろうな」 「……え?」  リュカはブランの言葉にはっと顔を上げた。 「ちょっと待ってください。この竜人に麻酔銃を打つんですか? あんな怪我をしているのに?」 「ん?」  ブランは持ってきた細長い袋の中から一抱えほどある麻酔銃を取り出しながらリュカを見た。  この麻酔銃は火薬式で、麻酔銃の中では飛距離が最大で命中精度も高いが、そのぶん威力が高いので被弾する側のダメージが大きい。今の状態で麻酔銃なんて打ち込んだら、ショックで死んでしまう可能性もあるのだ。  ブランは黙ってリュカの顔をみつめていたが、首を振った。 「残念だが、近づけない以上麻酔銃を何発か打ち込むしかないな。効くかはわからんが」 「ブラン! だけど――」 「あのまま放っておいても衰弱して死ぬ」  リュカは目を見開き、赤い竜に視線を移した。  確かにリュカたちがここに到着してから数十分経っているが、その時よりもぐったりして衰弱しているようだ。だけど麻酔銃を打てば、もっと弱ってしまうのは目に見えている。どうしたらいいのだろう。  そのときはっと脳裏に浮かんだ考えがあった。 「――俺が……ペアリングしてみます」  リュカの言葉に、ブランは驚いたように顔を上げた。 「……本気か、リュカ?」  それは反射的に出た言葉だった。だがこれ以上良い考えはないだろうとリュカには思えた。  ペアリングとは、竜の姿になった竜人と意識を同調させる技術のことだ。  竜人は竜の姿に戻ると防衛本能が強くなり、爆発などの刺激で簡単にパニックに陥ってしまう。そのため竜騎士が竜人の意識に同調して精神を安定させ、コントロールしながら戦闘を行うのだ。これは竜人と共に長い歴史を生きてきたノルディア人にしか出来ないことだとも言われている。  元竜騎士のリュカも当然、ペアリングを行う技術は持っている。ブランが心配しているのは別のことだろう。 「本当にやるのか? だけどお前はもう――」  心配そうな顔をするブランに、リュカはしっかりと頷いて見せた。 「大丈夫です。ペアリングだけなら出来ます。落ち着いたところで鱗の隙間から麻酔薬を注射しますので」  ブランはしばらく逡巡していたようだったが、やがて「わかった」と頷いた。 「それなら……リュカに任せてみるか」 「ちょっと待ってください!」  話がまとまりかけたとき、リュカとブランの前に、若い兵士が慌てたように寄って来た。 「さきほどペアリングは試みましたが同調不可でした! 無理です!」  青い顔で一生懸命に発言する若い兵士は、おそらく新人の竜騎士なのだろう。 「この基地にいる何人かの竜騎士がペアリングをしましたが、精神が弾かれてこちらに戻れなくなりかけた竜騎士もいました! 危険です!」  必死な様子で言い募る若い兵士に、横からブランが口を出した。 「大丈夫だ。ここにいるライネル少尉は、並みのペアリング能力じゃねえから。な?」  ブランはリュカににんまりと笑いかけてくる。 「そこまで大したものではありませんが……」  リュカは若い兵士の方を見た。 「良かったら私にやらせてくれませんか? あなたたちの職分に立ち入ることは申し訳ないと思っていますが、この竜人の命が掛かっています」 「わかり……ました」  若い兵士はようやくこくんと頷いた。リュカは彼に小さく頭を下げ、赤竜と向かい合った。  もともと信頼関係の出来ていない竜人とペアリングをすること自体とても難しい。それに加え相手はノルディアに昔からいる普通種ではない。あの赤竜の精神を安定させるどころか、リュカ側の精神が不安定になる場合だってあり得る。  だけどやるしかない。  ここで役に立てば、間違いなく父親にリュカの活躍の様子は伝わるだろう。少しは見直してもらえるかもしれない。  リュカは麻酔の入った注射器を手にゆっくりと赤竜に近づいていった。  赤竜は酷く怯えていた。来ないで、こっちに来ないで、と声が聞こえそうなほどだ。  ――可哀そうに……。今助けてやるからな。  赤竜の近くまで歩み寄ったリュカは、小さく息を吸い込み目を閉じた。  すべての感覚を閉じ、訪れた暗闇の中に飛び込む。深く深く意識の底へと潜っていく。やがて暗闇の中にわずかな光が見えた。そこへと意識を急速度で近づけていく。  鼓膜にふっと圧力を感じた。同時に、頭の中にキイィィン、と頭の中で甲高い金属音が聞こえてくる。  リュカは静かに呼吸を繰り返しながら、さらに意識の深い所へと潜っていった。だんだんと光が近づいてくる……光に飲み込まれる……。  ――捉えた。  ゆっくりと竜の意識と同調していくのを感じた。  赤竜の意識は酷く怯えていた。そして全身を切り裂かれるような酷い痛みも感じる。リュカは目を開き、心の中で赤竜に向かって話しかけた。  ――大丈夫だよ。大丈夫……怖くない。  はっと赤竜が瞬きをした。戸惑うように瞳が細かく左右に揺れる。  ――決してお前を傷つけないと誓う。だから近づいてもいいだろうか。お前の傷を癒したいんだ。痛いだろう?    赤竜の赤い瞳の中で、瞳孔がゆっくりと開いていく。  リュカは赤竜にそっと触れてみた。冷たく艶やかな鱗の感触。赤竜は触れられたことにも気が付かず、ただ、ぼんやりとリュカのことを見ている。  初めてペアリングを受けて自分の精神に接触された竜人は、いわゆる『ペアリング酔い』を起こすことが多い。おそらくこの竜人も今、そんな状態なのだろう。  これならばいける、とリュカは注射器を懐から取り出した。赤竜の赤い鱗を少しだけ持ち上げ、注射器の針を地肌に近づける。針の先端がピンク色の肌に刺さった瞬間、赤竜の身体がびくんと震えた。 「……っ!」  すぐそばにあった前足が条件反射のように動き、はずみで前足に生えた鋭い爪がリュカの腕を引っ掻いた。  腕に鋭い痛みが走ったが、リュカは決して注射器から手を離すことはなかった。ゆっくりと確実にシリンジを押し込んでいく。  ようやくすべての麻酔薬を注入し、リュカは大きく息をついた。  顔をあげると赤竜の瞳と目があった。  赤竜の艶やかな赤い瞳には、心配そうな色が浮かんでいる。リュカの腕を引っ掻いてしまったことに気が付き、心配しているのだ。  この子は優しい……。 「……大丈夫だ。俺は平気だよ」  ぱちり、と赤竜の瞼が動く。 「怯えていただけなんだろう? 怖かったんだよな? もう大丈夫だ、少し眠くなるだろうけど、心配することはない。俺たちはお前を傷つけないから」  赤竜は「くぅ」と鳴いて目を細めた。言葉が通じているようだ。  おずおずと頭を上げた赤竜は、リュカの腕に顔を近づけると傷口に舌を伸ばした。そっと温かな感触が皮膚を舐める。 「お前……癒そうとしてくれているのか?」  赤竜は「くぅ」ともう一度鳴いた。 「そうか。お前は……優しいな」  この赤竜は自分が重傷を負っているのに、相手の小さな傷を癒そうとしているのだ。温かな感情とともに、リュカの心には強い決意が込み上げてくる。 「絶対助けるからな」  そう声を掛けると、赤竜はそっと目を閉じた。そろそろ麻酔が効いてくるころだろう。  するとそのとき、赤竜の身体がぶるぶると震え始めた。赤い鱗からはしゅうしゅうと湯気が上がり、赤く光る鱗がみるみるまに縮んで消え白い人間の肌に変わり、鋭い爪が付いた前足が人間の腕と足に変化していく――。  現れたのは十八歳ほどに見える、燃えるように赤い髪の青年だった。彼はぐらりと体勢を崩すと、地面に倒れ伏したのだった。

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