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第6話
それから一か月後、リュカはジークを伴って基地の中へと足を踏み入れた。
今日はジークの騎竜候補としての訓練が始まる日。他の騎竜候補の竜人たちとも初顔合わせをするのだ。
隣を歩くジークは表情が硬かった。今日のために仕立てた白いシャツの立襟をしきりと気にしている。
「緊張してるのか?」
リュカが小声で尋ねると、ジークはちらりと目を向けた。
「……別に。ただ人間がいっぱいだなって」
「そうだよな」
ジークは人間嫌いで、リュカ以外の人とはあまりコミュニケーションを取ろうとしない。未だにジークの記憶は戻っていないが、おそらく人間に暴力を振るわれた過去を心のどこかで覚えているのだろう。
「ていうか、なんでこんなにじろじろ見られるんだろう」
居心地が悪そうな顔つきでジークがため息をつく。
確かに基地の門を入った瞬間から、たくさんの視線がジークに集まっていた。他人からの不躾な視線に慣れているリュカであっても驚くほどだ。
「ジークは注目の的なんだよ」
「注目の的? どうして?」
「騎竜候補だからだよ」
騎竜隊はノルディアの軍事の要であり花形だ。軍事力にも資金にも科学力にも劣るノルディア独立軍が、この十五年間レグラント帝国を相手に戦ってこられたのは、空の唯一の覇者である騎竜隊があったからなのだ。普通種の竜人よりもさらに体格がよい赤竜のジークに、期待と注目が集まるのは自然なことだった。
「ふうん。でもリュカもじろじろ見られてるみたいだけど」
「ああ、俺は……まあ……」
リュカが言葉を濁すと、ジークは「わからない」というような顔をした。だが懇切丁寧に説明する気はなかった。
自分が軍の中で孤立していて、嘲笑と失笑の的だなんて知られたくはない。
「そんなことはどうでもいいじゃないか。……あ、ほら、あっちで竜騎士の演習をやってるぞ」
リュカは話の先を誤魔化すように、空の向こうを指さした。ちょうど新入り竜騎士の飛行訓練が行われていたのだ。
「うわ、すげえ……」
ジークが立ち止まり上空を見あげる。
陣形を組んだまま、三体の騎竜が急上昇と急降下を繰り返していた。そして上空をおおきく一周したかと思うと、左と右の騎竜が入れ替わる。そして同じような陣形を組み、また急上昇と急降下を繰り返す。これは初歩的な模擬騎乗訓練の演習だ。リュカも新米の竜騎士だったころ、胃の中身を吐くくらいに延々とやらされた思い出がある。
「すげえな。あんなに近づいて衝突しないもんなのか?」
「竜騎士のほうは新米だが、竜人のほうはベテランだ」
「そうなのか」
初歩的な訓練の様子でも、ジークにとっては目に新しく映るようだ。
「お前もすぐに出来るようになるよ」
「そうかな」
ジークがわくわくした顔でリュカの顔を見返してくる。その顔は嬉しそうに上気していた。
竜人は空を飛ぶことが大好きだ。そして本来なら人間のことも大好きで、ほとんどの竜人は人間を背中に乗せて飛ぶことを好む。
――でもジークはどうだろうな……。
人間嫌いのジークは、竜騎士の人間とうまく連携を取れるのだろうか。
心配の種が心にもたげ、リュカはぐっと押しとどめた。今からそんなことを心配していてもしょうがない。これから先はジークが己の力でやっていかなくてはならないのだ。
指定された兵舎に向かうと、建物の前には騎竜候補の竜人たちがたむろしているのが見えた。
「それじゃリュカ、行ってくるね」
「ああ、行ってこい」
ジークはリュカに向かい合うと、リュカの手を取った。
「俺、必ず強くなるから」
ジークはそう言うと、リュカの手を持ち上げ、手の甲にちゅっと音を立ててキスを落とした。
「え……」
リュカはぽかんと口を開けて、手を振りながら颯爽と去っていくジークの姿を見送った。
だがじわじわと頬に熱が集まってくる。
「ジークのやつ……」
ジークの行動一つで、こんなにも振回される自分が情けない。
なんだかここ最近、ジークの愛情表現が大袈裟になってきたような気がする。……というか女性ならまだしも、男のリュカに対してやる行為ではないように思う。
「たぶん……しないよな? 普通は……」
あまり確証が持てなかった。
リュカの母親は物心がつく前に亡くなってしまい、兄と父親だけが唯一の家族だった。成績を上げること、父親の期待にこたえることだけを考えて生きてきたので、親しい友人もいない。ゼノ以外の人間と親密に触れ合った経験はなかった。
だからジークの行動をどう捉えたらいいのかわからない。
そして一番困るのは、こうしてジークに触れられると、自分の中に通っている軸のようなものが揺らぐような気がすることだった。
「――駄目だ! しっかりしろ!」
リュカは両手でパンパンと自分の頬を何度も打った。
気合を十分に入れ直し、リュカは足早に竜舎に向かった。ジークの様子が気になるが、リュカにはリュカの仕事が待っている。
そしてジークのことに気を取らながらも仕事をこなし、ようやくやって来た休憩の時間。
リュカは逸る気持ちを抑え、ブランとミハイルと共にジークの様子を見るため演習場へと向かった。
「おー、さすが集まってんなぁ」
ブランの言う通り、抜けるような青空の下、広大な演習場にはたくさんの人が集まっていた。
「あ、あっちに竜騎士もいますよ」
ミハイルはきょろきょろと周囲を見渡しながら言った。
少し離れたところには竜騎士たちの集団が『お手並み拝見』とばかりに腕組みをして余裕の表情で立っている。
「竜騎士たちも、赤竜がどのくらいの能力があるか気になるんすかねえ」
「そうだろうな。今から有能な騎竜候補に目ぇ付けて、卒業したらパートナーに誘うつもりなんだろ」
そんな話をしているとき、ふいに背後から女性の声が掛かった。
「ブランさん!」
振り向くと、艶やかな茶色い長い髪と色白の肌を持つ美しい竜人の女性がいた。年の頃は十八歳ほどだろうか。
ブランが嬉しそうに答える。
「お、レイラじゃねえか! 久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい、おかげさまで上手くやってます」
「そっか、それは何よりだな。リュカ、ミハイル。紹介するな。この子は俺が幼竜のころから世話してたレイラ。今はコンシュノー伯預かりになってる竜人だ」
「はじめまして、レイラです」
レイラは美しい笑顔を向け、リュカとミハイルに挨拶をしてくれた。
「それでレイラは友達と赤竜の坊やを見に来たのか?」
「ええ、彼すごく格好いいって評判になっていて、お友達と見に来たの。……遠目からしか見えないけど、本当に素敵ね」
その言葉に、ブランがにやりと笑う。
「なるほどな。最近の竜人のレディたちは、自分で番を見つけるってわけか」
「やだ! もう、そんなんじゃないわ!」
レイラは頬を染めて恥ずかしそうに笑う。その様子を見てリュカは驚いてしまった。
――そうか、ジークは竜人の女性に人気があるのか……。
ノルディアにいる竜人とジークは同じ竜人だが、種類が違う。疎ましくは思われないだろうが、溶け込むのは時間がかかるだろうと予想していたので、レイラの好意的な反応と態度が意外だった。
「あ、そろそろ演習が始まるわね。それじゃ行くわ。またね、ブランさん」
レイラは最後にリュカとミハイルにもにっこり笑いかけると、彼女を待っている友人たちのところへと戻っていった。
その姿を見送っていたミハイルが、ほうと息を付く。
「ひゃー、レイラちゃん可愛いなあ……。あんなかわいい子と付き合えたらなあ……」
ミハイルの小さな呟きに、ブランが顔をしかめて振り返った。
「おいミハイル。お前絶対レイラに惚れんなよ? 『竜人と人は交わるべからず』。竜人と人間が情を交わすのは、重大な軍規違反だかんな」
「じょーだんですって! そんなこと、軍に入りたての初等兵だって知ってますよ! ブランさんってほんと冗談通じないっすね」
「はあ? なんだって?」
口喧嘩に発展しつつある騒がしいブランとミハイルから、リュカはそっと離れた。ジークのことが気になって、それどころではないのだ。
リュカは人の少ないところをうろうろと彷徨い、人垣の隙間から演習場を覗いた。
半円形の演習場は小規模な離着陸場も兼ねていて、騎竜たちが飛んでいけるようにちょっとした高台になっている。その高台の際に騎竜候補の竜人たちが待機していた。彼らが揃いで身にまとっているのは、竜人専用の赤い外套だ。
竜人は人間の姿から竜の姿に変化するときに彼らの身体は体長で言うと三倍以上の大きさになる。そのときに着用していた人間用の服は破けてしまうので、マントのような袖を通さない外套を羽織っているのだ。そして竜から人間に変化したときには、裸体が見えないように考慮されているというわけだ。
リュカは数百メートル先にじっと目を凝らした。
「――あ」
いた。ジークだ。
騎竜候補の中でもひと際背が高い。ジークは隣の左隣の茶色の髪の竜人と楽しそうに話をしている。もう友達が出来たのだろうか。
驚いていると、騎竜師範が現れてほどなく訓練が始まった。
騎竜師範の合図とともに縦一列に並んだ竜人たちが、演習場の飛翔ポイントで竜化し空へと次々飛びたっていく。
その中で赤い鱗のジークはとても目立った。こうして比べてみると、赤竜のジークは普通種の周りの騎竜候補たちよりも一回り身体が大きいのがよくわかる。
この年頃の竜人たちは人の姿としては一人前だが、竜の姿としては骨格が出来あがったばかり身体も小さいので、飛翔の瞬間は身体がぶれたり風に煽られたりする者も多い。だがジークは揺るがない。大きな翼をはためかせ、空を切り裂くような速さで力強く舞い上がっていく。風を掴むと滑るように旋回する。
少し離れたところで見ていた竜騎士たちも、食い入るように空を見上げている。
――すごい……。
いつしかリュカは夢中でジークの姿を目で追っていた。
やがて騎竜師範が赤い旗を掲げて、竜人たちに合図を送った。噴炎訓練の合図だ。
竜人たちは一旦合図を受け、標的となる木の柱に向かって順番に火炎を吐いていく。ほとんどの竜人は炎を吐けなかったり、吐けても柱まで届かないようだった。それほど竜人にとって噴炎の制御は難しいのだ。
そんな中、ジークの番が来た。
ジークは空中で大きく旋回して体勢を整えると、頭をぐっと後ろに逸らした。そして喉を震わせ、次の瞬間うねるような火焔が口から飛び出した。標的の柱は一瞬で炎に包まれ、焼き尽くされて黒焦げになる。
その光景に演習場の中は静まり返った。
「すごいな……」
「なんてことだ……あんな騎竜候補は見たことがない」
どこからともなく感嘆の言葉が漏れる。
リュカも言葉が出なかった。なんというパワーと制御力だろう。
赤竜自体の能力が高いのか、それとも赤竜の中でもジークがけた外れにすごいのかどちらかはわからないが、ジークの能力はこの場にいるどの騎竜候補よりずば抜けて高いことが判明した。
竜人たちは空から下りてきて、次々と地面に着地する。人間の姿に戻ったジークのところに竜人たちが駆け寄っていくのが見えた。ジークは初めは戸惑ったような顔をしていたが、すぐに笑顔で楽しそうに応じている。
「あっ、ライネル参謀次長ではないか?」
「どうしてこんなところに……?」
不意に演習場に集まっていた群衆がざわざわと騒ぎ始め、リュカははっと顔を上げた。
――え……?
突如演習場に姿を現したのは間違いなく父親のエドモンだった。
エドモンはまっすぐにジークの前まで歩いていくと、ジークに話しかけている。ジークがぎこちない敬礼を返し、さらに一言二言会話を交わすと、エドモンはジークの肩を叩いて奨励すると機嫌がよさそうに去っていった。
「参謀次長は赤竜がお気に入りらしいな」
「ああ、肝いりだっていうからな」
「確かにそれだけの実力はあるな……」
周囲から聞こえてくる言葉に、リュカの胸はかき乱された。
父親がジークを騎竜として評価しているのは理解していたが、執務が立て込む中でジークの初めての演習に顔を出すなど、破格の対応だ。実の息子であるリュカは、初めて騎竜に乗る演習のときも、正式な竜騎士になったときの叙任式のときも、一度も顔を見せてくれたことはないのに……。
心が暗く翳り出して、リュカは慌てて首を振った。
ジークは独立軍の命運を背負うような存在だ。ジークの後ろ盾に司令部がいることを軍の人間に示しておくのは大事なことだろう。それに、ジークには本当に才能があるから、称賛されてしかるべきだ。
そう心の中で自分に言い聞かせても、ジークと言葉を交わしていた父親の姿を思い出すと、焦燥と羨ましさで胸が詰まる。リュカは項垂れ、いつの間にか固く握りしめていた拳を広げた。じっとりと嫌な汗が滲んだ小さな自分の手のひらを見つめる。
いくら望んでも掴めなかったもの。
もう諦めていたはずのもの。
どうして父親の視線の先にいるのが、自分ではなくジークなのだろう。
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