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第8話
昔からノルディアには、年に一度太陽神に感謝を捧げる祝祭がある。『花の祭典』と呼ばれるものだ。
ノルディアが南の大国・レグラント帝国との戦争に負けて属国に下ったのが今から三十年前のこと。しかしそれから十七年後、ノルディアの北に位置する大国・ヴァルストヴァベルの支援を受けた反レグラント派の軍人たちが『独立軍』として挙兵した。北部にある炭鉱をレグラント帝国から奪い返し、ノルディアの北部にあったボードー基地とノースフェルト基地を占拠。それを機に、ノルディア国を北と南に二分する独立戦争が始まった。
『花の祭典』はノルディア国の復権と独立を祈願する大事な祭りとして、戦争中であっても毎年大事に開催されてきたものらしい。
「これはすごいな……」
日が暮れ始めたころ、リュカたちは祭典が催される基地近くの広場にやって来ていた。隣のジークも驚愕したように「ほんとだ、すげえ」と突っ立っている。
茶色いレンガ造りの時計台がそびえる石畳の広場には、いくつものテントの露店が並び、たくさんの人が行き交っていた。そこかしこから美味しそうな匂いが漂い、中央に作られたステージでは太鼓と笛の演奏が行われている。
長引く戦争で物資も滞りがちな今日、これほどの規模の催しができるとは驚きだった。
「雰囲気があってなかなかいいものだな。さあ、ジーク。どこから回る?」
「うーん、そうだな。あ、あれ食べてみたい」
ジークが指さしたのは肉の串焼きの露店だった。店に並んだ長い串にはびっしりと肉が刺されている。
「すごいな……こういう食べ物は初めて見たな」
感心しながらリュカは露店の男性から肉串を一本買い、ジークに差し出した。
「ほら、食べてみろ」
ジークは目を輝かせて肉串を受け取ったが、何を思ったのかリュカの口元のほうに付きだしてきた。
「リュカ、先に食べていいよ」
「え?」
「ほら早く。冷めちゃう」
ジークは微笑みながら、ぐいぐいとリュカの口元に肉串を近づけてくる。最初の一口を譲ってくれるということだろうか。
「え? いや、いいよ。お前が先に――」
しゃべりかけた唇に、肉串の先端が押し込まれた。うぐっと呻きそうになってしまったものの、焼きたての肉の香りに誘われたリュカは反射的に口を開いた。かぶりついた瞬間、香ばしい肉の旨味が口いっぱいに広がる。リュカは目を見開いて驚きながら咀嚼して飲み込み、ジークを見た。
「う……うまいぞ、これ。こんなにうまい肉初めて食べた。ジークも食べてみろ」
「良かったね、もう一つ食べなよ」
にこにこと嬉しそうに笑いながらジークが言う。
「え?」と戸惑ったが、食欲をそそる匂いを嗅ぐと誘惑には勝てなかった。もう一つ肉を頬張る。旨い! とまた唸ってしまう。だけど肉串はもう半分になってしまった。悲しい気持ちになっていると、ジークにくすくすと笑われた。
「もっと食べていいよ?」
「お前が食べたいって言うから買ったんだぞ。ジークも食べろ」
それもそうか、と頷いたジークがようやく肉串にかぶりつく。
「……ん! うまい!」
「な? うまいだろ?」
嬉しそうなジークに、リュカの方も嬉しくなる。
「あ、あれも食べてみないか?」
肉串を食べ終わったジークの腕を掴み、リュカは隣の露店を指さした。ここではノルディアの国花ソレイユの白い花と蜂蜜を練り込んだパンが売っているらしい。
「ふふ、リュカ子供みたい」
「え?」
はっと我に返り、リュカは思わず口を尖らせた。少しばつが悪い。
「……仕方ないだろう。こういうお祭りに来たのは初めてなんだから」
えっとジークは目を見開いた。
「初めてなの? この国にずっと住んでいるのに?」
「ああ、ずっとそれどころじゃなかったから……。小さな頃に母親は亡くなったし、父はずっと多忙で家にいなかった。俺とゼノは使用人と家庭教師に育てられたようなものだからな」
「……そうなのか」
ジークは悲しそうな声で言ったが、ふいにリュカの腕を掴んだ。
「それなら思いっきり楽しまないとな!」
「え……っ、ジーク!?」
ジークに引き摺られるようにして、リュカは祭典を駆けまわった。露店をひとつひとつ冷やかし、美味しそうなものがあったら二人で分け合って食べる。夢のように自由なひとときに、リュカは時間を忘れて夢中になった。
「はあ……腹がいっぱいだ……」
「俺はまだまだいけるぞ」
「さすが竜人だな」
いくつもの露店を梯子したリュカとジークは、歩き疲れて広場近くに設置された椅子に腰を下ろした。
夜はすっかり更けて、空を見上げると満天の星が瞬いている。中央のステージでは、弦楽器を抱えた人たちが演奏を始めた。すると周囲の人たちが手に手を取り合い、踊り始めるではないか。
「すごいなぁ、祭典では踊りもあるのか」
見たことはないが、おそらく伝統の踊りなのだろう。男女二人一組になって手を取り合い、小刻みに跳ね身体でリズムと取りながら、くるくると回っている。曲のメロディに合わせ左回り、右回り、左回り……と目まぐるしく回り方が変わっていき、見ているこちらの目が回わってしまいそうだ。だが踊っている人はみんな笑顔で、楽しそうに笑い声をあげている。
微笑ましい気持ちで眺めていると、ジークが急に椅子から立ち上がってリュカの手を掴んだ。
「俺たちも踊ろう」
「え? ジーク?」
戸惑うリュカの手を引き、ジークはダンスが行われている広場までずんずん歩いていく。リュカは慌ててしまった。
「ちょっと待ってくれ。もしかして本当に踊る気か? 初心者の俺たちには無理だ」
「大丈夫、俺がリードするから」
にかっと快活に笑ったジークはそう言うが早いか、左手でリュカの右手を握り、右手を腰に添えてくる。ぐっと身体を引き寄せられ、どきりとする。そのままジークは音楽にのって回り始めた。
「ええっ? うわ……っ」
ジークの大きな動きに振り回される形になり、リュカは必死に足を動かした。右回りに回っていたと思ったら、今度は左回り。足がもつれてしまいそうだ。
「リュカも跳ねて」
「え? ええ? こ、こうか?」
打楽器のリズムに合わせて小さく跳ねてみると、ジークは「そうそう、そんな感じ」と笑顔で頷き、腰に回した手にぐっと力を込めた。身体同士が密着し、初めはなかなか合わなかったテンポも段々ぴたりと合ってくる。
「はは、これ、結構楽しいな」
リュカは気が付くと笑い声を上げながら、夢中で踊っていた。
「踊るの、なんて、初めて、やったけど、結構、できる、もんだな」
始終跳ねているので段々息が切れてくる。額にじんわりと汗が滲むのがわかった。
「ふふ、リュカは可愛いな」
「え?」
目を上げるとすぐ近くにジークの顔があり、またどきりとした。
いつもはきりっと上がっている眉はなだらかで、赤い瞳が穏やかに細まっている。まるで大事な宝物を見るように優しい目で見つめられ、身体がソワソワし始めた。次には、繋いでいる手や密着している身体の熱さが気になってくる。
視線をうろうろと彷徨わせるリュカを見て、ジークが不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「なんでもないっ」
照れ隠しにリュカは足のステップのテンポを速めた。急激なリズムの変化に、ジークが慌てた顔になる。
「うわ、リュカ! 速いって!」
「ふふ、俺をリードしてくれるんだろう?」
「それはそうだけど……っ」
お互いに笑いながら足が縺れる寸前までテンポを速めて踊り、やがて音楽の変わったのをきっかけに二人は踊りの輪から離れた。
人混みを抜けて、人がまばらな噴水の前の地面に並んで座り込む。
「はあ……。いつの間にジークはダンスの練習してたんだ? びっくりしたよ」
すっかり上がってしまった息を整えながらに話しかけると、隣に座ったジークは照れくさそうに肩をすくめた。
「竜人の友達……カイルに教えてもらったんだ。今日の祭典でリュカと踊れるようにって」
「そうか、カイルに」
カイルはジークと同じ騎竜候補の竜人だ。ジークにとっては初めて出来た友達で、今では親友のように付き合っているようだ。
「最近のジークには驚かされっぱなしだな」
手紙や踊りの練習など、いつのまに準備をしていたのだろうと驚いてしまう。ジークはふふっと笑っていたが、はっとしたように「そうだ、これも……」とポケットから小さな布の袋を取り出した。
その中から出てきたのは銀色の指輪だった。街灯のオレンジ色の光を反射して、鈍い光を放っている。
「どうしたんだ、これ?」
「こっちは竜騎士見習いの友達に相談して……。そいつの家が鍛冶屋なんだ。だから教えてもらいながら俺が作った」
「ジークが作ったのか?」
「うん、そうだよ。見てみてよ」
リュカは差し出された指輪を受け取り、目の高さまで掲げて眺めた。
輪の継ぎ目も目立たないし、表面も丁寧に研磨されている。初めて作ったにしてはかなりの良い出来ではないだろうか。
「すごいなあ、よくできてる」
「これはリュカのために作ったんだよ。……受け取ってくれる?」
「え? 俺に?」
この祭典で指輪を渡すのは、愛の告白と同じ意味を持つと聞いたことがあった。それをリュカに渡すということはつまり……。
でもジークは男でリュカも男。しかもジークは竜人だ。
「あ……ジーク……これは……」
「リュカは俺のことが嫌いか? 竜人は嫌か?」
「え……?」
身を乗り出すようにジークが身体を近づけてきて、どきりと心臓が大きく脈打った。身体がかっと熱くなり、胸の中に甘いような酸っぱいような感覚が広がっていく。
指輪を持つ手が震える。混乱してなんと答えたらいいのかわからない。
ジークはだまって手を伸ばしてきた。形のよい大きな掌がリュカの頬に触れる。澄んだ赤い瞳がすぐ近くまで迫ってきて、じっとリュカを見つめてくる。
「リュカ……顔が赤いよ……?」
「そ、それはジークが近いから……」
「近いから恥ずかしい?」
ジークは目を細めながら掌で頬を優しく擦り、そして親指でリュカの下唇を辿ってくる。
「……っ」
甘い刺激に、身体がぴくんと跳ねた。怖いほどに真剣な顔になったジークはリュカの首の後ろに手を差し込み、ゆっくりと顔を近づけてくる。
――な、何を……?
リュカは硬直し、近づいてくる端正なジークの顔を茫然と見つめた。
ぎゃははは、という品のない笑い声が近くから聞こえたのはそのときだ。
ジークが驚いたようにはっと目を開く。そして慌ててリュカの頬から手を離した。
「あの……ごめん、リュカ」
「いや……」
ジークは酷く気まずろうな顔をしていたが、リュカも動揺していた。
今、ジークは何をしようとしていた……?
――まさかキス……じゃないよな?
浮かび上がってきた思いつきに、慌ててリュカは心の中で首を振った。
そんなはずがない。ジークがリュカにキスするなんて。ありえない。
そう思うのに、リュカの心臓は痛いほどに高鳴り、頬が火照っている。一体自分はどうしてしまったのだろう。
リュカは真っ赤な顔をしているジークにそっと言った。
「そ、そろそろ帰ろうか……?」
「あっ、ああ。そ、そうだな……」
ぎこちなく頷きあい、立ち上がりかけたときだ。
ぎゃはははは、という男の笑い声とともに、今度は女性の悲鳴が聞こえた。リュカとジークははっと顔を見合わせる。
「今悲鳴が聞こえなかったか?」
「行ってみよう」
声のする方へ急いで行ってみると、人気のない薄暗い通りで男三人組が一人の若い女性に絡んでいるのが見えた。
「何をしている! 辞めろ!」
ジークの怒鳴り声に、女性を取り囲んでいた男たちは振り返った。
「ああ? なんだコイツ?」
「うぜえな、誰だよ」
三人ともかなり酒に酔っているようで、赤らんだ顔で睨みつけてくる。ジークは意にも介さず、女性を庇うように男たちから引き離すと「気を付けて帰ってください」と女性に促した。女性は頭を下げながらも急いで逃げていく。
「あ~あ、逃げちゃったじゃん」
「ふざけんなよ。せっかく掴まえたのにどうしてくれんだ!」
今度はジークに標的を変えて絡んできたが、その中の一人がふとリュカを目にとめ、眉を寄せた。
「あ? コイツ、リュカ・ライネルじゃねえ?」
二人の仲間たちも「え? 参謀次長の息子の?」「ほんとだ」などと言い出し、ジークは驚いたようにリュカの顔を見た。
「知り合いか?」
「いや……」
見覚えはない、とリュカが首を振ると男たちは笑った。
「そうだろうなあ。俺たちはお前みたいに有名人じゃないものな」
嫌な言い方にジークが眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「俺らは問題起こして軍を除隊になった屑だけどよ、それでも知ってるよ、ライネル兄弟のことは」
「双子なのに兄ちゃんの方は優秀で、弟の方は出来損ないだって軍では有名だよ。同じ顔で同じ身体してんのに、なんでここまで中身が違うんだろうな」
「成績悪すぎて、上官と寝て竜騎士になったってほんとか?」
「その顔ならありえるよな」
ぎゃはははは、と下品な笑い声が上がる。
リュカはあまりの言いように、かっと頭に血が上るのを感じた。
自分が裏でどのように言われているのかを知っているつもりだった。だがそれの何倍も酷い。根も葉もない噂話だ。
怒りで目の前が真っ赤になりかけたが、落ち着けと自分に言い聞かせた。足手は酔っ払いだ。まともに取り合うだけ無駄だ。それに問題を起こしたら父親に迷惑がかかる。
必死に怒りを収めるリュカの隣で、ジークが怒鳴った。
「ふざけんなよ! 適当なこと言うな!」
「……ジーク、俺のことなら大丈夫だから、落ち着いて」
騒ぎになったらまずいとジークを宥めようとしたが、男たちはさらに煽ってくる。
「だ~か~ら、そこのお綺麗な少尉様は、身体を使って竜騎士になったのはほんとのことだろ? 才能もないくせにでしゃばるから、結局一年で後方に戻って来たんだってな? せめてお前の代わりに兄貴が生き残ればよかったのにな」
『お前の代わりに兄貴が生き残ればよかった』
その残酷な言葉に、リュカは目を見開いた。鋭い刃物で胸を一突きにされたようなショックに息が止まる。
だけど自分の代わりにゼノが生き残っていれば……というのは、ゼノの死から何百回、何千回とリュカが考えてきたことだった。
そうだ、今さらだ。それにその言葉は真実だ。ゼノはリュカを庇って死んだ。リュカのせいで死んだようなものだ……。
――俺に傷つく権利なんてない……。
「おい……今……お前なんて言った……?」
ジークの低い声が聞こえ、放心していたリュカはぼんやりと横を見た。
「ジーク……?」
男たちを睨みつける赤い目は怒りで爛々と光っていた。完全に怒りで我を忘れているような目つきだ。しかもジークの身体はぶるぶると震え、腕からはわずかに蒸気が上がり始めている。
怒りのあまり、竜化しそうになっているのだ。
リュカはそのときになってようやく我に返り、慌てて叫んだ。
「ジーク! 駄目だ! こんなところで竜化したら――!」
リュカは咄嗟にジークの腕を掴んでペアリングを試みようとしたが遅かった。
ジークは次の瞬間、真っ白な蒸気を吹いて竜の姿になったのだった。
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