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第9話
突然赤い竜が現れて暴れ出し、祭典が行われていた広場は大混乱に陥った。
怒り狂ったジークをリュカがペアリングして落ち着かせたときにはすでに基地から出動してきた衛兵たちに周りを囲まれていて、リュカとジークはそのまま司令棟の地下にある懲罰室の牢の中へと入れられたのだ。
「リュカ……ごめん」
独房の床に茫然と座り込んでリュカに向かって、正面の独房からジークが声を掛けてくる。
「俺、リュカが悪く言われてるの聞いたらすげえむかついてきて……」
「だから竜化したのか? 人が多い祭典の会場で?」
ジークは小さな声で「ごめん」と謝ったが、リュカの怒りは収まらなかった。
――祭典になんか行かなければよかった。
ずっと優秀な軍人になることだけを考えて生きてきたのに、まさか懲罰房に入れられるなんて……。
父親の耳にこの騒動は届いてしまっただろうか。だとしたらどれほど落胆していることか。
冷たい牢に入れられてどのくらいの時間が経つのだろう。リュカにとっては永遠のように思える時間が続いたとき、地上へと続く階段から誰かが下りてくる足音が聞こえた。
「お前がついていながら何をしている」
冷たい声が聞こえ、リュカははっと顔を上げた。階段を下りてきたのは父親のエドモンだった。
エドモンは醒めた目でリュカを見ると、心底呆れたように息をついた。
「お前には何度がっかりさせられただろうな」
「あ……あの、これは……」
「これは何だ?」
冷たい声と視線に緊張して、リュカの身体と心はガチガチに固まっていく。喉が詰まったようになり声が出ない。
「お前には落胆した。お前の仕事はなんだ? 俺はお前になんと言った?」
「あ……も……申し訳ありませ――」
「まったく……お前はどうしてゼノのように出来ないのだろうな」
ひゅうと喘ぐような呼吸音がリュカの喉から響いた。ひゅう、ひゅうというか細い呼吸音を止めることが出来ない。謝らなくてはいけないと思うのに声が出ない。呼吸ができない。苦しい……。
真っ青になったリュカをエドモンは興味を失ったような目で見ていたが、やがて大きなため息をつきながらもリュカとジークの牢の鍵を開けた。そしてそのまま背中を向け、無言で階段を上っていった。
足音が消え、完全な静寂が訪れる。リュカは茫然と立ち尽くした。
落胆された……見限られた……。
どうしてこんなことになったのだ。自分はどこで間違った? どうすれば父親の期待に応えることだけを考えて生きてきたのに。
「リュカ……」
ジークは自分の牢から出て、リュカの牢へと入ってくる。労わるように肩に触れられた瞬間、リュカの張り詰めていた糸がぶつんと切れた。
「お前のせいだ!」
気がつくとリュカは、ジークの胸倉を掴み、涙を流して叫んでいた。
「お前のせいで見限られた! お前のせいで……!」
ジークはがくがくとリュカに揺さぶられながら、目を見開いてリュカの叫びを聞いていた。
「俺はずっと、父さんの期待に応えることだけを考えて生きてきた! 優秀な人間になれるように、ゼノみたいに優秀な息子になれるように……ただそれだけを考えてきた……! それなのに……!」
泣いて喚くなんて情けないと思う。ジークのせいじゃない。そんなことはわかっているのに言葉が止まらない。
「リュカ……ごめん……」
「謝るなよ! 俺が余計惨めになるじゃないか! お前はいいよな! 才能があって、皆から好かれて……俺は……俺なんて……」
涙がぼとぼと落ちる。そんなリュカをジークは悲しそうな顔で見つめていたが、ぽつりと言った。
「『俺なんて』って言わないでよ……。リュカには……自分で思う以上の価値があるよ」
リュカは俯いて顔を覆った。
「俺に……価値なんてない」
それどころか疫病神だ。優秀で前途があるゼノを死なせ、おめおめと生き残ってしまった。
「あのとき、俺が兄さんの代わりに死ねばよかったんだ……俺の代わりに兄さんが生きていれば……きっと父さんだって喜んだのに」
「違う!」
ジークが叫んだ。
「どうしてそんなことを言うんだ? 確かにお兄さんは優秀だったのかもしれないけど、リュカにはリュカの価値があるだろう? あんな父親の言うことなんて無視すればいいじゃないか! 俺にはどうしてそこまでして参謀次長の期待にこたえたいのかわからないよ。あの人はあの人、リュカはリュカ。それでいいじゃないか!」
「そういうわけにはいかないんだよ!」
「だってあんな言い方するような父親だぞ! 振り向いてくれないってわかっているのに、それでもリュカは愛するのか?」
「そうだよ! 悪いか! だって愛していれば、いつか愛が返ってくるかもしれないだろ! 愛さなければ愛してはもらえない!」
リュカはずっとそう思ってきた。だから父親を愛することを、求めることを辞められなかった。
――でも、もう無理なのかもしれない……。
ふっと心が真っ暗になった。
自分は独りだ。昔はゼノが側にいてくれて、リュカを大事にして愛してくれた。だけどその兄もいない。リュカを愛する人間はこの世で一人もいない。
身体から力が抜け、リュカはずるずると床に座り込んだ。ジークが身を乗り出し、リュカの身体を緩く抱きしめてくる。
「俺じゃ駄目か?
」
ジークの言葉に、リュカはのろのろと顔を上げた。
何を言われたのかわからなかった。ぼうっとしていると、ジークは真剣な目でリュカを見ながらもう一度言った。
「俺じゃ……駄目か? 俺がリュカのお父さんの代わりに……お兄さんの代わりに……リュカを大事にするから」
「え……?」
「だからって別に、リュカがお父さんのことを愛するなっていうわけじゃないよ。ただ、そのままのリュカを大事にしたいって思ってるやつがここにいるって、知っていてもらえればいい」
リュカは目を見開いた。
「どうして……?」
どうしてジークはそこまで言ってくれるのだろう。なぜリュカに心を寄り添おうとしてくれるのだろう。
「だってリュカは俺を助けてくれただろう」
「でもそれは……父親に良い所を見せたかったからだ」
「それにずっと俺と一緒にいてくれたよ」
「それも父親の命令だ」
それでも、とジークは語気を強めた。リュカの顔を見つめ、必死に訴えかけてくる。
「俺さ、初めてリュカに会ったとき、リュカのこと天使だって思ったんだよ。綺麗に微笑んで『大丈夫だよ』って言ってくれて……俺はその時に救われたんだよ。違う……それからずっと俺は、リュカに救われ続けてる」
「ジーク……」
――ああ、そうか……。
リュカはそのときになって初めて、ジークという人間の心の中を深く理解した。
ジークもずっと寂しかったのだ。
考えてみれば当然のことだった。ジークには記憶がない。家族もいるのかいないのかわからない。自分が一体誰なのかもわからないままに、ここで生きるしか選択肢を与えられない。
――可哀そうなジーク……。
寂しい生活の中で、きっとジークはリュカのことを支えることで、自分自身を支えようとしている。リュカに愛を与えることで、自分を愛そうとしている。
胸が痛んだ。自分のひび割れた心の隙間から、ジークの途方もない寂しさと悲しさが心に染みてくる。
リュカはそっと手を持ち上げ、ジークの身体を抱きしめ返した。
ジークの労りの言葉と優しさは、リュカが長い間求め続けたものではない。
だけど――今リュカが抱きしめてくれるジークに感じているのは紛れもない愛おしさだった。じわじわと染み込んでいく雨のように、心のどこかが温かく潤っていく。
冷たく辛い世界の中で、リュカにとってはジークの存在だけが、ジークにとってはリュカの存在だけが、心と体を温めている。そう思うと自然と涙が溢れ出てきた。
「リュカ……泣かないで。俺がずっとそばにいるから」
「俺も……お前のそばにいる」
初めは監視の対象で、父親に認められるためにジークのことを利用しようとさえ思っていた。それなのに、ジークはリュカを大切にしようとしてくれている。
自身がどうしようもない寂しさを抱えていながら、リュカに心を砕いてくれているジークが……リュカが与えたものをもっと大きなものに変えて返そうとしてくれるジークが心から愛おしかった。
「ねえリュカ、覚えておいてね。俺はそのままのリュカが好きだよ」
静かな声が胸にすとんと落ちる。しんしんと胸の中に降り積もっていた寂しさが、少しずつ溶けていく。
「ジーク……ありがとう」
どうして自分は駄目な人間なのだろう。
どうして優秀な兄ではなく自分が生き残ってしまったのだろう。
どうして自分は父親に愛してもらえないのだろう。
いくら考えても答えは出ない。きっとリュカはこれからも考え続ける。
だけどここにジークがいてくれて、そのままの自分でいいと言ってくれていると思うと、真っ暗な闇の中にほんの少しだけ光るものが見えた気がした。これは希望の光なのだろうか。この光を目印に進んで行けば、生きていけるだろうか――。
リュカは瞬きで涙を散らし、ジークの胸の中でそっと目を閉じた。
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