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第11話
夜も更けて静かな竜舎の中に、ざく、ざく、ざく、という音が響いている。リュカは幼竜の足元にうずくまり、前足の爪をやすりで削っていた。外は真っ暗で、近くの森からはフクロウの鳴く声が響いてくる。
ジークに番をあてがうという話を聞いて数時間。だがリュカの動揺は一向に収まることはなかった。ジークが待つ家にどんな顔をして帰っていいかわからず、結果リュカは今日しなくてもいい仕事をこんな時間になるまでにだらだらと続けていたのだった。
「ジークに番、か……」
静かな竜舎にリュカの呟きがぽつり落ちる。爪を削られている幼竜がわずかに首をもたげたが、リュカが「なんでもないよ」と笑いかけると、安心したように欠伸をもらして首を下げた。
独立軍が近年かなり厳しい状況になりつつあることは理解していた。独立軍のもう一つの基地である南のボードーもそろそろ危ういという噂も知っていた。だがジークの番の話は青天の霹靂で、まさかこんな話が降って湧いてくるとは完全に予想外だった。
騎竜隊は独立軍の要だ。ただでさえ竜人は貴重種だし、その普通種の竜人よりも高い戦闘能力をもつ赤竜のジークの子孫を残したいと司令部が考えるのは当然だろう。
それにジークも成竜だ。竜人は成竜になると女性の竜人と引き合わされて番を作るのが一般的なのだ。
そう考えてみればそれほど突飛な話ではないのかもしれない。それなのに、どうして自分はここまで動揺しているのか……。
リュカはほとんど理解していた。
……番なんて作らないで欲しい。ずっとジークと一緒に居たい。
そんな本音が自分の胸の底に眠っている。ぞっとした。いつのまに自分はジークに依存していたのだろう……。
「リュカ、いるか?」
静かに竜舎の扉が開かれたのはそのときだった。ぼんやりと顔を上げ、扉の方を見たリュカは目を見開いた。竜舎の中に入ってきたのはジークだった。
「ジーク……どうしてここに?」
「リュカの帰りが遅いから迎えに来た」
嬉しいと思うのと同時に、胸が締め付けられた。ジークの顔をまともに見ることが出来ない。さっと視線をそらしたリュカを見て、ジークが心配そうな声を出した。
「リュカ、何かあったのか?」
「……何もない……」
「でもブランたちが、今日の午後からリュカの様子がおかしかったって言ったよ。ずっと上の空だったって」
心配そうな声でジークは言葉を重ねる。
「どうして帰ってこないんだ? その仕事だって、今日やらなくちゃいけないわけじゃないだろ?」
ジークがリュカのすぐ近くまで歩いてきて膝をついた。黙り込むリュカを覗くように、ジークが身体を寄せてくる。
「何かあったんだな? 昼間会ったとき、指令棟に行くって言ってたよね? あの人に何かを言われたのか?」
リュカの頬にジークは視線が突き刺さるようだったが、どうしても顔を上げられなかった。リュカが黙り込んでいると、ジークはリュカの手を取った。
「お願いだリュカ……一人で抱え込まないで話して欲しい」
リュカが握っていたやすりを床に置き、ジークは自身の指をリュカの手に絡めてくる。リュカの鼓動が大きく脈打った。同時に込み上げてくる寂しさでぎゅうと胸が締め付けられる。
ジークに番が出来るなんて嫌だ。でもこれは父親の指示だ。抗うことは出来ない。
リュカはのろのろと顔を上げ、口を開いた。
「ジーク……来月、騎竜として叙任を受けられることになった」
リュカの言葉にジークがきょとんと目を見張った。おそらくそんな話だとは思わなかったのだろう。しばらく目を瞬いていたが、徐々に顔つきが明るくなる。
「え、俺が?」
「ああ。騎竜候補から繰り上げて、ジークも含めて何人か叙任をすることになるらしい」
リュカの言葉に、ジークは目を輝かせた。
「本当か! やった!」
ジークが嬉しそうに叫び、リュカの身体を抱き込んでくる。ぎゅうぎゅうと腕を締め付けながら、ジークはリュカの首筋に頬を擦り付けてくる。
「嬉しいか……?」
「もちろん嬉しいに決まっているじゃないか! リュカは嬉しくないのか?」
ジークが顔を上げ、間近から覗き込んでくる。
「もちろん嬉しいよ」
リュカの仕事は、ジークをノルディア独立軍に取り込むこと。そして立派な騎竜にすること。父親の望みはリュカの望みで、父親の命令は絶対だ。それなのに、リュカはいつのまにか優しいジークに依存してしまった。
ジークに深入りしすぎたのだ。ジークの優しさに甘え、寂しさを彼で埋めようとしてしまった。だけどそろそろ潮時だ。ジークとは離れなくてはならない。
リュカはジークの肩を掴み、そっと身体を引き離した。
「ジーク……それでな、お前に番を持たせようという話が出てるんだ」
ジークは心底驚いたように目を見張った。
「番?」
「ああ、今日父に呼ばれたのはその話だったんだ。ノルディアにはジークと同じ赤竜はいないから、普通種の竜人の女性が選定される。その人と番になって子を設けるんだ」
ジークはしばらく驚いたように目を瞬いていたが、きっぱりと首を振った。
「嫌だ。番も子供もいらない」
「でも、ジークだって家族が欲しいんだろう? 番を持てば子が産まれる。家族が出来るんだ」
「家族は欲しいよ。だけど……そうじゃないんだよ」
「そうじゃないってどういうことだ?」
「それは……」
ジークの濡れたような睫毛が動き、瞳がリュカの目を捉える。どきりとしながらもジークの言葉の先を待つが、ジークは結局唇を結んでしまった。その代わりにリュカを抱きしめる腕の力が強くなる。
「ジーク、痛い」
リュカはジークの胸を押して身体を離そうとしたが、ジークはリュカの肩に額をつけ動かない。余計に腕の力を強めただけだった。
「リュカには……俺の気持ちがわからない?」
「え……?」
「わからない? 本当に?」
切なさが滲んだ声で聞かれ、耐え切れずにリュカはジークの胸の中で俯いた。
「わからないよ」
ジークが何を考えているのか、何を思ってこんなふうに抱きしめてくるのか、それを知ってしまったら戻れなくなるような気がした。だからわかりたくない。これ以上ジークに依存するのが怖い。
ジークは小さくため息をつくと、腕の力を弛めた。
「ごめん、リュカ」
今度はそっと抱きしめてくる。まるで大切なものを温めるように。
「俺は竜人とは番わないよ。子どもなんていらない」
「だけど司令部の命令だ。わかってくれ」
「わかってないのはリュカの方だ。俺はリュカがいてくれればそれでいい」
「ジーク……」
嬉しいと思ってしまう。この大きな身体にいつまでも包まれていたい。だけどジークが近いうちに騎竜になり、同じ竜人の番を作ることは決定事項なのだ。そうなったらリュカはこれほど近くにはいられないだろう。
――だけど少しだけいい。あと少しだけでいいから……。
誰に向かっての言い訳なのかわからないままに、リュカは身体の力を抜き、ジークの背中にそっと手を回した。
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