20 / 27

第20話

 負傷した騎竜と竜騎士たちの治療が慌ただしく行われ、ボードー基地からやってくる負傷兵の受け入れ準備が急いで始められた。その一方で司令部では上層部が集められ緊急の会議が行われていた。  リュカはミハイルとともに竜舎での待機を命じられ、無言でオイルランプの灯を睨んでいた。ブランはさきほど呼び出しを受け、司令部へと向かったところだった。 「まだすかね、ブランさん……」  ずっと黙り込んでいたミハイルがぽつりと言った。いつもは調子よくおどけているミハイルも、さすがに青ざめて暗い顔をしている。 「ああ、そうだな。そろそろ帰ってくるとは思うが」  リュカもミハイルも、ボードー基地が陥落したということが信じられなかった。そのうえ独立軍は騎竜の多くを失ったのだという。  ――ジークは大丈夫だろうか……。  傷つき命からがら戻ってきたジークは、今回の戦闘で親友のカイルを失ったのだ。  そしてジークのあの言葉。 『――赤竜が、来た』  ジークは虚ろな意識の中でそう言っていた。あれはどういう意味なのだろう。一体何が起こっているのだろう。いろんな出来事が重なりすぎて、何をどう考えていいのか分からなかった。不安ばかりが募っていく。  竜舎の扉を押し開けてブランが入ってきた。  リュカとミハイルは思わず立ち上がると、ブランは「まあ待て」と二人を椅子に座らせ、自身も持ってきた椅子に腰かけて、重い息を吐いた。 「ブランさん! ボードー基地が陥落したってのはほんとなんですか⁉」  ミハイルが待ちきれないとばかりに食って掛かる。リュカはそんなミハイルを宥めた。 「ミハイル、落ち着いて」 「落ち着けないっすよ!」  ミハイルはもはや半泣きだった。  ノルディア独立軍の大きな基地はボードーとノースフェルトの二つだ。ボードー基地がレグラントの手に落ちたということは、前線はぐっと北に上がってくる。これからはこの基地が最後の砦であり最前線になる。若いミハイルが不安で動揺するのも無理はなかった。 「ああ……、ボードー基地が陥落したのはほんとだ」  ブランは低い声で説明を始めた。  今回の戦闘で、八人の竜人と九人の竜騎士が亡くなったという。戦える騎竜はあと六人。その他はまともに飛べない騎竜候補と、まだ人の姿にもなれないような幼竜たちだ。竜騎士に至っては怪我がひどく、戦える者が何人残っているのかわからないような状態らしい。 「そんな……」  リュカもミハイルも声を失った。 「でも……十二組も騎竜がいたんすよね? 騎竜隊がレグラントなんかに負けるはずがないのに!」  そもそも地上から銃撃か砲弾を打つくらいしかできないレグラント軍は、空から火焔で攻撃をするノルディアの騎竜隊に手も足も出せないはずなのだ。現にこの十七年、その戦法だけでノルディア独立軍は巨大な帝国の戦力に抗ってきたといっても過言ではない。  確かに前回の戦闘では巨大な砲台が持ち込まれ、そのせいで騎竜隊に大きな損害が出たが、砲台には簡単に動かすことが出来ないという短所がある。位置さえ把握すれば騎竜隊の敵ではない。  だから、十二組の騎竜がそろっているにも関わらず大敗するなど信じられないことだった。 「ああ。もちろんそれだけじゃわが軍の騎竜隊は崩せなかっただろうな。だけど……信じられないモンが現れたそうだ」 「な……なんすかっ、それは」 「赤竜だ」 「赤竜……?」  リュカもミハイルも、意味が分からずに眉を寄せた。 「レグラント帝国側に、四体の赤竜がいたそうだ。ジークと同じ種類の……赤竜が」  リュカはその瞬間、ジークの言葉に意味をようやく理解した。『赤竜が来た』というのは、言葉通りレグラントの擁する赤竜が、敵として現れたということだったのか。 「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! レグラント人が竜人を使役するなんて聞いたことないっすよ! 竜人とペアリング出来るのはノルディア人だけのはずです!」  ミハイルの言う通りだ。竜の姿になった竜人にペアリングをして意識の手綱を握ることが出来るのは、長きにわたって竜人と共にこの地で生きてきたノルディア人にしか出来ないはずだ。  だがそのとき、リュカははっと気が付いた。 「もしかして……ペアリングしない状態だったんですか?」 「ああ……そうだ」   ブランが苦い顔で頷いた。ミハイルが茫然と目を見開く。 「え……? それって……竜化して自我を失ってる竜人を、そのまま暴れさせたってことですか? え……待って……だってそれじゃ、敵味方わかんなくなって、ただ暴れることしか出来ないっすよ……?」  竜人は竜の姿になると神経が過敏になり、銃声一つで簡単に興奮し、我を失って暴れて火を噴く。 「信じられないが……自我を失って暴れる竜人を放ったらしい。おそらくレグラント側にも被害が出ているはずだ、と」  あまりにも酷いやり方に、リュカもミハイルも言葉が出なかった。 「ちくしょう……そんなやり方あるかよ……! 竜人をなんだと思ってんだ……っ!」  ミハイルが激情に駆られたように、何度も足を踏み鳴らす。リュカも強い怒りで身体が震えた。  竜人を兵器のように使うだなんて、そんな非道なやり方が許されるべきじゃない。 「でも……相手は本当に赤竜だったんですか? 間違いなく?」  リュカの言葉に、ブランは「ああ」と頷いた。 「赤い鱗に赤い目っていう特徴は一致していたそうだ。それにジークが間違いなく自分と同じ種だと言っているらしい」  ということは、ジークは自分の同族と戦ったということか。  ジークの苦痛と悲しみを想像すると胸が痛み、堪らなくなったリュカは椅子から立ち上がった。 「俺……ジークのところに行ってきます」 「え……? リュカ!」  驚くブランとミハイルを残し、リュカは竜舎を飛び出した。  いまや父親のことも自分の立場のことも、すべてのことはどうでもよく思えた。ただただ、ジークの心が心配でたまらなかった。ジークは自分と同じ種族と戦って、そして親友のカイルを殺されたのだ。どれほど辛かっただろう。どれだけ深く傷ついたことだろう。  息を切らして衛生棟に駆け込む。周囲を見回し、近くにいた衛生兵の人間を掴まえた。「ジークはどこですか?」と聞くと、衛生兵は「ライネル少尉……⁉」と驚いていたが、黙って引き入れてくれた。ジークは衛生棟二階の一番奥の小さな部屋の中で休んでいるらしい。 「ジーク」  ノックをして扉を開けると、ベッドに腰かけていたジークが驚いたように目を見開いた。 「リュカ……? どうしてここに……?」  ジークの処置はすでに済んでいるようで、腕や足には白い包帯が巻かれている。 「ジーク……入ってもいいか?」 「……ああ」  ジークは気まずそうにしながらも頷いた。リュカは静かに部屋の中に入る。  ジークは酷く憔悴していた。生気の抜けたような虚ろの目で黙って床を見つめている。 「ジーク……」  胸がぎゅっと痛み、リュカはベッドに近づくと、ジークの頭を抱え込むようにして大きな身体を抱きしめた。  しばらくは戸惑うように身体を固くしていたジークだったが、徐々に身体の力が抜けていく。 「リュカ……俺さ、どうしていいかわからないよ……」  ジークの身体が細かく震え始めた。 「ジーク……」  リュカは抱きしめていた腕を離し、ジークの顔を覗き込んだ。赤い瞳からは、音もなく涙が流れていた。 「敵の竜人、俺の同族だったんだ。それで俺、昔のこと思い出して……」  リュカは目を見開いた。 「記憶が戻ったのか?」 「ああ……」  ジークは俯き唇を噛んだ。  きっと記憶が戻ったばかりで、自分の中でも整理がついていないのだろう。苦しそうな息をしながら何度も口を開きかけるが、言葉にならないようだ。リュカはジークの隣に腰かけ、じっとジークが口を開くのを待った。 「ここに……来る前のこと思い出したんだ。俺たち赤竜は山の中で暮らしてた。そこにある日突然兵士がやって来て……俺たちは捕まった。父さんも母さんも、妹も弟も……。それで竜化できないように狭い地下牢みたいなところに閉じ込められて、『俺たちに協力するなら傷つけない。逆らうなら容赦しない』って脅されて、鞭で打たれたりナイフで切り付けられたりした。そのまま父さんや叔父さんは死んでしまって……。でもそんなとき、兵士の一人が同情して俺を逃がしてくれたんだ。だから俺、仲間のところに帰って助けを呼ぼうとした……だけど嵐に遭って方角がわからなくなって……そのままノースフェルトに辿り着いたんだ」 「そんなことが……」  今回の戦闘で赤竜を使役していたことから考えると、ジークの家族を襲って誘拐し監禁したのは間違いなくレグラント軍だろう。  騎竜隊を持つノルディアに対抗しようとして、赤竜を掴まえ二年以上の歳月をかけて戦争の道具に仕立て上げたのだ。 「俺がもしちゃんと赤竜の仲間のところに辿り着いていたら……そうじゃなくても記憶をなくすことがなければ……こんなことは起こらなかったのに」 「何言ってんだ? 悪いのはレグラントだろう? おまえは被害者だ」  リュカの言葉に、ジークは静かに頭を振って項垂れた。 「でも俺は……基地のみんなにも、同じ赤竜の仲間にも、死んだカイルにも……申し訳が立たない」 「誰も……そんなことを思ったりしないよ。お前を責めるやつなんていない」  ジークがぐっと喉を詰まらせた。 「リュカ……」  顔を上げたジークの顔は酷く歪んでいた。きりっと上がった眉は垂れ下がり、口元がわなわなと震える。ジークの赤い瞳からぼたぼたと涙が落ちてきた。  幼い子供のような泣き顔に、リュカの胸は切なさでいっぱいになった。 「大丈夫だ……。大丈夫だから」  リュカは腕を広げ、ジークの大きな身体をもう一度抱きしめた。  ――この人のことを守りたい……。  強い思いが心の底から溢れてくる。  それと同時に、リュカはジークのことが酷く愛しい、と思った。  傷つき涙を流すジークを慰めたい。ジークの冷えた心を温めてやりたい。この人を愛したい……。  そう思った瞬間、リュカは理解した。  ――そうか、これが愛なんだ……。  リュカはずっと愛を求めていた。だけど決して満たされることはなく、愛するという行為は寂しいものだと思っていた。だけどジークを心から愛した今、それは愛のほんの一面であると思えた。だって自分の心から溢れた愛はこんなにも温かい感触がする――。  リュカはゆっくりと抱擁を解き、ジークの頬に両手を当てた。そっと上を向かせ、優しく唇を重ねる。  突然のキスにジークが目を見開き固まった。リュカはもう一度薄く開いたジークの唇にキスを落とす。 「リュカ……?」  茫然とジークがリュカを見ている。リュカはジークの頬に流れた涙をそっと指で拭った。 「好きだよ、ジーク」  赤い瞳がこれ以上ないほどに開かれる。茫然とリュカを見つめる瞳が何度も瞬きをする。 「好き……?」 「ああ。俺はお前のことを愛してる」  ジークは目を大きく見開いた。 「リュカが……俺のことを……愛してる……?」  しばらくジークは茫然としていた。いきなり告げられた言葉に、思考が止まってしまっているようだ。  リュカはジークの瞳を見つめながら、ジークから言葉が出るのをじっと待った。 「もしかして同情……してるのか?」 「違うよ、ただお前を愛してるんだ」  ここまで言っても、ジークは信じられないようだった。疑い深い子供のような顔で、リュカを縋るように見てくる。 「ほんとに……? 本当か、リュカ? 俺を愛してるの?」 「ああ」 「でもリュカはお父さんのことを――」  リュカはうん、と頷いた。 「俺、ずっと父さんに愛して欲しかった。だから愛してもらえるように、自分が愛そうと思った。父さんの言うことをきいて、父さんの望むように振る舞おうとして……でもそれは本当の愛じゃない。愛って契約じゃないんだ。愛は自分から勝手に溢れて出てくるものなんだ」  ジークが息を呑んだ。赤い瞳は動揺するように大きく揺れている。 「なあジーク、俺はお前に出会って恋して……そしてお前を心から愛して、ようやくわかったよ。愛って寂しいものじゃない。持っているだけで温かいものだって」 受け取るだけの愛は不安定だ。いつ無くなるか、誰かに奪われるかを不安で心配でしかたなくなる。 だが今はリュカの心の中にあるこの愛は誰にも奪われることはない。今リュカが感じている幸福も奪われることもない。確実に存在する確かなものだ。 「ありがとう、ジーク……それを教えてくれて」 「リュカ……」  ジークはただ泣きそうな目でリュカを見ていた。 「傷つけてごめんな。あのとき選べなくてごめん……もう一度お前を愛するチャンスをくれるか?」  ジークの赤い瞳がゆらゆらと揺れ、宝石のような涙が転がり落ちる。 「リュカ……リュカ……」  ジークが涙を流しながら口づけてくる。  リュカは心に溢れる愛しさのままにジークの背中と首に手をまわし、キスを返した。  合わさる唇のあいだから流れてくるジークの涙のしょっぱさに心が揺さぶられる。いつしかリュカも涙を流していた。   ジークが、生きていてくれていてよかった。帰ってきてくれてよかった。  もう生きて会えないかもしれなかったと思うと怖くて仕方なかった。もう決して離れたくない。 キスを交わしながら、お互いの身体をきつく抱きしめあう。ここに自分たちが生きていることを確認し合う、切実な抱擁だった。 「リュカ……」  唇を離したジークがじっとリュカの顔を覗き、寂しそうに微笑んだ。 「ありがとう、リュカ。俺を愛してくれて……最後にいい思い出が出来た」 「……どういう意味だ?」 「レグラントがこれで終わりにするはずがない。きっとすぐにこの基地にも攻撃があるはずだ。弱っているところを一気に叩いて戦争を終わらせるために」  ジークはリュカの頭をやさしい手つきで撫でながら、言葉を続ける。 「俺は、何も持たない俺を受け入れてくれたこのノースフェルトを守りたい。リュカと出会ったこの場所を、ここで生きる人たちを……死ぬまで守る」 「ジーク……」  どうしてこんなにもジークの魂は美しいのだろう。傷つき絶望しながらも、他人のために闘うことを決して辞めない、清廉なジーク。  リュカはこの男を愛している。  心から愛しているのだ。 「ジーク……。俺は最後まで一緒にいるよ」 「え……?」とジークが驚いたように目を見開く。 「最後まで……一緒にいる?」 「ああ。お前が死ぬときは俺も死ぬときだ。いっしょにいよう、ジーク。生きるのも、死ぬのも一緒だ」  戸惑うように見つめてくるジークに、リュカは微笑んだ。 「俺がお前に乗る。一緒に戦うよ、ジーク」

ともだちにシェアしよう!