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第21話
『ノースフェルト基地に向かって、レグラントの兵が進軍しているようだ』
哨戒の竜騎士からそう報告が入ったのは、その次の日のことだった。
ボードー基地からノースフェルト基地までは騎竜が飛べば最速で半日ほどだが、地上を騎兵が進軍してくるとなると七日かかるほどの距離だ。
ノースフェルト基地の近くの街に残っていた一般人の退避がすぐに始まり、基地では着々と帝国軍を迎え撃つ体制が整えられた。とはいっても主戦力の騎竜隊はわずかに六人で、ほぼ全員が負傷した状態だ。騎竜だけではなく、技術を持った竜騎士の何人もが先の闘いで戦死し、残っているのは新人の竜騎士と、負傷した中堅の竜騎士だけ。
これだけの戦力で暴走した赤竜を止めることが出来るだろうか……。だが独立軍には戦わないという選択肢は残されていなかった。
重苦しい雰囲気に包まれた基地の控室の中で、リュカは実に四年ぶりに竜騎士の飛行服を身につけていた。
あれから――。
ジークと想いを通じ合わせたリュカは、すぐに竜騎士として復帰の申請を行った。
実戦を行える竜騎士の数が少なく、かつ非常時だということ、そしてジークに乗っていた竜騎士が重症の怪我を負っていて復帰困難とのことで、半日ほどでリュカとジークのパートナー申請は下りた。
リュカとジークは、騎竜士と騎竜として正式なパートナーとなったのだ。
だがリュカには四年以上のブランクがある。かなりの不安はあったが、試しに行ってみた短距離飛行はまずまずな調子だった。なによりもジークとはぴたりと息があっているし、現役のときの勘はほとんど戻ったように思う。
――戦闘ばかりはやってみないと分からないが……。
緊張を胸に抱えながら、リュカが出発に向けて厚手の手袋とゴーグル、動物の毛皮の付いた飛行帽を着用する。控室を出ると、廊下にはブランとミハイルが待ち構えていた。
「リュカ……」
ブランもミハイルも、複雑な表情を浮かべている。それも当然だ。散々竜騎士へは戻らないと言っていたのにも関わらず突然復帰をして、しかも死地へと向かうのだから。
「ブランもミハイルも、元気で」
「……ああ」
唇を噛みしめながらブランが頷く。ミハイルに至っては、涙を堪えようとしてくしゃくしゃの顔になっている。リュカもブランもミハイルも、これが最後になるかもしれないことを理解しているのだ。
だがリュカには別れの辛さも寂しさもなく、胸に湧き上がってくるのは二人に対する感謝の気持ちだけだった。
ブランはいつもそっけなくも温かな目でリュカを見守ってくれていた。ミハイルは屈託もない明るさでいつもリュカの心を温めてくれた。ゼノが死んでから味方がいなくなったリュカは、二人の存在にどれだけ助けられただろう。二人がいなかったらゼノの死を乗り越えることは出来なかった。
「二人とも、ありがとう」
「……っ、リュカさんっ」
耐え切れないようにミハイルがリュカに抱き着いてくる。リュカはその身体をしっかりと抱きしめた。
「幼竜たちのことは頼むぞ、ミハイル」
「はい……っ」
背中を叩いてやると、ミハイルは涙を拭いて頷いた。
敬礼をするブランとミハイルに見送られ、リュカはひとり歩き出した。建物を出て基地の北側の離着陸場に向かう。
司令棟の横を通り過ぎながらふとリュカは思った。
――父さんは何も言って来なかった……。
『ジークにはもう会わない』という誓約を破ろうとしているリュカに対して、父親は無反応のままだった。
父親は司令部の幹部だ。事態を終結させるために不眠不休で対策を取ってところだろうし、出来の悪い息子に構っている暇もないのだろう。
――でも……これが最後かもしれないのに……。
父親にとって自分は一体何だったのだろうか。ほんの少しでも愛されていなかったのか。そう思うと胸が引きちぎられるように悲しかった。求めても求めても、結局父親の愛を手に入れることは出来なかった……。
虚しい気持ちに襲われながらも、リュカは足を止め司令棟を見あげた。するとエドモンの執務室の窓のところに人影が見える。はっとした。
「……父さん……」
エドモンはまっすぐにこちらを見下していた。リュカはただ、茫然とその姿を見上げることしか出来なかった。
久しぶりに見た父親の姿は、驚くほどに面変わりしていた。厳めしい軍服を身に纏った威厳のある姿は変わらないが、十歳も年を取ったようにな顔つきだった。
父親はこんな顔をしていたのだったか。こんなに薄い身体つきをしていたのだったか――?
「――あ……」
と、そのとき父親の口がゆっくりと動いた。
何かを言っている。ほんの短い言葉だ。
だがこの距離で唇の動きを読み取れることも出来ず、呆気に取られているうちにエドモンは踵を返し窓から離れてしまった。
リュカはしばらくのあいだ、じっと父親がいなくなった窓を見つめていた。
「さようなら、父さん」
最後に顔を見ることが出来てよかったと素直に思えた。
父親には父親の闘いがあり、自分には自分の闘いがある。今胸の中にあるのは、父親に託された命令ではなく、自分の心の底から生れ出た使命だ。
離着陸場には、騎竜の四人の竜人と騎竜整備士たちがすでに待機していた。
「ジーク、待たせたな」
リュカが声を掛けると、ジークが振り返り微笑んだ。
「待ってたよ、リュカ」
作戦ではノースフェルト基地から百キロほどの距離にある第二拠点地の砦で一晩を明かし、早朝出発し出来るだけ南側でレグラント軍を迎え撃つ予定だ。リュカたちの任務はできるだけノースフェルトへの進軍を遅らせること。
捨て身のような作戦だ。引くことは許されない過酷な使命。
他の竜騎士たちはそれぞれパートナーと向かい合い、抱擁をしたり手を握り合ったりしている。
リュカもジークと向かい合い、赤く綺麗な目を見つめた。
「覚悟はいいか?」
「もちろんだ。リュカといっしょなら怖いものはないよ」
いつもの明るい笑顔でジークが言う。
「それじゃ……いくぞ」
「ああ」
リュカは頷き、ジークから距離を取った。
ジークが目を瞑り、大きく息を吸い込む。同時に身体から白い煙が上がり始める。滑らかな肌が隆起し、瞬く間に膨らみながら赤い鱗で全身が包まれる。
現れたのは、煌めく赤い鱗で覆われた赤い竜。
「ジーク……」
なんて綺麗なのだろう……とリュカはしばしのあいだジークの姿に見惚れた。その間にも騎竜整備士が駆け寄ってきて、ジークの首に竜騎士の身体を固定する鞍を取り付けていく。
リュカはその様子を確認しながら、ジークの頬を撫でた。クウ、とジークが甘えた鳴き声を漏らす。
竜の姿になった竜人は言葉を話すことは出来ないが、リュカにはジークの気持ちが手に取るようにわかった。
きっとジークは嬉しいのだ。リュカを乗せて飛ぶことを喜んでくれている。
「ライネル少尉、準備が出来ました」
「わかった。ありがとう」
整備士の言葉にリュカは頷いた。とうとう出陣のときが来た。
ジークの太い首に取り付けた鞍に、落下防止用のハーネスを取り付け、リュカは整備士の助けを借りながらも背中に騎乗した。
整備士が鞍とハーネスの安定性を確かめてから、リュカに声を掛ける。
「それではライネル少尉、ペアリングをお願いします」
「ああ、わかった」
リュカはジークの首に手を当て、目を閉じた。
「ジーク、いくぞ」
艶やかな鱗は、一枚一枚が手のひらほどの大きさだ。その感触を楽しみながら、リュカは静かに息を吸い込んだ。
目を瞑り、深く意識の底へと潜っていく。ふつふつと気泡が湧きだす暗い水の底へ近づいていくごとに、自分という器が小さく小さくなっていく。自分が砂のような黒い点となり、光に飲み込まれる……。やがて温かく居心地のよい光に包まれ、リュカはほうと息を吐きだした。
――これがジークの意識……。
なんて穏やかで優しいのだろう。すべてを受け入れてもらえるような万能感がリュカの心と体を包み込む。お互いの精神が同じ大きさで、同じ形で、ぴたりと重なっているようだ。
リュカはジークであり、ジークはリュカでもある。
そんな幸せな実感は、今までの人生で感じたことがない。
ジークが長い首を捩るようにして、背後に騎乗するリュカを見つめてきた。その赤い瞳は、うっとりと蕩けるように輝いている。
リュカの心にジークの喜びがそっくりそのまま流れ込んでくる。きっとリュカの高揚もそのまま伝わっているのだろう。
――ジーク、愛しているよ。
心の底からそんな感情が込み上げてくる。これから死地に向かうというのに、驚くほどに落ち着いているのが自分でも不思議だった。きっとジークといっしょだからだろう。
離着陸場の際に立った整備士が、旗を振って出発の号令をかけた。右から順に、空に向かって騎竜たちが次々に飛び出して行く。
「行こう、ジーク」
リュカが呟くと同時に、ジークが背中の翼を羽ばたかせた。身体の背後から巻き上げる風が強まり、ふっと大きな身体が浮き上がる。首をぐっと前に倒し、ジークが空へと飛び出した。
上へと吹き上がる気流に乗って蒼穹の中へと飛び込んでいくような高揚。はるか下を見渡せば、眼下の針葉樹の森は黒く、その向こうにはすべてを包み込むような茶色の土の雄大な大地が見える。
――ああ、飛ぶことはこんなに美しいことだったのか。
リュカは胸の中に初めてやって来た感慨を噛み締めた。
今までは失敗しないようにと緊張に心を強張らせていたので、空から見る世界がこんなに美しいのだと気づくことが出来なかった。
どこまでも高い青空と大地を眺めながら飛行し、三時間ほど経った頃だろうか。
第二拠点までへの半分の距離が過ぎたころ、ふいにジークがはっと首をもたげた。
「ジーク?」
わずかに意識に乱れが生じている。ジークの視線はじっと眼下に向けられたままだ。
何かあるのか……?
リュカは隣で陣形を組んでいる竜騎士たちに合図を送ってから手綱を握り締め、緩やかに高度を下げた。ジークが顔を向けているあたりに目を凝らすと、こちらに向かって傾斜した地形の針葉樹の森の中に点々と、豆粒のように黒い影が見えた。
レグラント兵……!
それは馬に乗ったレグラントの騎兵部隊だった。まさかこんなにノースフェルト基地に近づいていたとは……。大軍で進行してくると考えていたが、少数の新鋭部隊のみで進軍してきたようだ。
その瞬間、レグラント兵のほうから鋭い警笛が聞こえた。こちらが騎兵隊を見つけたように、あちらも騎竜隊の存在に気が付いたのだ。
ジークとリュカはすばやく降下した。木々すれすれの高度を保ち騎兵隊に近づく。敵兵の数はおおよそ三十。慌てたように小銃を構える敵兵にジークが咆哮をあげ、喉を震わせる――。
ごおっという熱気が渦巻き、ジークの吐きだした火焔がまっすぐに敵兵に向かって飛んでいった。轟音が響き、すさまじい黒煙が吹きあがる。
ジークは爆風からリュカを守るように旋回して他の騎竜たちと合流する。
赤竜の噴炎は、普通種の竜人の火焔の二倍以上の威力がある。おそらくこの部隊は反撃不可能なほどの被害を受けただろう。
だがそのとき、煙の中からぬっと何かが飛び出した。
「せっ、赤竜だ!」
後ろの竜騎士が叫ぶ。
リュカは初めて対峙する敵の赤竜の姿に息を呑んだ。赤く光る鱗に赤い瞳、大きな翼。本当に竜化したジークと同じ姿をしている。
「あ――」
同調していたジークの意識が酷く動揺しているのがわかった。リュカは急いでジークの首に手をやり、『大丈夫だ、ジーク』と乱れた精神を宥める。徐々にジークが落ち着いていくのを感じながら、リュカは赤竜に目をやった。
赤竜は全部で二体。黒煙が立ち込めていて真下のレグラント兵の様子はわからないが、火焔の攻撃を受けたレグラントの赤竜たちはひどく興奮して我を失っているようだった。
レグラントの赤竜がかちかちと喉を震わせ、頭を上に向けた。
「……!」
噴炎だ。
気配を感じ取ったジークが素早く身を翻す。火焔は空気を切り裂くような速さでジークの横を掠め、背後の木々が爆音とともに大破した。
――すごい……。これほどまでに……。
敵の赤竜の噴炎のけた外れの威力に、リュカは身震いした。
リュカが竜騎士として前線で戦っていたのはたった一年だ。その間に二度ほど戦いで勝利をおさめたが、それは一緒に戦っていた兄のゼノが優秀な司令官だったからだ。経験も技量も劣る自分が、ずば抜けた身体能力を持つ赤竜に対峙できるだろうか――。
込み上げてきた不安を慌てて押し込めた。一瞬の気の迷いは戦場では命取りだ。
敵の赤竜は二体。そしてこちらは四体。その戦闘力を考えれば、ジークが一体の赤竜に対峙し、ジーク以外の三体の騎竜がもう一体の方の赤竜を相手にするのが最善だ。
リュカは他の竜騎士に素早く手信号で合図を送り、そして手綱を強く握った。
「ジーク、行くぞ」
クウ、と鳴き声で応えるのと同時に、ジークは大きく翼をはためかせた。滑空して高度を下げ、左のやや身体の大きな赤竜に突っ込む。味方の騎竜たちは、左のレグラントの赤竜の周りを取り囲む。
上手く二体の赤竜を引き離すことに成功した。あとは自分たちが早く目の前の赤竜を倒し、はやく味方の援護に回らなくてはならない……。
目の前の敵の赤竜が鋭く咆哮した。
急角度で上昇し、こちらに迫ってくる。
「ジーク!」
リュカは手綱を握り、急角度で上昇した。敵の赤竜も追いかけてさらに上昇してくる。
ジークは独立軍の中では誰も追いつけないほどの飛行スピードを誇っていたが、さすがに同族だけあって、背後にぴたりと張り付いて離れない。
いや、相手の赤竜は身体が小さいだけ、少しはこちら側が優位か。
ジークは大きな翼を駆使して急上昇と急降下を繰り返す。だが駄目だ。敵の赤竜も重なるように追ってきて全く距離が取れない。
これでは追い付かれる……!
リュカは重心を左にずらしながらもう一度手綱を引いた。リュカの意をすぐに悟ったジークが左に身体を捩る。急激な下降をしながらの旋回に、敵の赤竜はついて来れなかったようだ。わずかに離れた距離を使って敵の下に回り込み、ジークが喉を震わせた。
ジークが大きく口を開けて噴炎の予備動作に入る。かあっと喉のあたりが燃えるように熱くなり、炎を吐きだす――。
しかしその寸前。
突然爆発音が響き渡った。熱い爆風が吹き寄せ、ジークとリュカは強風にあおられて横に飛ばされる。
何が起きた――⁉
体勢を整えながら目を凝らすと、真っ黒な黒煙のはるか下に、真っ黒に焦げた味方の騎竜一体が落下していくところが見えた。
「ああ……!」
そして爆風を逃れたように見えた残る一体も、二度目の噴炎が翼を直撃し、錐揉みするように落下していく。
リュカは声にならない呻きを上げた。
味方がやられた……。
同調するジークの精神も大きく乱れる。
「ジーク、落ち着け! 落ち着いて一旦体勢を整えるんだ! 敵と距離を――」
そう叫びかけたときだった。
ふっと目の前に影が差し、顔をあげるとすぐ真上に今まで戦っていたレグラントの赤竜が迫っていた。
味方の闘いに気を取られているうちに接近されていた。
――まずい……!
声を上げる暇もなかった。敵の赤竜の大きな口が開き、赤い舌が見える口の中で赤黒い火焔の球が育っていく。リュカはそれを茫然と見た。
この距離では逃げられない――――。
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