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第25話
ゴトゴトと動き続けていた馬車が止まった。リュカは身体を起こし、幌の隙間から外を覗いた。
午後の日差しが眩しい。土煙と甘い花の匂いが鼻先に届き、その鮮烈さにリュカは目を細めた。
「おおい、着いたぞ!」という声が前方から聞こえてきて、隣で同じように外を伺っていたジークが「はーい!」と返事をする。
ジークが身軽にひょいと先に降り、こちらに向かって手を差し伸べてくる。リュカはジークの手を握り、ゆっくりと馬車から下りた。
レグラントの首都を出てから一か月の旅路だった。ノルディアの大地を踏むのは実に二年半ぶり。乗り合いの馬車を乗り継ぎようやく辿り着いた祖国だ。
久しぶりに立ったノースフェルトの街並みは、以前とは様変わりしていたが、咲き乱れる春の花は以前と同じで懐かしい感慨をリュカの胸に連れてくる。
「……帰ってきたな」
ジークが空を仰ぎ大きく背伸びをしながら言う。
「うん。……本当に……もう戦争は終わったんだな」
ノルディア独立軍とレグラント帝国の戦争が完全に終結したのは今から二年ほど前、リュカとジークが捕虜になって数か月過ぎたころのことだ。
十七年にも及んだ戦争は、ノルディア独立軍の敗北で幕を閉じた。リュカたちが捕虜になったときが最後の戦いとなり、独立軍は事実上崩壊したのだ。
独立軍の指導者たちは一掃され、レグラント側についていたノルディア王族にも、独立運動を抑えることが出来なかったとして、南側の領土の一部割譲、鉱山の権利譲渡、多額の賠償金、軍備制限などが要求されたが、王族の自治は引き続けて認められることとなった。それでも『ノルディアが国家として消滅せずに済んだのは奇跡だった』とも一部では言われているらしい。
「リュカ、行こう」
ノースフェルトの大通りをぼんやりと眺めていると、隣のジークがリュカの手を引いた。「ああ」と頷き、通りをゆっくりと歩き出す。ジークと並んで歩きながら、リュカと深い感慨に浸った。
――本当に帰って来たんだな……。
レグラントでの捕虜として送った生活は、決して楽なものではなかった。半年間は日の光も入らない地下牢の中で過ごした。治療や診察も最低限で、頭や腕に負った酷いやけどのせいで、ジークは何度も高熱を出した。リュカも冷たく暗い地下牢の中で過ごしていたせいで身体が弱り、何度も風邪を拗らせ死に掛けたこともある。それでも二人とも死ぬことはなかった。生き抜いた。
そしてようやく戦争の残処理が落ち着いたころに、国際社会ではジークたち赤竜の竜人たちに対する深刻な権利侵害が大きな問題となった。
レグラントが赤竜たちを軍事利用したことについて、ずっと中立を守ってきた大陸連盟が『遺憾である』という声明をだし、国際的に注目が集まったのだ。
そのことが影響して、レグラントで捕虜となっていたリュカたちの扱いも格段に向上した。地下牢から普通の部屋に移され、自由に外に出ることは許されなかったが、人間らしい普通の生活を送れるようになった。
それから約二年、ようやくリュカたちはノルディアに帰国することが許されたのだ。
従軍させられていたジークの同族たちも、もと暮らしていた南部に帰ったという。ジークにも『一緒に故郷に帰らないか』と声が掛かったが、『リュカと一緒に生きる』という宣言をしたため、こうしてリュカと共にノルディアに帰国することとなった。
大通りを抜けると、赤茶色のレンガで出来た家が立ち並ぶ通りに出た。ひとつひとつ人の手で積み上げられたような不器用さも感じられる街並みだ。土で覆われた道路に座り込んで子どもたちがままごとをやっていたり、木の枝を振り回して遊んでいる。
二人は微笑ましい気持ちで子供たちを眺めながら通りを抜けた。
待ち合わせ場所である公園は、昔の名残が残っていた。いつだかジークと共に祭典で訪れた公園だ。
「おーい、リュカ! 赤竜のぼうや!」
声を張り上げながら噴水の向こうからやって来たのは、元保竜官のブランだ。隣にはミハイルもいる。
「うわ~リュカさん!」とミハイルが嬉しそうに走ってきて、リュカに抱き着いた。
「元気でしたかっ? 無事に帰ってこれて本当に良かったすよ~」
「ミハイルは相変わらずだな」
リュカはふふっと笑ってミハイルの頭を撫でてやった。するとミハイルは頬を赤らめて叫ぶ。
「な……っ、なんかっ! リュカさん美人度めちゃ上がってませんっ!?」
リュカは「なんだそれは」とと笑ったが、隣のジークは「はあっ!?」と叫んで、無理やりリュカからミハイルを引き離した。
「お前どういう意味だ! っていうかリュカに抱き着くな!」
「え~そんな~! 二年半ぶりの再会なんすよぅ! 抱きつくくらいいいじゃないっすか~! ジークさんなんて、ずっとリュカさんのこと独り占めしたんでっしょ~?」
喧しく言い合いをするミハイルとジークを呆れた顔で眺めながら、ブランがのんびりとリュカのところまで歩いてきた。
「ブラン、お久しぶりです」
リュカは姿勢を正して礼をすると、ブランは目を細めながら頷いた。
「ああ。……よく帰ってきたな」
ブランはこの二年半、何度も手紙でやり取りをしていた。レグラントの首都で解放され、一文無しで放り出されたリュカとジークは、ブランが送ってくれる旅費がなければここまでたどり着くことは出来なかっただろう。昔も今もリュカにとっては恩人だ。
「本当に……いろいろとありがとうございました。この恩をどう返したらいいか」
深々とリュカが頭を下げると、ブランは「いいっていいって」と笑って手を振った。
「それよりも、そろそろ行くぞ」
ブランの案内に任せて、一行は公園の奥の道を進む。やがてたどり着いたのは、戦で命を落とした兵士たちが眠る墓苑だ。
周りは緑の木々に囲まれ、なだらかな丘には幾千ものの白い四角い石が並んでいる。ブランは来慣れているのか、すいすいと進んで行き、『カイル・セシリア』と書かれた墓石に辿り着いた。
「それじゃ、俺たちは入り口で待ってるからよ」
ブランはそう言って、ミハイルとともに来た道を戻って行く。ジークがゆっくりと親友のカイルのことを悼むことができるよう、配慮してくれたのだろう。
お礼の気持ちを込めて頭を下げ、そっとリュカは隣を伺った。ジークはじっと墓石を見つめている。
「カイル……」
ジークはその前にしゃがみ込み、優しく石の表面を撫でた。リュカもその隣に膝をつき、途中で買ってきた花束を手向けた。
さあっと穏やかな風が吹き、緑の木々が揺れる。どこからともなく子供の笑い声が聞こえる。
しばらくの手を合わせていたジークが無言で立ち上がった。何も言わず、墓石の並んだ丘を眺める。
戦争でたくさんの命が失われた。ひとつひとつの命が、誰かにとっては大事な人だったのだ。そう思うと立ち並んだ墓石の数に言葉が出ない。
「ジーク……」
――生きような。
心の中でそう呟き、手を差し出した。ジークがその手を取ってくれる。手を繋いでゆっくりと歩きながら、リュカと墓苑を後にした。
「終わったか?」
墓苑の入り口でブランとミハイルは待ってくれていた。
「ありがとうございました」
「いや……こんなことくらいはな……。リュカの親父さんのところにもいければ良かったんだがな……」
はい、とリュカは静かに頷いた。
リュカの父親であるエドモンは、ノースフェルト基地が陥落する最後のときまで先頭に立って指示をしていたが、いよいよとなったときに護衛と反側仕えの兵士たちを逃がし、自身は執務室の中に立てこもり自決したと聞いている。
王家に対する反逆の罪が問われ、未だに墓を作ることを許されず、父親の遺体は荼毘にふされてノルディア王都の教会に安置されている。
「戦争が終わってもう二年以上か……」
ブランが小さな声で呟き、遠くの丘の上を見やる。独立軍の基地があった場所だ。今はレグラント兵の詰所があるようで、上空にはレグラントの赤い国旗が風に翻っていた。
「街の中にもレグラント兵たちがたくさんいる。最初は誰も目を合わせようとしなかったけど……最近は子どもたちに飴を配ってるやつもいる。おかしなもんだ」
ブランの言葉に、リュカは小さく呟いた。
「世の中は……変わりますから」
かつて敵と呼び憎んだ者たちが、今はこの国の通りを歩いている。その一方で泣いて暮らしているたくさんの人々もいる。世の中が変わっても、戦争の傷がいえるのには長い時間がかかるだろう。
「まあやっとノルディアに帰ってこれたんだしよ。たまには一緒にメシでも行こうぜ」
しんみりとした空気を明るくするようなブランの言葉に、リュカは「はい」と頷いた。
「あれ? もう解散すか? もっとリュカさんとしゃべりたいっす~!」
「ばァか、お前! リュカはやっと国に帰って来たんだぞ! 赤竜のぼうやと家でいちゃいちゃするに決まってんだろ! 我慢しろ!」
「え~!」
ごねるミハイルの頭をばしっと叩くと、ブランはこちらを振り返り「ほらよ」とリュカに向かって何かを差し出してきた。
「それはお前たちの家の鍵だ」
「俺たちの……?」
「あと……これも」
すこし迷うような仕草で差し出してきたものは、擦り切れた写真だった。どことなく見覚えがあると思ったら、そこに写っているのは幼いころのリュカとゼノだった。
「――え? これはどこで……」
リュカの実家・ライネル家は、父の死の直後にレグラント軍に差し押さえられ、数人いた使用人も着の身着のままで追い出されたと聞いていた。屋敷の中の荷物は何一つ持ち出せなかったはずだ。
「あの日――ノースフェルト基地が陥落したとき、ライネル参謀次長の執務室の机の上に置いてあったらしい」
「父さんの机に……?」
リュカはじっとその写真を見つめた。
おそらく七歳前後の写真だ。瓜二つの二人の少年が、幼年学校の真新しい制服を着て、緊張したような固い視線をこちらに投げかけている。
『軍人さんみたいでかっこいいね!』
とリュカとゼノも気に入っていて、二人の部屋にしばらく飾られていたのだが、いつの間にか無くなっていたことを覚えていた。捨てられたのかと思っていたが、父親の手元にあったとは。
――まさか、ずっと肌身離さず持っていた……?
ふいに最後に父親の姿を見たときのことを思い出した。あのとき、窓際からリュカを見下しながら父は何かを言っていた。
口の動きから考えても、短い言葉だった。おそらく三文字の言葉。父は一体最後にリュカに向かって何と言ったのだろう。
『生きろ』と言っていてくれたのではないか。そう思うのはおめでたいだろうか。
少しは自分のことも愛していてくれたと感じるのは、思い違いだろうか――。
「とう、さ、ん……」
その答えは一生知ることができない。父親は何も言わずに死んでしまったのだから。
それならばリュカは信じようと思う。そこに確かに愛はあった、と。
胸がつぶれるような切なさと悲しさで嗚咽が漏れる。ジークが黙ってリュカの肩を抱き寄せてくれた。リュカはジークの温かい胸の中で、ひとしきり涙を流した。
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