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第5話「もういらない」
ヤンのもとに辿り着く十日ほど前。シリルは王都にいて、雨に打たれながら街を歩いていた。
氷雪のごとき冷たさを抱いた雨粒が、容赦なく布の奥に侵入してきて、頬を濡らすそんな夜だった。
けれど、伝う雫をシリルは拭わなかった。そのまま歩みを進め、入り組んだ路地を滑るように抜ける。そうして辿り着いた一軒の石造りの家の扉を、ほとほとと叩いた。
「ああ、やっぱりお前か」
現れたのは、小柄だと思っているシリルでも簡単に見下ろせてしまう小さな老人だ。元は白だったはずだが薄汚れて灰色に変色した長衣を身にまとった彼は、濁りながらも力の籠った目でこちらを見上げてから、つい、と顎で中を示した。
「俺のところから巣立ってもう四年か。すっかり一人前だな。半端な魔術師なら気づくことができないようこの家も隠してあったのに。さすがは癒しの天使、シリル・ド・レイ。宮廷魔術師はそんじょそこらの魔術師とは格が違う」
「元、宮廷魔術師。癒しの天使ってのもやめて。二度と呼ばれたくない」
苦い声をあえて前面に押し出し、シリルは雨に濡れたフードを背中へと流す。しっかりと被っていたのに髪にもずっしりと雫が絡んでいた。
「銀髪に赤い瞳。光の化身か。言い出したやつは実に的確だと思うよ……と、容姿を褒めるのも嫌いだったな。すまんすまん」
わざとらしい含み笑いが癇に障る。この人、ジェラール・エマニュエル・トーザンには八つのころから八年間、魔術の何たるかを教わってきた。独り立ちしてから四年経ち、前ほど接点はなくなったものの、人を小馬鹿にしたような口調や、隙あらばからかおうとする態度は昔とちっとも変わっていなくてうんざりする。
「頼んでいたこと、わかったってことだよね」
「まあな。ずいぶんかかってしまったが。けどお前、本気なのか」
ジェラールは億劫そうに暖炉前の揺り椅子に腰を下ろす。ぎぎ、と不満そうに椅子が鳴いた。
「本気で光魔術を捨てる気か」
「光魔術なんてなんの役に立つ? 人を助ける魔術っていうけど、俺はもう誰かを助けようなんて思えない」
吐き捨てると、部屋の隅で丸くなっていた老犬のパウルが大きな体をふるりと震わせた。
そうされて熱くなっていた脳が冷めた。
だめだ。取るに足らない些細な問いかけにさえ苛立って。こんなことじゃ目的を果たせない。
なにより必要なのは冷静さ。つけ入る隙を与えない、強固な心の壁。癒しの天使などと呼ばれるような弱い自分はもう捨てたのだ。
息を吸い、吐く。呼吸を整え、顔を上げる。目の前にいるのが憎い敵ででもあるようにジェラールをねめつけ、シリルは唇をいびつに吊り上げた。
「妹を殺した奴らを守るための術なんて、俺はもういらない」
……もう一年も経ってしまった。でもあのときの光景は記憶の中で鮮明なままだ。
広場に引き出された妹が、処刑されたあのときの。
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