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第8話 雪を穢す
雪道に一人分の足跡が深々と刻まれる。雪を想定した装備をしてきたわけではない。だからすぐに冷たさが足に沁みこんでくる。外套を羽織っていても、刺さるほど冷えた空気は妨げない。
それでも、進まねばならない。
「炎よ」
白で覆いつくされた山道を登る。息の色はもう、地面を覆う雪と変わらない白をしている。ただ立っているだけでも歯の根が合わない。圧倒的に自然が優位の山の中、抗うようにシリルは右手を前方に突き出す。
「俺の道を塞ぐ、この白い悪魔を薙ぎ払え」
ぽうっと自身の体の中で熱が燃える。命令と術が確かに繋がっていく感覚。
この数年、嫌というほど味わってきたこの熱。でも今、シリルは初めて使う。自分のためだけに術を。
それは、光魔術師にとって決して許されない行為だった。他者のためではなく自らのために力を行使すれば罰を受けるとも教えられている。だが、もう構わない。規律を守っていてもあれほどの苦痛を味わったのだ。破ったところでどれほどのことがあろうか。
昂揚に似た憎悪が再び胸を焼いた瞬間、赤が白に散った。からかうように揺らめくその赤が妹の足を舐めた毒々しい紅と重なる。
吐き気が胸の奥から湧き上がってくる。ここは妹が命を落としたあの広場ではないのに、炎の赤は簡単に心の奥から痛みを引きずりだしてしまう。
気がついたら膝を雪についていた。えずいてもなにも出ないが、胃は繰り返し痙攣する。黄色い胃液だけが雪を染める。その色さえ、自分が生きていて妹はもういない証に思えて憎かった。
「倒れてる、場合かよ」
弱々しい自分がたまらなく不快だった。地面に張りついて腰を折りたがる体を罵倒しつつ、シリルは右手で大きく空を薙いだ。
とたん、掌から放たれた火球が白で覆われた雪道を勢いよく裂いた。
じゅっと滲むような音とともに雪が溶けだす。凶暴な白によって塞がれていた道が顔を出す。
ざらざらと固体から液体へと姿を変えた雪が、大量の雨となって降り注ぐ。冷たいしぶきを浴びながらシリルは笑った。
「こんなに簡単なことだったんだ……規律を破ることなんて」
それを自分は馬鹿みたいに抱きしめていた。抱きしめ続けて、信じた。
これほどに脆弱な掟だとも知らないままに国のため、民のためだけに力を使い続けてしまった。
肝心なところで役に立たない魔術の理を後生大事に温めて。
「馬鹿丸出し」
吐き捨てた声が炎によってあぶられ、ゆらめく。
溶かされ、払われた雪の下からぬかるんだ大地が顔を出す。まっすぐに山の奥へと伸びたその道は、黒くぬらりとしていて、地獄への道、そのものに見えた。
そう思ったところで苦い笑みが零れ出た。
妹を生きながら焼かれるなんて、これこそ地獄だ。これ以上の地獄なんてあるか?
だから構わずに歩を踏み出した。足を下ろすたび、じゅく、じゅく、と土が不快に鳴きながらすがりついてきたが、それを払い、さらに足を進めた。
が、数歩進んだところでシリルは目を瞬かせた。
暗い。目の前に黒い帳が舞い落ちてきたみたく周囲が灰色に霞み始めた。と同時に、ことことと心臓が心拍を速める。
なに、と呟く。その声ごと引きずり込むように地面が迫ってくる。必死に逃れようと体を逸らす。けれど、逃れられない。速度を上げ体は地面へと落ちていく。
――光魔術は決して自分のために使ってはならん。使えば障りがある。わかったな。
耳の奥で諭すのはジェラールだ。そのジェラールになのか、教皇になのか、光魔術そのものになのか、わからないままにシリルは首を振った。
ふざけるな全員殺すまで止まってなんてやらない。闇雲に空を手で掻いたけれど、ぷつん、と頭の中の線を切られたように意識はあっけなく闇に墜ちた。
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