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第19話 「助けたいなら引けって言ってんの! くそが!」

 あとはこれを彼の上に落とすだけ。  ――闇の炎よ。わが眼で捉えし者の心を縛り、以後、我の命にのみ……。  だがそこで、シリルは片目を閉じた。一瞬にして陣が掻き消える。  七、八歳といったところだろうか。ひとりの少女がヤンに飛びついていた。甲高い声とともに彼女が羽織った赤い上着が閃く。その彼女をヤンが抱き上げた。  どうやら知り合いらしい。少女を見るヤンの顔には、先程こちらに向けてきたのと同じ笑顔が浮かんでいた。 「おいこら」  ひとしきりヤンにじゃれついた後、少女は林の中へと駆け去っていく。ぼんやりと見送るシリルの視線に気づいたのか、ヤンがこちらに向かってくる。 「お前、さぼってないか?」 「あんたこそ。女の子と遊んでた」 「おい。なんか浮気を咎める妻みたいな言い方だな。妬くな」  誰が! と怒鳴る声が跳ね上がってしまう。が、ヤンにとっては大して意味のない戯れだったのか、面倒臭そうに顎がしゃくられた。 「とっとと働けよ。天使さまは匙より重いものは持てないのか?」  こいつはどうしてこうもむかつくことばかり言うのだろう。もう決めた。今度こそこいつを実験台にしてやる。と、決意して彼を睨み据えたときだった。  ふっと耳の端で囁き声がした。言葉ではない。でもわかる。これは精霊の声だ。風に乗って聞こえる。水が騒いでいる。流れていく。なにが? 水じゃない、なにか。 「川……」 「は?」 「さっきの子、川に落ちた。多分近くの……」  全部を言い終わる前にヤンが踵を返す。彼の後について雪を蹴立てて走ると、それほど経たずに川が見えた。  大河というほどではない。が、簡単に飛び越えられるほど川幅は狭くない。その川の中ほどに赤い色が見えた。浮きつ沈みつしながら下流へと押し流されていく。 「マリー!」  隣でヤンが外套を手早く脱ぎ捨て、流れへと分け入っていこうとする。その彼の腕をシリルはとっさに掴んで引き止めた。 「行ったらあんたも溺れ死ぬ」 「だからって見殺しにできるか! くそが!」  これまでも何度か言われた、くそが、の中でもっとも重い、くそが、にわずかに怯んだ。その間に彼はシリルの手を振り払う。 「マリー、今行くから!」 「ちょっと!」  ――可哀想に。  ――でも仕方ないよ。陛下を殺そうとしたんじゃ……。  唐突に蘇ってきたのは、炎に焼かれたアリスを囲む無数の群衆の顔だった。見るばかりで助けない、無責任で愚鈍なそれに吐き気がこみ上げてきて、シリルは片手で口許を覆う。 「う……」   ……今、俺はどんな顔をしているのだろう。あのときアリスを取り囲んでいた奴らと同じ顔をしていないだろうか。  もしそうなら、自分で自分が許せない。 「下がれ」  今まさに川へと飛び込もうとしているヤンの上衣の裾を引っ掴むと、射殺しそう目で睨まれた。 「放せ! この……!」 「下がれってば! ぽんこつ魔術師!」  体が大きいから本気で暴れられたらこれ以上引き止められない。でも今、こんなところでもたもたしている時間はない。 「助けたいなら引けって言ってんの! くそが!」

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