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第32話 ……散れ。

 その日から時々、ヤンは魔術のコツを教えてくれるようになった。 「呪うにせよ、言うことを聞かせるにせよ、基本は同じ。ようは押さえつける。逃げ場をなくす。だから俺は箱をイメージしてる。光を通さない金属でできた箱を対象にかぶせる感じ」  ヤンの教え方は的確で彼からの助言を受けるたびに、魔術書で書かれたことが自分の体にしっかりと根づいていくのがわかった。  術書に書かれていた陣も闇魔術特有の癖さえ掴めば覚えるのは実にたやすく、独学で学んでいたときとは比べ物にならないほど、記憶できるようになっていった。  けれどそうして闇魔術のなんたるかが身に着いていくにつれ、ヤンが闇魔術を疎ましく思う理由も理解できるようになっていった。  きっかけは……術を使って動物の命を奪ったことだった。 「薪がないから、また一緒に拾ってくれるか」  その日、シリルはヤンに乞われ、しぶしぶ山を歩いていた。辺り一帯雪深く、一歩進むごとに足が雪へとめり込んだ。ただ、数日前に外に出たときよりも頬を撫でる風が和らいでいるようにも感じられた。  春がもう、近いのかもしれなかった。 「春、か」  王都にいたときは常に季節に心を傾けていた。光魔術は自然の力を借り、人々を助ける魔術ゆえ、季節の移ろいはなにより重要視されるからだ。しかしここ数か月、そんなことに気を配る余裕などなかった。  そのことにわずかに寂しさも覚えたが、過ぎった思いをシリルは慌てて頭から遠ざける。  感傷に浸っている時間などないのだ。自分は一日も早く、闇魔術を会得して目的を果たさなければならない。  妹を蘇らせ、妹を虐げた者を皆殺しにする。それだけのために生きているのだから。  命じられるままに術を使うばかりだった自分がやっと見つけた、やりたいこと、を完遂せねば。  ――誰かを殺すためでもなく、国を滅ぼすためでもなく、ただ、妹に会うためって言うならお前に協力する。古術を使えるようにしてやる。  ただ、頭の中から消えてくれないあの日のヤンとの約束が、覚悟を揺らがせてもいた。  嘘なんてどうってことない。あんな言葉、忘れてしまえばいい。でも、どうしても考えてしまう。  人を術によって殺めてしまった彼の気持ちを。 「忘れなきゃ」  考えたら前に進めなくなる。今から自分がしようとしていることを思えば、絶対に引きずられてはならない。  なのに、思えば思うほど、惑ってしまう。弱すぎる自分が腹立たしくて、握った拳で胸を叩く。深い息を吐き、足元に落ちていた小枝に手を伸ばしたときだった。  背後でなにかが動く気配がした。ぎゅうう、と雪が不穏に軋む。  はっと振り返ったときには遅かった。体格差にして二倍はありそうな熊が、こちらに向かってまっしぐらに突進してくるところだった。  冬眠から目覚めるにはまだ早い。けれど、人の気配がしたために刺激してしまったのか。  考えている間にも真っ黒な巨体はこちらへと覆いかぶさってくる。  このままだと、殺される。  ぴりりとした恐怖にさらされた体の奥で、なにかが首をもたげるのがわかった。定められたことのように手が動く。指を組み、脳内に陣を描く。  ――散れ。  思念が空気を裂くや否や、怒りに燃えて振り上げられた獣の前足がぴたり、と空中で止まった。次に襲いかかってきたのは、熱い雫。  真っ黒な巨体が赤い肉片となって四散していた。生臭い体液がびしゃり、と頬に飛び散る。それを拭うこともできぬまま、シリルは雪の上にへたりこんだ。  揺れる瞳で必死に捉える。死体、なんて言葉で軽く言えないほどにばらばらに引き裂かれた、生き物のおしまいの姿を。  流れ出た体液と内臓のすえた臭いと、雪の白を完全に染め変え浸食していく赤が、シリルの体に絡みつく。  黒を抱く赤……命そのものの色だ、と白い世界に包まれてぼんやりと思った。 「おい! 大丈夫か、おい!」

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