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第33話 「お願い、優しく、しないで」
……どれほどの時間、そうしていただろう。肩を揺さぶられ我に返ると、目の前にヤンがいた。寒さと驚きのせいなのか、こちらを覗き込む彼の顔は青かった。
「体、なんともないか」
ゆるゆると頷くと、彼は目に見えてほっとした顔をしてから、視線を背後に広がる血だまりに向けた。
「俺が、殺した」
痛ましそうに目が細められる。それを見上げる自分の口から漏れたのは……ひどい掠れ声だった。
ヤンの視線がこちらに戻ってくる。その彼の腕をシリルは掴む。彼の腕にすがる手が震えているのがはっきりとわかったが、どうしても止めることができなかった。
「術を、使った。そうしないと殺されると、思った、から。でも……でもっ」
でも、と言ったきり言葉が出なくなった。そのシリルの背中をヤンがさする。
これからもっともっと罪を犯すつもりなのに、声を出せなくなるほど震えてしまうなんて情けない。でもそれ以上に心を抉ったのは、今、自分が使えるようになった術の重さだった。
「殺す、つもりだった。なのに」
「うん」
短く返事がある。彼の手が脇の下に回り、雪の上から引き起こされる。されるがままになりながら、シリルはヤンの腕を握った手に力を込める。
「怖い……わかってたのに、怖い。だめなのに、怖いなんて、だめ、なのに」
子ども時代のヤンの後悔を自分は聞いていた。理解もしていた。でも実際に手を血で汚すことで初めて……わかった気がした。
自分が始めたことは、重すぎる命を背負う覚悟を伴うものだ、と。
どうしよう。震えが止まらない。そのシリルの肩がぐっと抱き寄せられた。
「それでいいんだよ。間違ってない。怖くていいんだ」
耳元で宥めてくる声。低く優しい声に反発するように必死に首を振る自分を、胸に抱え込むようにしてヤンが抱きしめる。そうされればされるほど、首を振れなくなる。腕の温もりに溶かされ、徐々に体の強張りも解けていく。
しがみつきたくてゆるゆると腕を伸ばす。広い背中に手を這わせようとしたとき、耳の奥で声がした。
――おにいちゃん、たすけて。
「シリル?」
……だめだ。
我に返り、必死になって彼の胸を押し返した。雪の上に立ち、ふらつきながら歩を進める。けれど手はまだ伸びてくる。それをシリルは勢いよく振り払った。
「触らないで」
「シリル?」
声が呼ぶ。でも振り向かなかった。だって、この腕は毒だから。
そばにあったら確実にすがってしまう。心に抱いた覚悟がこの腕に吸い取られてしまう。命の重さに負けてしまう。
山奥で偶然出くわした村人の子どもだって、いいや、目の前のこの男でさえも無慈悲に葬りされるくらいに冷酷でなければならないのに。そうでなければ、アリスに顔向けできないのに。このままだったら、全部無駄になる。
「お願い、優しく、しないで」
以来、ヤンから距離を置くよう努めた。極力、触れ合わないように注意した。本当ならここから出ていきたいほどだったが、まだ術のすべてを記憶できていないことを理由に滞在し続けた。
言い訳をする必要なんてないのに、心の内で、仕方ないのだ、と何度も唱えながら過ごすシリルの気持ちを知ってか知らずか、ヤンはやっぱりなにも言わず、食事を作り、笑いかけてくる。
「シリル。飯だから」
今日も地下室の扉が外から遠慮なく開かれる。いつも通りすぎて……たまらなかった。
でもいらないとも言えない。彼の作った温かいスープは心を弱くするのに、どうしてか求めてしまう。
もう、苦しい。そう感じ始めた矢先。
「お前にこれ、渡すから」
テーブルの上を滑らせるようにすっと差し出されたのは、黄ばんだ一枚の紙だった。
「なに?」
向かい側に座ったヤンはなにも言わない。うっすらと笑みを浮かべた彼の顔を窺ってからそろそろと紙に手を伸ばす。そうっと開いてみて……声を失った。
見たことはない。でもわかる。
これは、これまで自分が覚えてきた術とはけた外れの力が必要になる術の……陣。
「こ、れ」
「死者を蘇生させる術の陣」
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