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第40話 大丈夫
わずかに呼吸が乱れた。
愛している、なんて、そんな関係じゃ断じてない。自分達の間にあったのは、いや、少なくとも自分の側にあった感情は愛なんかじゃなかった。ああ、絶対に違ったはずなのだ。
でも、今は……違うと言い切れない。
誰のことも許せなかった。今だってこの国なんて滅ぼしてやりたいと思っている。妹を救わなかった世界に意味なんてないと信じているし、王都など灰も残さず燃やし尽くしてしまいたい気持ちに偽りはない。
それほどに心はまだ復讐に焦がれているというのに、この体は覚えてしまっている。
彼の作った少し薄味のスープの味を。
飯だぞ、と面倒臭そうながらも毎回律義にかけられる声を。
大丈夫、と低い声で囁きながら包んでくれた肌の温かさを。
いらなかったのだ。優しさなんて。邪魔だったのだ。だから感じないようにしていた。心に触れるものがあっても、そんなもの全部丸めて見えない場所へと追いやろうと必死で。
なのに、無理だった。全部全部が心の奥へ降り積もってしまっている。いらないのに。目障りでしかないのに。
――俺はシリルを愛している。
直接耳にしたわけでもないその言葉が、繰り返し繰り返し心を抉る。
本当に馬鹿じゃなかろうか。あいつは。自分の身も顧みず、偽りの愛の言葉でただの居候を助けようとするなんて、どうかしているとしか思えない。ヤンを知る前の自分なら、これ幸いと利用していただろう。そうすることで義務を果たせるのなら。
でもそんなことはもう、できない。だって、もう、戻れない。
あいつを知らなかった頃にはもう。
「……愛?」
体の奥からもっとも低く、粘ついた声をあえて絞り出し、シリルは唇の端を歪めてみせる。
「薄汚い闇魔術師 を愛するなんてあるわけないだろ。利用しただけ。おめでたくて笑える」
数秒、水を打ったように静まった。が、ややあって広間中を揺るがしたのは、怒りと呪詛のどよめきだった。
「黙れ! この外道が!」
「殺せ! 今すぐ殺せ!」
「殺せぇ!」
「……わかった」
苦虫を噛み潰したというのはこういう顔をいうのかもしれない。奇妙に落ち着いた心持ちで長の顔を観察していると、両側から腕を掴まれ体を引き起こされた。
壇上から放たれた長の声には、もう一切の感情がなかった。
「明朝、シリル・ド・レイ、お前の処刑を決行する。彼を牢へ」
肩に、頭に、小石がぶつかる。明確な悪意にさらされながら思い出したのはアリスの顔だった。
アリスが処刑台へと引き立てられていったときも、こんな気分だったのだろうか。
少し考えてシリルは首を振る。
アリスはあのとき、絶望していた。でも今、胸の内を探ってみても、そこに絶望はない。あるのは……安堵。
石つぶてが頬を掠める。ぴっと細く切れ、血が滲むがわかったけれど、シリルは思わず微笑んでしまった。
同胞。仲間。
彼らの声の中に確かに混ざっていた単語。それがあるなら問題ない。悪魔に騙された可哀想な同胞を彼らは殺しまではしないだろう。
だから、よかった。
ヤンだけはきっと、大丈夫だ。
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