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第51話 「どのみち俺はもとに戻れない」
だが、不意に耳元で告げられた名前によってその朝の光さえも霞んだ気がした。振り仰ぐと同時に、シリルの背中を抱きしめたままでいたヤンの腕からふっと力が抜かれた。
「その人、じいちゃんとやり取りがあったから。お前もその顔だと知ってる人だよな。お前が俺のところに来られたのもその人経由ってこと?」
「そうだけど、やり取りって……」
「やっぱりそうか」
体に回されていた腕がするっと解ける。暖炉の前へと戻った彼は、薪を組み直し、火を起こしてから短い吐息とともに言った。
「黒い仕事ってやつをじいちゃんがしてたことは話したよな」
「それは、うん」
「ジェラールってのはさ、その黒い仕事の客だった。じいちゃんはその人のために毒薬を作る術を使ってたんだ」
「ちょっと、待って」
――私は、やってない! 陛下に毒を盛ろうとなんて、して、ない!
アリスが処刑された後、状況を詳しく調べた。宮廷で働く侍女は基本的に住み込みであり、持ち込む荷物も徹底的に確認される。外部とのやり取りにも必ず厳しい検閲が入る。つまりアリスが毒を手に入れることは物理的に不可能なはずなのだ。
しかし……もしも、もしも、そこに魔術が介入していたのだとしたら?
魔術によってアリスの部屋に毒が仕込まれたのだとしたら。
ジェラールには魔術が使える。もちろん、光魔術師(リゼル)であるジェラールが自分の私利私欲のために術を使えば、反動は容赦なく彼本人に返ってくる。しかも人を死に至らしめる目的であったなら彼が今生きているのはおかしい。でもそこに闇魔術師(オブスキュリティ)の協力があったとしたら?
いや、でも……。
「あり得ない。ジェラールは確かに現王に否定的ではあったけれど、俺もアリスもあの人には可愛がられてきたんだから」
とはいえ、じゃあなぜ彼は毒など頼んだのだろう。確かにジェラールには得体の知れなさがあったけれど、だからといって。ぐるぐるしていると、腕がついと引かれる。身構える間もなく体が傾き、やすやすと抱き留められてしまう。
「行こう。ジェラールって人のところに」
「行く?」
「妹さんも言ってただろ。三月九日に来て蘇らせてって」
「なんで……」
……なんであなたがそんなことを言うの?
そんなこと、できるわけないのに。なんで。
「魔術はもう使わない。これ以上やったらあんたの体がもたない」
「どのみち俺は元に戻れない」
楽しげにさえ聞こえる声で言い切られ、ずきっと胸が痛む音がはっきりと聞こえた。確かにそうかもしれない。魔術によって受けた障りは魔術では癒せないのが理だから。でもだからといって諦めたくなんてない。
「やってみないとそんなのわからない」
「やめな。お前が術を使えば俺に反動がくる。逆効果になってお前が落ち込むとこは見たくないよ」
袖を上げ、鱗に触れようとするシリルの手をヤンはするっと外す。その凪いだ表情に苛立って彼の腕をきつく掴んだとき、俺はね、とヤンが穏やかに言った。
「妹さんを蘇らせるところ、見せてほしいんだよ」
「は? なんで。そんなことしたらあんた」
言いかけたシリルの外套の中にするっと手が入れられる。彼の手は懐に仕込んでいた短剣を正確に掴み出していた。
「これで王を殺して敵討ちってことにするつもりだった? 無理だよ。お前が殺されて終わり。わかってるだろ?」
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