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第64話 アリス

 目の前で凝縮された光の陣が彼を包む。巨大な光球は眩い光を放った後、轟音とともに弾けた。  ごおおおっと巻き起こる突風とともに蒼穹へと駆けあがっていくのは、銀色の軌跡。  連なる鈍色の鱗を陽光にきらめかせ、白銀の鬣(たてがみ)をその背に流した巨大な竜が青空を切り裂くように駆けていく。  大きなその目が一瞬だけこちらを見た気がしたけれど、それはシリルの願望だったのかもしれない。 「綺麗な竜」  地面に崩れ落ちたまま、呆然と彼を見送っていたシリルの横で、声がした。  ぴしり、ぴしりと不快な音を立てながら崩れ落ちていく広間に立ちながら空を仰いでいた、アリスの声だった。 「これできっと、大丈夫」 「だいじょう、ぶ……?」  苛立ちと後悔と……やるせなさに胸を塞がれながらシリルは妹を見上げる。 「本当に……?」 「うん。それが決められた未来だから」  迷いない声で言う。決められた未来。妹の言葉に瞬間激しい憤りを覚えた。 「そんな簡単に言い切られていいものじゃない。俺達がどんな思いで……!」  きっと妹を睨み上げ……そこでシリルは固まった。 「私の役目も、これで、終わり」  降ってきた声は確かに凍っていた。でも、表情は違った。  真一文字に結ばれた唇。くしゃりと崩れた頬。ひくつく度に押し出されるように赤い瞳を濡らして零れ出してくる、涙。  子どものころそのままの泣き顔のアリスがそこにいた。 「アリス」  地面は今も揺れ続けている。激しい揺れで立ち上がることも容易じゃない。でも手を伸ばした。伸ばさずにいられなかった。 「おいで、アリス」  アリスの顔が一層涙に沈んだ。ぐしゃぐしゃの顔をした妹が腕の中へ飛び込んでくる。  腕を広げても抱きしめる体はない。でもほのかに温もりを感じた。そのわずかな熱を必死に抱え込んだ。 「お兄ちゃん、ごめん、お兄ちゃん、ごめんなさい、ごめん……」  ……正直、アリスの決断を手放しで認めることなんてできない。だってアリスのせいでヤンは消えてしまうのだから。  でも、それでも、アリスがこの道を選んだ理由だってシリルには理解できてしまう。  ヤンと出会って、理解できるようになってしまった。  だからもう責められない。 「頑張ったな。アリス」  必死に言葉を紡ぐとアリスが激しく頭を振った。その妹の髪をそうっと撫でる。触れられないけれど、確かに触れた気がした。ふうっとアリスが顔を上げる。こちらを見つめる瞳はやっぱり自分と同じ紅で……まぎれもなく自分の妹のものだった。教皇なんて遠い人間のものじゃなかった。 「本当に、よく頑張った」 「馬鹿……お人好し」  掠れた声で妹が言う。その姿が徐々に透明になっていくのがわかり、繋ぎとめようと腕に力を込める。けれどできない。焦る間にも陽光に輪郭が解けていく。アリス、と呼びかけるそのシリルの声に、お兄ちゃん、と言うアリスの声が重なった。 「幸せでいてね」  声とともに妹の体が粒子となって散った。あっけなく消えうせた妹の体を、いまだ揺れ続ける地面の上で抱きしめる。  そこにはもう、温もりはなかった。  妹を抱いていた手が力をなくす。ゆらりと腕とともに視線を下げ、そこに血の染みがあることに気づいた。ぎこちなくそれに手を伸ばす。 血に見えたのは、アリスが幼いころから耳に着けていた紅玉の耳飾りだった。自分達を捨てた親のものであり、自分の右耳にあるものと対になったそれだけが、アリスの消えた場所に忘れ去られたように転がっていた。  きゅっと握り締めると……ほのかにまだ熱が残っていた。  ――幸せでいてね。

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