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第68話 癒しの天使

 だから、顔を上げ、叫ぶ。叫び続ける。 「約束するから。誰も死なせないから。だからお願い。逃げて」  それでもまだ、囁きかわす声がある。どうしたら信じてもらえるのだろう。歯がゆくて握った右手の拳を胸にめり込ませたそのときだった。  あの、と遠慮がちな声が上がった。 「この人は信じられるよ」  見れば、先程瓦礫の下から助け出した男性だった。子どもに肩を支えられよろめきながら人垣の間から進み出てきた彼は、シリルを見つめて小さく頷いた。 「俺のことを、助けて、くれた。他にも助けられた人いるだろう」  男性にゆったりと見渡され、集まった人々はてんでに顔を見合わせ始める。しばらく不穏な囁きが交わされていたが、そんな中、初老の女性が声を上げた。 「私も、さっき息子の怪我を治してもらった」 「わしも」 「私もさっき、お父さんを助け出してもらった」  賛同の声がじわじわと広がり始める。自分を囲む人々の顔をシリルは呆然と見回し、握っていた拳をゆるりと解く。掌に滲んだ血がまっすぐな日の光に霞んで見えた。  群衆の目から徐々に消えていく敵意の色が信じられなかった。信じてほしかったのに、高まる声が現実のものとは思えなかった。  だってそうだろう? アリスに石を投げたのもまた、この街の人間で……。  たまらず、瞼を押さえる。そのとき、腰にぱふん、となにかがぶつかった。はっとして視線を落とすと、腰の辺りに少女の顔があった。細い腕でシリルの体にしがみついている。あの、と言いかけたところで、少女の顔が上がる。  たんぽぽみたいな笑顔がふわっと咲いた。 「おにいちゃん、助けてくれて、ありがとう」 「ううん、ううん……」  落ちる涙を振り切る勢いで激しく首を振る。遠く、彼の声が聞こえる。その声に背中を押されるようにしてシリルは少女の体を抱きしめた。  人殺し、と妹に石を投げた民衆。でも……もしかしたら決めつけて心で石を投げていたのは、自分だったのかもしれない。 「ありがとうはこっち。ありがとう。信じてくれてありがとう」  少女は怪訝そうにしている。止まらない涙を手の甲で押さえ、泣き笑いしたとき、低い地鳴りが響いた。津波だ、と悲鳴が上がる。  建物と建物の間から海へと目を向ける。巨大な生物の背のように海全体が盛り上がり、こちらへ向かって白い牙を剥きだすのが見えた。 「お兄ちゃん……」  少女がきゅっとシリルの外套を掴む。その彼女のそばにしゃがみこみ、シリルは彼女の頭を撫でた。 「きっと俺達が守るから。みんなと逃げてね」  不安そうな目をする少女に微笑みかけ、シリルは彼女を皆のほうへと押しやる。少女の父親と思しき男がそっと少女の肩を抱いた。 「お願いします。癒しの天使」  ……その呼び名はやはりくすぐったい。昔も今もなんて恥ずかしい二つ名だろうと思っている。でも今は頷きたかった。  だから天使らしく微笑んで、大波が押し寄せる海岸線へと走った。

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