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番外編 君との生活(sideヤン) 

 恋人と一緒に暮らすのは初めてだ。  まあ、正直な話をするならば、これまで体の関係を持った人はいる。男性ではなく女性だったが。ただそれもお互い割り切った関係としてだ。闇魔術師であり、人を殺めたことさえある自分が、誰かと心を通わせるなんてことが許されると思っていなかったから。  その俺が今、恋人と暮らしているんだもんなあ、わからないものだ、などと思いながら、ヤンは鏡に映った自分を眺める。  左目の緋色の石が窓からの朝陽にきらりと輝く。透き通ったそれは恋人の瞳の色と同じもので、自分の目にはめ込まれたその石を見るたび、つい微笑んでしまう。  この石があるから自分は今、彼を抱きしめられるのだから。  とはいえ、いつまでも幸せに浸ってぽやんとばかりもしていられない。  たらいに溜めた水でさらっと顔を洗い、黒布でできた眼帯を左目に装着する。次いで壁際にかけられたエプロンを身に纏う。木箱の中から里の人からおすそわけされたじゃがいもを取り出し、丁寧に洗う。窯に薪を放り込み、火を起こし鍋で湯を沸かす。  沸騰してきたところに芋を入れ、ふかす。それを取り出してせっせとつぶしていると、がたん、と居間で物音がした。 「おお、起きたか。朝飯、もう少し待ってな。今作るから……」  手を動かしながら言う傍らでふわっと空気が動く。見れば、寝起きでぼさぼさの髪のままのシリルが器を押さえていた左手に手を重ねてくるところだった。 「どうした?」 「……俺も、やる」 「なんで? お前、昨日も村で呼び出されて夜遅かっただろ。もう少し寝てな」  地震発生からすでに半年。王都を離れて腰を落ち着けたのは、以前の住処よりも南に位置するリタ村だった。村からほど近い森の中にヤンの祖父が残した隠れ家があり、そこで新たな生活を始めることにしたのだ。  といっても、この森には家具作りに必要な木材調達に何度も訪れていて、村の人間とも顔見知りだったから、ヤンからしたらまったく未知の土地というわけでもない。だがシリルは違う。馴染めるだろうかと心配していたのだが、そんな気遣いは無用だった。  さすがは癒しの天使というべきか、魔術師としての修業の中で身につけた薬学の知識を活かし、病の治癒を生業にするようになったのだ。  医師のひとりもいなかった村でシリルは大歓迎され、今や昼夜を問わず引っ張りだこだ。 「無理するな。もう少しゆっくり寝ればいい」 「いいから。俺も、やる」  むっつりとした声とともに、手から鉢とすりこ木が奪われた。手際よくつぶすその姿を眺めているうちに、じりりと胸が熱くなってきた。  これはきっとまたあれだ。 「大丈夫、見えてるし、こっちの目もつらくない。お前のせいじゃない」  そっと横から声をかけるが、唇がきゅっと噛みしめられる。納得していないのだろう。  王都を離れて以来、シリルはずっとこんな調子だ。ヤンが左目を失ったことを自分のせいだと思い込んでいる。だが、ヤンからしたらお門違いもいいところではある。  片目がないからなんだというのか。確かに距離が測りにくかったり、右目が疲れやすくなったりはするようになった。けれどそんなもの、今回のことがなかったとしても人生のどこかのタイミングで起こっていたことかもしれない。  そんなことより重要なものをヤンはシリルからもらっている。  エドガーを殺してしまった過去は消えない。それでも、自分の血を、シリルがいてくれることでヤンは自分に許せた。存在を認められた。  それを何度も言うのに、シリルは自身を責めることをやめない。  頑固にも程がある。  今日はどう言ってやろうか。迷っていてふと思いついた。 「シリル」 「なに」  ぐにぐにと芋をつぶす。一生懸命な手の動きに笑みを誘われながらヤンはそっとシリルの顔を覗き込む。 「旅行、しようか」 「は……?」  意表を突かれた顔が上げられる。この、こいつなに言ってんの、と言いたげな仏頂面は知り合ったころによく見せた表情だ。あの当時は、可愛い顔してんだからもうちょっと愛想よくしろや、くらいに思っていたが、改めて見るとこの表情が存外自分は好きかもしれない。癒しの天使としてのよそゆきではない、シリル本来の表情に他ならないのだから。 「俺ね、お前と王都まで行くの、実はすごく楽しかったんだよ」 「そんなの……あんた、体痛かったくせに」  ぱっと視線を逸らしたシリルがぼそぼそと言う。白い頬をほんのり染めながら。その顔もまた、偽りがないもの。自分の前でだけ素でいてくれる彼が愛おしくてたまらない。 「まあ。でも一緒に馬乗って、景色見て、その道中がすごく幸せだった。永遠に一緒に歩いていたかった。この時間が続けられるなら、痛みなんていくらでも引き受けたいって思ってた」  皮膚を侵食していく銀色の鱗。広がれば広がるほど、お前はもう人として終わりなのだと、すべてを諦めろといわんばかりに肌を焼く痛み。  何度も何度も意識を手放しそうになった。痛みに屈服して、心を明け渡してしまっていれば、あそこまで苦しくはなかったかもしれない。  でも、痛みで顔が歪んでしまいそうになりながらも、歩いていたかった。  シリルとともに時間を重ねたかった。少しでも長く。 「俺はさ、あのときだって幸せだったけど、お前は違っただろ。ずっと俺のこと心配して苦しそうで。まあ、どんな顔のお前だって俺は可愛いって思うけど、やっぱりさ、笑顔で隣にいてほしいから。俺が楽しんで見てた景色、今度はお前にも楽しんでもらいたいから」  だからさ、とそうっとシリルの肩を抱き寄せる。 「旅行、しよう。どう?」  シリルの手が止まった。顔を伏せるその彼の肩がわずかに震える。  ああ、まずい、泣かせたかも、と思ったとき、つっとシリルが顔を上げた。  よかった、泣いてはいないようだ、とほっとするヤンに、シリルはそろそろと言う。 「じゃあ、あの、行きたいとこ、ある」 「どこ?」  耳元に声を落とす。すると、シリルがくっと唇を噛んだ。 「どこでもいいよ。一緒に行こ?」  腕を伸ばしシリルの肩を抱く。そのヤンの腕の中ですうっとシリルが首を巡らせる。静かな光を湛えた瞳がヤンを見据えた。 「あの、ね」

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