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番外編 君との旅 (sideヤン)

 シリルが行きたいと言った場所に赴くことには躊躇いがあった。ただ……止めることはできなかった。  同じ痛みを自分だってずっと抱えていたから。  ラジド山脈。フィラードの北側を守るその山並みを臨める草原に立ち、シリルは銀色の髪を風にそよがせる。  彼の彼の手にあるのは、鎮魂の意味を持つ、シロツメクサの花束。  山の稜線に夕日がゆっくりと沈んでいく。その様子を見つめるシリルの目が、オレンジ色の光にきらりと光る。 「こんなの、自己満足なんだよね」  呟きながらシリルはそっと地面に膝を突く。花束を大地に置く、その手は震えていた。 「どれだけ謝ったところで、俺が魔術で人を殺したことに変わりはない。言い訳なんてできない」  目の前に広がる山々。それを眺めながらヤンは唇を噛む。  あれは自分の故郷。今もなお、自らの血に囚われ、光の世界を憎み続ける者達の住まう場所。  そこを逃げ出すとき、シリルがひとりの男を殺してしまったことを聞いたのは、すべてが終わってからだ。大勢の命を救い、光魔術師としての自分を肯定できるようになりながらも、シリルは心に大きな傷を負ってしまった。  とはいえ、シリルに闇の刻印を渡すため体を繋いだこと、そのことを後悔はしていない。ああすることでシリルを助けられると思ったし、事実、そうしたことで大勢の人の命は守られた。  けれど、一方でその自分の選択が、シリルに自分と同じ十字架を背負わせる結果に繋がってしまったことを思うと、ヤンは自分をこそ殺したくなる。  今も憎しみに囚われているあの場所へ赴くことは決して許せないし、させたくないけれど、こうして遠くからでも詫びたいと願うようなまっすぐな彼に心底すまないと思う。 「もう、行かないか? そろそろ夜になる」  放っておくと一晩中でも立ち尽くしてしまいそうな細い背中をヤンはそうっと後ろから抱きしめる。 「うん……」  頷いてヤンの胸にもたれながらもシリルの目はまだ山影を見ている。その目をこちらに向けたくて、彼の体を抱きしめる腕に力を込める。 「俺、あそこに戻ったらまた殺されそうだし、そろそろここ、離れたいよ」  ふざけた声でそう言う。自分の身体に絡むヤンの腕に、そっとシリルが手を触れるのがわかった。 「殺させない。ヤンのことは俺が絶対守る」 「おお。頼もしい。さすが癒しの天使」  耳元で呼んでやると、シリルがちょっとむっとしたのがわかった。この呼び名はやはり嫌いなようだ。 「ヤンってさ、人をいらっとさせる天才だよね」 「あー、どうだろ。でもいらっとしたお前の顔見るのは結構好き」  言いざま、ちゅっと音を立てて頬に口づける。とたん、ぱっと白い頬が赤くなった。 「なんでこんなことしてくんの!」 「誰もいないって。見ろよ。この草の海。もうすぐ夜だし、誰も来ないよ」 「そ、そうだけど! そうじゃなくて! 今はちゃんと……」 「うん、わかるよ。わかるけど、そういうお前見るの、俺はしんどいから」  ああ、ずるい言い方をしている。そう感じたけれど止められなかった。 「だから、もう行こう。これは俺のわがままだから。お前はしぶしぶ従ってくれればいい。悪いのは全部俺だから俺のせいにしな」  言いながら腕を解く。ぽん、とシリルの肩を叩き、馬の元へと歩み寄ろうとしたとき、たた、と背中で足音がした。 「手、放さないでよ」  とん、と背中に温かい体がぶつかる。  どきどきするこちらの気持ちを無視した細い腕によって背中が柔らかく締め付けられた。 「行くなら、天国でも地獄でもヤンとがいい。ひとりでなんでもかぶろうとされるの、もう、やだ」 「……お前ねえ」  どうしよう。こんなことを言われたら平静でいられない。  深く息を吐き、ヤンはシリルの手をそうっと掴んで体から外す。 「放さないよ」  低く言い、くいと手を引いて大股で歩き出した。 「行こう。今夜は新月だ。夜になると移動が大変だから」  強引に手を引っ張ると、シリルは、ん、と短く頷いた。握り締めた手が逆にきゅっと握り返されて心臓がどくんと鳴く。  もともと癒しの天使には憧れのような気持ちを持っていた。三年前に王都で怪我をしたとき、王宮から派遣され飛んできた彼はとても美しく、気高く、そして慈悲深くてそれこそ天使のような清廉さで傷を癒してくれたから。  こんな人がこの世界にいるのかと驚きを隠せなかった。  しかし、再会してからの彼にヤンが抱く感情はあのころの憧れとは明らかに違う。もっと熱く、もっとねっとりとして、独占欲に満ちたものだ。  正直、考えもしなかった。その温もりを、ふとしたときに見せる弱さを、そしてなにより、万人に向けるのとは明らかに違う、情愛の籠った彼の眼差しを受け止めるたび、こんなにも心も体も疼くようになるなんて。  しかもそんなヤンの心を知ってか知らずか、シリルはいつだって無自覚に体に触れてくる。  まあ、そんなところはやっぱり天使なのかもしれない。  鳴り響く心音に苦笑いしながら、ヤンは手の中の手を今一度きゅっと握り締めて足を早めた。

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