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番外編 君との夜-1(sideヤン)

 今夜の宿にと思っていた場所には、太陽が完全に没する前に辿り着くことができた。 「あんたのじいさんってどんだけ隠れ家作ってるの」  あばら家ではあるが、ここにも一通り生活できるものが揃ってはいる。入れよ、とドアを開けてやると、シリルが呆れたような声を上げた。 「うーん、百か所くらいはあるんじゃないか。数えてないからわからんけど」  のんびりと返しながら暖炉に火を入れる。長らくほったらかしにしていたから薪が湿っていて火が点かないかもと心配していたが、ほどなくしてぱちぱちと薪が弾け始めた。  ほっとしながら、鍋に湯を沸かす。  この茶葉はシリルが好きなものだ。案の定、ふんわりと漂い始めた香りにシリルの目がふわっと和むのがわかり、ヤンはひっそりと唇を綻ばせる。 「ここじゃ料理ちゃんとできないし、こんなんで勘弁な」  言いながら、荷物の中からパンと干した肉を出すと、シリルはうっすらと笑って首を振った。 「いい。ここいらじゃ宿なんてあるわけないのわかってたし。連れてきてくれただけで十分」  細い手がそうっと伸びてパンを取り、小さく千切る。  ゆっくりと口元にパンが運ばれる。赤い舌が開いた口からちらっと覗いた。その赤に目を吸い寄せられている間に、シリルはゆっくりとパンを咀嚼する。 「美味しい」  ややあって、こくん、と細い喉が動く。ほんのりと笑った、そのシリルの唇が淡い火影にしっとりと光りながら動いた瞬間、思わず体が動いてしまった。  腕を伸ばしてシリルの肩を抱き寄せる。見上げてくるシリルの顔は清らかだ。それこそ天使そのままに。 それを見ると……無性に穢したくなるのはなぜだろう。 「食べないの?」  無邪気に問い返してくる。その彼を片腕で抱き寄せながら、ヤンは苦笑いした。 「食べる。けど、まずいなあと思ってる」 「パン? 確かにちょっと硬いけど、バターきいてて美味いって」 「じゃなくて」  シリルはヤンより二つ年下で二十歳だ。もう十分に大人といえる歳だし、宮廷魔術師として立派に仕事もしていた。にもかかわらず、ときどきひどく幼い。  こんな距離で、こちらの心音を感じて、それでも気付かないのはさすがにどうかと思う。 「今さ、パンよりほしいものあって。まずいなあと思ってるんだけど。どうしたらいい?」  だから、わからせたくて、欲情の滲んだ声で囁いてやる。  無言で瞳を見交わしてしばらく経ったところで、ようやく理解したらしい。シリルの白皙がみるみる赤くなった。 「そ、そ、そんなこと言わずに食べなよ! 一日移動して疲れてる、だろ」 「んー。疲れているといえばそう。俺お前より歳食ってるし。でもめちゃくちゃ今」  きゅっと腕の中の彼の肩を胸元に引き寄せてやると、シリルが小さく息を呑んだ。その彼の耳元にヤンは過たず声を落とす。 「お前のこと、抱きたい。お前は、どう?」  ふるふるとシリルの睫毛が揺れる。迷うような、恥じらうようなそんな顔。  王都での一件があってから、シリルとは恋人同士となった。体も……重ねるようになった。  でも、そのたびに驚くことがある。  それは、いつになってもシリルが恥じらうこと。  最初の一度は儀式のために必要だった。だからお互い余計な感情が混ざらないように交わった。彼は憧れの人だったこともあって、ヤンとしてはなにも感じるなと言われても難しかったが、気持ちを押し殺してその細い体を抱いた。  異形化が始まったころに体を交わしたときは、むしろシリルのほうが積極的だった。そのことにずいぶん驚かされたけれど、こちらを想う心が彼の態度の端々から感じられ、うれしくて、涙を止められなかった。  今はもうこの行為の間に義務も痛みもない。ただ互いを求める心だけがある。隠さず全部を見せ合った状態ともいえるわけだが、何度体を重ねても彼は必ず恥じらう。嫌がっているとか、そういうことではない。悦んでいることは触れ合えばわかる。ただ誘いかけるたびに赤くなって小さくなる。  その姿がすごくそそるということを知っていてやっているのだろうか? と疑いたくなるくらいに。  ただ、シリルにそんな計算や、フリができるわけがない。  つまりこれがこいつの素。そしてこの素がたまらなく好きで、もっともっと恥ずかしがらせたくて、ヤンはいつも意地悪い言葉を囁きかけてしまう。 「抱いてほしくない? なあ、言ってよ」 「そ、そ、そんなの、いわ、言わなくても……」  わたわたとしたシリルの耳の後ろにそうっと鼻先を押し込む。さらっと舌で舐め上げたところで、シリルの体から力が抜けた。 「ちょ! 待って、あの……汗、かいてる、けど」 「いいよ。お前の匂い、嗅ぎたいし」 「変態!」 「誉め言葉、ありがと」  低く耳朶に絡めるように声を落とすと、シリルがたまりかねたようにきゅっと胸元にすがってきた。 「俺、も、ヤンの匂い、好き、だよ」  たどたどしく言われた、そこまでが限界だった。  強い力で引き寄せて赤く色づく唇を貪る。ほんのりバターの香りのするそれに繰り返し口づけを落とすと、戸惑っていたシリルの唇が解けるのがわかった。  また変態と言われそうだけれど、ヤンはこの瞬間がとても好きだ。  恥じらって、赤くなって。なのに、触れ合ううちにふわっとシリルの輪郭が揺らぐ。体と体で隔たれているはずなのに、こちらに浸潤するみたいに体を差し出してくれるこの瞬間が。 「あっちでしよっか」  目線で寝台を指すとシリルがますます赤くなった。でも嫌とは言わない。清らかなのに情欲が滲んだ瞳で俺を見上げ、そっと体重を預けてくる。甘い重みにくすぐったさを覚えながらヤンはシリルの肩に腕を回したまま立ち上がった。  狭い小屋の中、移動にはどれほどもかからない。でもその数歩さえ惜しむようにヤンはシリルの唇をひっきりなしに貪った。かすかな呼吸さえ許さぬといわんばかりに唇を穢すヤンの胸をシリルが軽く拳で叩く。それでも口づけを止めぬまま、ヤンはシリルの体から衣服をはぎ取っていく。 「ちょっ……もうっ」 「なに?」  ぎしり、と寝台が軋む。すっかり衣服の守りを失った細い体を仰向けに押し倒し、こちらの皮膚の熱さをわからせるようにかき抱くと、シリルが掠れた声で言った。 「くらくらしちゃうからそんな激しく、しないで」

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