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第11話 離陸

 翌日。朝食が終わるとすぐに医者がヘリで到着して、検査がはじまった。  血液検査、脳波検査など、あらゆる数値をチェックされ、最後に医者の診察兼面談を受けることになった。  医者は四十代ぐらいの白髪まじりの茶髪の男で、余計なことを喋ったりはせず、最後に、すべての基準をクリアしたことをオーウェンに伝えると、さっさと帰っていった。  マイクロチップ摘出による後遺症も現時点では確認できないとのことで、オーウェンはほっとした様子だった。 「じゃあ、早速だけどこれからグラノールに向けて出発しよう……と言いたいところなんだけど、ごめん、その前に行くところが一つできてしまったよ。面倒だけど、付き合ってくれる?」 「どこだ?」 「サザンクロシードの本部。僕の上司が、きみに会いたいって」 「上司?」 「作戦総局のトップだよ」 「なるほど。オレに、南側のために戦う意志があるのかどうか確認したいのか」  オーウェンは口元にゆるく笑みを作った。 「きみは本当に賢い」  少ない荷物をまとめ終えたところで、オーウェンが「そこに座って」と鏡台を示してきた。  肩にケープをかけられて、なにが始まるのかとじっと待っていたら、オーウェンはハサミを持ってきた。 「髪の毛、整えてあげるね」  そういえば、ハウンドファングだった頃は、髪型なんて気にしたことがなかった。  改めて見ると鏡の中の自分は、前髪も後ろ髪も伸び気味で、だいぶボサボサな頭をしている。  これでは、オーウェンの隣に並ぶにはあまりにも不釣り合いだ。 「頼む」  オーウェンは器用な手つきで前髪の長さと軽さを調整し、襟足の一部だけ長さを残すと、あとは短めにさっぱりと切り落とした。 「エスはとってもカッコいいんだから、ちゃんとしておいた方が得だよ」  小さい頃もよくそう言い聞かせられていたな、と思い出す。  身なりに関してはわりと無頓着なエスに対し、オーウェンは常に完璧な身なりをしていた。  幼い頃は、それが当たり前だと思っていた。  今ならわかる。オーウェンの完璧さは『そうあるべきだ』と作られた完璧さだと。  美しく完璧な兄の外面の下にはなにが隠されているのだろう。  ふと、興味をそそられた。 「兄さんは誰に髪を切ってもらっているんだ?」 「僕は、美容院でやってもらっているよ」 「オレも兄さんの髪を切ってみたい」 「ふふ、いいよ」  小さい頃は、誰に髪を切ってもらっていたっけ?  思い出そうとしたら、思い出す前にハサミの動きが止まって、手櫛で髪を梳かれる。  切り落とされた灰色の髪が、足元へと落ちていった。 「できた」  頭が軽い。後頭部に手を伸ばしたらだいぶすっきりしていて、妙な気分だった。 「エスは本当に、グレーの髪と紫の瞳の色の調和が美しいね」  鏡越しに弟の顔を眺めながら、オーウェンが呟いた。 「オレの瞳の色を見たやつは、だいたい『気味が悪い』と言う」  今まで、いろんな国の人間を見てきたはずだが、同じ瞳の色をした人間には出会った記憶はない。 「この瞳は、きみが特別であることの証明だよ」  さらりと撫でるようにして前髪を掻き上げながら、オーウェンは囁いた。 「もしかして、オレがグランシャリオに連れて行かれたことと、この瞳の色はなにか関係あるのか?」 「直接的な理由ではないかもしれないけど……昔から、紫とか赤の瞳を生まれ持った人間は、優秀だと聞いたことがあるよ。噂話レベルの話で、きちんとした研究データがあるわけではないけどね」 「へぇ」 「……きみは二歳の時に知能検査で優秀だと認められて、ご両親の了解を得た上でグランシャリオに引き取られてきたと僕は聞いている」 「オレの両親は、死んだわけではなかったのか」  少々意外だった。 「……本当の両親に会いたい?」 「いや、別にいい。二十年近く前に金で売った子供が会いに行っても、怖がらせるだけだろ」  金で売られたとまではオーウェンは口にしなかったが、つまりはそういうことだろうとエスは理解した。 「オレの家族は、兄さんだけでいい」 「……エス」  背後からぎゅっと抱きしめられて、切ったばかりの髪に、白い頬が押し当てられる。 「……兄さんの本物の両親は?」  今なら聞いても許される気がして、おそるおそる問いかけてみた。 「僕はね、難民の孤児だったんだ。親は、気づいた時にはそばにいなかった。多分、どこかで病死したか餓死したんじゃないかな」  他人事のように、オーウェンはさらりと口にした。 「難民……」 「この世界では、よくあることだよ」  昨夜、夢で見た場所のことを思い出した。オーウェンも、もともとはあんなふうな紛争地帯で生まれて、どこか別の国に逃げて生き延びたかもしれないということだろうか。 「……兄さんが生きててよかった」 「そうだね。死ななかったから、可愛い弟もできたことだしね」  目の前に、ハサミが差し出される。 「切って。きみの好きなようにしてよ」  エスはハサミを受け取り、席を兄に譲る。 「……一応先に言っておくが、オレは、刃物で急所を刺すのは得意だが、髪を切る訓練は受けていない」  自分が身につけていたケープの髪を払って兄の肩にかけながら、エスは今さらながら心配になってきた。 「僕だって、そんな訓練は受けていないよ。でも小さい頃から、きみの髪を切る役目はだいたい僕だった。大丈夫。そんなに難しいことじゃないよ。万が一、変になったとしても、文句は言わないから」  やはり小さい頃に髪を切ってくれていたのはオーウェンだったのか。  ハッキリと思い出せずにいたことを告げられ、ある意味ほっとする。 「じゃあ、切るぞ」  いきなり前髪にハサミを入れる勇気はなかったから、襟足にハサミを入れた。  今のオーウェンの髪型もじゅうぶん似合っているが、昔はこんな髪型ではなかったはずだ。  エスの指先は無意識に、昔の記憶をたどっていた。  チャキ、ジョキ、チョキ――……。  髪を切り落とす音が、不規則に響く。  床に落ちていた灰色の髪の上に、金の髪が散らばって、まざりあっていく。  時折、オーウェンはくすぐったそうに唇をわずかに動かしたが、無造作に切り落とされていく髪に文句を言うでもなく、じっとまっすぐ、鏡に映る自分と向かい合っていた。 「悪い。切りすぎたかもしれない」 「いや、最近忙しくて切っていなかったから、ちょうどよかったよ」  後頭部の毛先を触りながら、オーウェンは鏡越しに微笑みかけてくる。 「昔みたいな髪型になった」 「兄さんは、その髪型が一番よく似合う」  思い出に引きずられている自覚はあったが、オーウェンは満足そうだし、そんなに悪い仕上がりではなかったと思う。 「ありがとう。気に入ったよ」  立ち上がったオーウェンは、ケープを外すと、すがすがしい表情でエスと向かい合った。 「それじゃあ行こうか」  移動手段はどうするのかと思っていたら、森の中に隠されていた倉庫から、白い小型のジェット機がでてきた。 「エス、操縦桿を握った経験は?」 「ジェット機はないな。戦闘ヘリの操縦訓練なら受けている」 「戦闘ヘリよりは扱いが簡単なはずだよ。今回は僕が機長席に座るね。操作方法を教えるから、見てて」 「わかった」  フライトスーツに着替えたのはこういう理由か、と納得する。  目覚めてから一週間と少しの時間をすごした静かな森と、湖と洋館の景色を少し名残惜しく思いながら眺めて、最後に、これから乗り込む白い機体を見る。  ふと、子供の頃によく読んでいた絵本を思い出した。  あれは確か、白い鳥の背に乗って虹を目指す兄弟の話だった。  ああそうだ。最後の朝、リュックに入れようとして母に止められた時に掴んでいたのは、あの本だった。  たくさんの大切なものを、あの家に置き去りにしてきた。 「エス」  先に乗り込んだオーウェンが手を差し出してきた。  たくさんのものを失ったけど、一番大切なものはこの手に戻ってきた。  そのことを確かめて、エスは白い機体に乗り込む。  席につくと、すぐに腰と肩のベルトを締め、計器類をチェックした。 「準備はいい?」 「もちろん」  ――あんたが隣にいてくれるなら、どんな場所にだって喜んでついていくよ。  十二年前とは違う。  新しい旅の始まりに、柄にもなく、心が浮き足立つのを感じた。

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