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第19話 潜入任務

 エリックが言っていた『新しい居場所と身分』は、想像していたのよりもずっとまともなものだった。  施設は最先端で機能的で、常に清潔だ。  そこで働く職員は、ほとんどがSAU加盟国から集められた者のようだが、出身国と人種はバラバラで、オーウェンを『難民』と差別する者は一人もいなかった。  施設の一室で勉強を教えられたり、十歳以上年上の者たちにまじって訓練を受けさせられたりした。  エリックの隠れ家の方が居心地がよかったのは確かだけど、サザンクロシードでの生活はやることがたくさんあり、退屈することがなかった。  SAUのために働く、という大義名分はいまいちピンとこなかったが、特に不満もなかった。  いつ死んでもおかしくない難民生活時代に比べれば、ずいぶんと恵まれたものだ。衣食住が保証されているだけずっといい、と思うより他にない。  いまだに生きていることはありがたいと思ったが、命が惜しいとも思っていなかったので、危険な任務に行かされるかもしれないという話を聞いても『ふぅん』としか思わなかった。  人はみんな、いつか死ぬ。その考えに変わりはなかった。  エリック・ゴードンの祖国に行ってみたいか、と問われたのは、九歳になった頃だった。  そんなこと、考えたこともないというのが正直なところだった。  話を詳しく聞くと、北アルリア最大の大国、ルビルリオとの共同作戦でトルネシアに潜入するという話があり、偽装用の家族を用意する必要があったため、トルネシア語が堪能な十歳以下の子供を探しているとのことだった。  潜入先は、トルネシア連邦直轄の研究機関。直接潜入するのは両親役の二人だということだが、かつてエリックが所属していた研究所とも関係があるということで、オーウェンは、自分に声がかかった理由に納得がいった。  オーウェンは、エリックの研究のすべてを理解していたわけではないが、暇つぶしに彼の論文を読んでいたこともあるから、まったくの無知でもない。  断る理由は特に思いつかなかった。  むしろ、いつまでもタダ飯食いでいるのは申し訳なかったので、自分に相応しい仕事があるなら、やりたかった。 「行きます」  ひととおりの説明を聞き終えたあと即答した。  準備のため、三日後には母親役のカラン・リウとともにルビリオ帝国に行くことになった。  カランは、オーウェンがサザンクロシードに引き取られてきた直後に検査を担当した研究員の一人であり、親しいというほどではなかったが、会えば軽く近況を聞かれる程度の顔見知りであったため、ある意味気楽な相手といえた。  問題は、北アルリアに足を踏み入れるということの方だった。  北側と南側は、地峡によって繋がっており、文脈によっては『アルリア大陸』とひとまとめで呼ばれることもあったが、北と南ではいろいろと事情が違うということは、子供でも知っていることだ。  SAU――南アルリア連合に名を連ねる国のほとんどは民主主義国家だが、北の大国は権威主義体制だ。  それに従う周辺の国も、それに反発する国も、体制の違いはあれど、それぞれ問題を抱えていて、火種が常にくすぶっている状態だ。  揉め事を話し合いで解決しようとする南アルリアの国々に対し、北アルリアでは武力で解決しようとする傾向が強い。  異国の者が呑気に観光できるような場所すら限られていた。  気候もだいぶ違う。  到着した時、季節は冬で、ルビリオの首都は白い雪に覆われていた。  南側でも雪は降るが、冷え込み具合はこちらの方が圧倒的に厳しい。  都市部の最低気温はマイナス二十度ぐらいだが、山間部だとマイナス五十度ぐらいになることが普通だと聞いてゾッとした。  自分が幼い頃にすごした国がここであったなら、一日とたたずに凍死していたことだろう。  到着早々、カランとは別行動になり、オーウェンは暖房以外はなにもない部屋で数時間待たされた末に、やけに豪華な執務室に呼ばれた。  護衛を一人だけ控えさせた部屋にいた体格のいいスキンヘッドの男は、バルトロノアと名乗った。  当時、グランシャリオはルビリオ帝国の正式な国家機関で、サザンクロシードとの共同作戦を担当していた。 「おまえに弟をやろう」  挨拶もそこそこに、バルトロノアはいきなりそう切り出した。 「そちら側の潜入要員、ということですか」  父親役はグランシャリオが用意するという話は聞いていた。人数合わせのために追加で子供を用意していたとしても、なんら不思議はない。 「そうだ。おまえに血の繋がった弟はいるか?」 「……いいえ」  弟どころか、父も母も、自分の記憶には存在しない。  初対面の偉そうな男相手にわざわざする話でもなかったから、オーウェンは最低限の返事をするに留めた。 「弟の扱い方がわからなければ、犬かなにかだと思うといい。……才能がありそうな子供がいるんだが、言われたことを最低限しかこなそうとしない、無気力な子供でな。話しかけても、めったに口を開かない。潜入期間中にそいつを教育して、使い物になるようにしてほしい」 「ハウンドファングとして使い物になるように、ということですか?」  ここに来る前に、オーウェンはグランシャリオについてのある程度の情報を確認している。彼らがハウンドファングと呼ばれる暗殺者、あるいは工作員を使っていることも。 「そうだ。武術、教養……あらゆることを教えて、一流に育てるんだ。おまえは、サザンクロシードで最年少の局員で、かなり優秀だと聞いている。年も近いし、ちょうどいいだろう」 「何歳なんですか。その、弟とやらは」  バルトロノアは、デスクの上に置かれていた数枚の書類の束を渡してきた。 「これがその子供に関する資料だ」  一番上の紙に、顔写真が貼られていた。  思っていたよりも幼い顔立ちをしている。  名前の下に記載された生年月日を確認して、オーウェンは思わず眉根を寄せた。 「四歳……?」 「そうだ。二歳の頃から、我々の養護施設で育てている」  書類には、施設に引き取られた経緯も書かれていた。  幼児向けの知能検査で異様に高い数字を出したことを理由に、両親合意の元、引き取ることになったと。  つまり親に売られたのだと、オーウェンは理解した。 「変わった目の色をしているだろう? 昔から、紫の目をした人間は、特別優秀だという噂話がある。両親は普通の目の色をしていたから、隔世遺伝というやつだろうな。……顔立ちも悪くないし、そういう子供を飼いたいという金持ちはけっこういる。戦闘員として使い物にならなかったとしても、他に使い道はいくらでもありそうだから、せめて一般教養と礼儀だけでもしっかり叩き込んでくれ」  紫の瞳に、青みがかったグレーの髪。写真では不機嫌そうに見えるが、確かに、顔立ちは整っていた。 「僕がこの子の教育係をすることについて、サザンクロシードに話は通してありますか?」  潜入任務の擬装のため家族の真似事をするのが今回の任務だったはずだ。幼い子供を汚い大人の道具にするため教育するというのは、その範疇を超えている。 「もちろんだ。北と南の協調のために、親交の証として、これからの未来を担う若い世代同士が手を取り合って成長していくのはとてもいいことだ。あちらは快諾してくれたよ」  物は言いようだ。  白々しい気持ちになりながらも、オーウェンは顔には出さずに、おとなしく頷いた。 「わかりました。正直なところ、僕は誰かになにかを教えるという経験はありませんので、どこまでできるかわかりませんが、可能な限り努力します」  どのみち、オーウェンもまだ九歳の子供であり、大人に意見することができても大人の決定を変えるほどの力はない。  ましてや、ここは北アルリアだ。下手に逆らえば殺される。 「ちなみに、その書類に記載されている本名を本人に伝えるのは禁じる。新しい名前は、おまえがつけてやるといい」 「僕が、ですか」 「その方が、少しは愛着がわくだろう。どんなに愛想のない子供でもな」 「今は施設でなんと呼ばれているんですか?」 「S0021(エスゼロゼロツーワン)だ」  まるで製品の型番だ。ここではそれが常識なのだろうか。考えるだけで胸糞が悪くなる。  ああ、でも――自分も、五歳ぐらいまでは名前がなかったんだ。  エリックに名前をもらった時のやり取りを思い出して、なんだか不思議な気分になる。  まさか自分が、今度は名前を与える側になろうとは。 「……わかりました。本人に会った上で、考えてみます」 「そういえばまだ言っていなかったが、ファミリーネームは『ロゴフ』だ。おまえは今日から、オーウェン・ロゴフだ。パスポートはその名前で用意してある」 「…………」  どうせ偽名だ。しかし、こんな異国の地で生まれて初めてファミリーネームをもらうとは、皮肉なものである。 「任期は六年間。任務開始は一ヶ月後だ。それまでに『弟』を手懐けておけ」 「……はい」  他にもいくつかの確認事項について言い渡されたあと、オーウェンは養護施設に『弟』を迎えに行くことになった。

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